初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

2013年11月の記事一覧

筑波山に登る

今日は今年一番の冷え込みだと言われている。どのような因果かこの日に筑波登山を決めていた。幼稚園の登山の日は、学校説明会と重なってっしまって、筑波山へは行けなかったが、今日は私の役割もあったので行くことになった。私の役割は、車の運転手と、けがなどの理由で登れない子をケーブルカーで引率することである。ケーブルカーで登るとすぐに着いてしまうので、しばらく時間を遅らせて、乗り場のお土産屋さんの椅子に座って時間を過ごした。子ども達は、黙って私の言うことに従っていたが少々退屈そうであった。

登山に皆が出発してから30分遅れでケーブルカーに乗り込んだが、その間心配そうにちらちらとこちらを向いて私の顔をうかがっていたけれども、何も言わずに従順に私に従うと言う態度だ。子を持つ親の心境に成って、この子たちを守るという気にさせるものだ。売店がいっぱい並んでいる頂上付近に到着すると、風が強く冷たかった。するとリュックを下ろし、中から予備の衣服を取り出し、重ね着をしている。低学年の子だけれども、衣服の調節など主体的にやれる様子を見てすっかり感心してしまった。

じっとしていると寒いので体を動かしていたけれど、にわかにやり始めてもすぐには温かくならない。『あったかい甘酒でも飲みたいな』というと『甘酒ってお酒なの』と聞くから『お酒ではないよ。子どもも飲めるものだよ』と答えると、ずらっと並んでいるお店を一軒一軒見て回って、『先生!ここに甘酒って書いてあるよ!』と教えてくれる。しかし一向に私がお店に入る気配を示さないものだから、そのうちお店のお土産品を手にとって見ながら、長椅子に座りこんでしまった。土産品に興味を示しながら『ほしい!』などと言わないのもいい。

そうこうしているうちに全員が登り終えて、男体山に登るものと、ここで景色を見るものとに分かれたが、男体山に登ると答えたのは3分の1ぐらいで後はゆっくりしたいという意見であった。そこで私が『どうして筑波山ができたのか、詳しく書いてある自然館があるよ』とそちらの方へ水を向けたが、4・5人の子が駆け出してそちらへ飛んで行ったが、残りの子は無関心のようである。せめて4年生以上の子は関心を向けてほしかったが、もう喉までいっぱいで強制されて学習はしたくないと言った抵抗にも思えたので何も言わなかった。

強制されやらされていると感じている学習では、この先続かないだろうと思うが、いかがだろうか。学習しなければならない期間は、この先の方がはるかに長い。もしも私が感じたことが当たっているならば、心を解きほぐしてあげて、自らのエンジンに点火して自走してほしいと強く思う。危惧だけで終わればそれでいい。そんなことを想いながら子どもたちの中に入って弁当を広げ昼食となった。

同じように山登りに来たどこかの幼稚園の子どもたちが、土産屋で買ったおもちゃのピストルを出して、食事をしている初等学部の男の子のところへ『バンバン』とやってきた。するとそこにいた男の子全員が箸を持ったまま両手をあげた。幼稚園の子は満足してそこを去って行った。私の弁当は野菜サラダとおにぎり一つである。1年生の子が『先生僕のあげようか』と言ってくれる。鳥の唐揚げと厚巻き卵である。何故こんなに優しいのか。

帰りのケーブルカーはこども7名になった。登りだけでも何とか頑張ろうとして登った子たちである。昨日医者に言って『無理しないように』と言われたけれども、何としても登ると根性のあるところを披露してくれた。登りの途中でねん挫してしまったという子がいたけれども、私には言ってこないので教師が伝えに来てくれた。ケーブルカー組は発着所からつつじヶ丘まで車で移動したが、車内では『家を建てると結構かかるから大変だよ』という男の子の話があって苦笑せずには居られなかった。楽しい一日をありがとう。

勉強は何のためにするのか?

筑波大心理学教授だった故杉原一昭先生が、退官時に『生きることと死ぬことと』という議題でさよなら講演を行った。私はその話の中で、あるユダヤの青年がアウシュビッツに送られていく汽車の中で『どうしても読みたい本がある』と言って、途中の駅で一泊した時に、汽車を抜け出し友人とともにその街の中で図書館を探し、読みたい本を漁り、汽車に戻ったという話を聞きました。今死にに行く汽車の中で、なおも『読みたい』という本を読もうとする行動に彼を動かしているものは、一体何なのか。

私はその話を聞いて講堂を出た時に、どうしても涙があふれてきて仕方がなかった。はっきりとは言葉に表せない感動が、全身を稲妻が走ったように通り過ぎて行って、体が震えていた。私はものを識ると言うことにあまりにも無頓着であった。知識に対して甘く見ていたのだ。自分が生きていくのに不自由のない知識で十分であるという狭い領域でしかものを捉えていなかった。何とあまりにも低俗な生き方ではないか。自分の情けなさに涙したのだ。

それ以来専門分野は勿論のこと、それ以外についても学ばなければならない事に気がついた。色々なことを学ぼうとすればするほど、自分の底の浅い知識を自覚する。そうなるとますます貪欲にはなるけれども、あまりにも知らないことが多すぎて、自分自身にあきれ返ってしまうこともしばしばであった。杉原先生の最後の講義で教えて頂いたことは、様々な生き方があるけれども、人生は知的に生きることの素晴らしさである。

私が目指している『精神的貴族』像は、まずそれなりの知識を得なければならないではないか。しかもその知識は個人所有のものではなく、多くの人々に分け与えていくことでなければならない。その結果として自分も飯の食える人間にならなければならないのだ。勉強はそのような人間になるためにやるのだ。勉強はやりたくないとか、ずっと遊んでいたいなどの話は聞いていられない。皆で困っている人を救っていかなければならない、ということを自覚しなければならない。

医者に成りたいと言っている子が結構な数いる。ままごと遊びではないから、願望だけでは夢物語である。何故なりたいのか、正しい意識がしっかりしていれば必ずなれる。それがお父さんやお母さんのためでは絶対にうまくいかない。なぜなら途中下車しても親なら甘いから、それに責任を感じないだろう。内発的動機が社会のためなら責任はいつも自分にあるという意識をもつものだ。しっかりと子ども達に伝えなければならない。

ハンドボール・低学年優勝!

