理事長・園長のちょっと言わせて
子どもはみんな可愛い
昨日六本木にある新国立美術館へ行って、前年度まで美術関係を教えていた非常勤講師の宮崎みどり先生と、今年度より教員として小中学校で子どもたちに教えている長内夏希先生が出品している彫刻を観に行ってきた。国立美術館だから、ここに出品できると言うだけでもすごいなと思うけれども、宮崎先生は上から2番目の賞を戴いたらしい。長内先生がそう言っていた。素晴らしいすごい感性を持っているのだろうな。
その宮崎先生にお会いして会場を