昨日の試合終了後にK先生から第一報が入った。思えば3年前に初めての試合に出場した時には、殆どの子が低学年の部であったけれども、高学年のメンバーが足りずに低学年から出場した経験がある。まったく試合にならず、試合中に審判から注意を受けることは再三あって、審判も意を決したのか、試合中にルールを教えながらの試合で、それが相手チームも寛容に見守っていたことがあって楽しい雰囲気であった。そんな試合であったのに、相手チームから何のブーイングもなかったのが温かい雰囲気を作ってくれた。

そんな状況であってもめげない子ども達だから、優勝できたのだろうと思う。ハンドボールのルールを知らなくてハンドボールの試合に出るなどということは、大人の感覚ではとても恥ずかしくて出場そのものにまずつまづいて、拒否反応が出てくるのが当たり前だろう。竹刀を持ったことのない人が大勢の前で剣道の試合に出るようなものだ。だから当然打ちのめされて、見る影もないほどにやられてくる。最初から何が何だか分からないのだから、打ちのめされようがどうされようが本人たちの知ったことではない。それでも立ち上がれるという力があったということは称賛されるべきことだろうと思う。

それが今回の結果なのだ。スポーツの面白いところは、必ず結果として近い将来に表れることと言えるだろう。優勝したということで、4年生以下の出場した子どもたちが大挙して賞状とともに私のところへ報告に来た。皆の目が光っていて、顔が輝いていて眩しかった。得意そうな面持ちが、次のステップへの意欲となってみなぎっているように感じた。大きな自信となっただろう。

昼食後にミュージックフェスタの会議をしていて、予定より長引いたので全学年を見ることになった。とはいえ1・2年生は外で思い切り全力で遊ぶこと。3年生はボルタリングをすること。4年生から上は全員が5年生の部屋に集まることというように振り分けた。4年生から上の子には特に私から話さなければならないことがあった。それは自分自身の事についてである。この話は3年生以下には難しいので、4年生以上になったわけだけれども、なぜ勉強をするのかということと、なぜ成績に差がついてしまうのかということ。

担任にも話はできるだろうが、私が話した方が与える刺激が違うので効果はある。毎日家で勉強していると答えたのは半分にも満たなかった。家ではなく塾へ行って勉強しているので、家に帰ってからはしないと言う子もいる。学習の仕方が学校と塾に任せ放しである。いつもいつも塾任せにはできない。家庭学習は自分のテーマを探究したりするには絶好の場である。どこどこの学校へ入学させたいと言う願望が先走っていて、どのように生きたいのか考えるゆとりがないではないか。これで子どもはいいのかな。

幸せの追求

『幸せの価値観』は子ども達にもある。大人のように色々と理屈を述べたりはしないけれども、体で感じているものがある。それは何かというと、『楽しさ』『嬉しさ』である。だから幼児期はご両親と一緒にいるときが幸せなのだ。そうして『幸せの原点』ともいうべき生活を続けていくうちに、幸せを感じられるようになる。そういったことによって、主体的で豊かで、意欲的な生活ができるようになるのだ。だから『嬉しい』『楽しい』幼稚園や学校生活を送らなければならない。それ以外は取るに足らない小さな事柄だ。

何故そう言えるのか。そんな質問が飛びこんできそうだ。良く考えてみるが良い。『嬉しがる』『楽しがる』状態にするにはどうしたら良いのか。そこにはおのずと約束事や、秩序というものが存在するはずだ。そういったことを主体的に議論し、自分たちの生活を作っていく。やらせられてその日を過ごすのではなく、能動的に自分を生きることだ。それは、幼稚園生活でも小学校生活でも、そのように生きられることは可能である。本来子ども達は知識欲に飢えているから、意欲的な生活が保障されれば学習意欲も増大する。

お金の量が幸せを決定すると思ったら、それは空しい。経済的豊かさは幸せを測る物差しではない。ただ手段にはなりうるけれども、使い方を間違えれば奈落の底に突き落とされることになる。まったく幸せとは真逆の境涯となることは周知の事実だ。幸せの価値だのと、幸せをふんだんに使って書いているけれど、実際問題として幸せを追求して毎日を過ごしている人はいないだろう。幸せは求めるものではないのであって、真実を生きる者についてくるものだ。鉛筆一本で喜び、幸せに浸る子どももいるのだ。

私の頭の中で幸せとは何だとイメージしてみると、自分の力で決めた目標を持ち、その目標に自分が着実に進んでいるという実感を持ち、希望に満ちて次のステップに踏み出そうとしている状況などは、まさに幸せだろう。与えられる物によって幸せを感じるのは、ほんの一瞬である。そんなもので子どもの心を釣り上げては、程度の低い子どもに育っていく。そのような子どもは、いじめの格好の的にもなる。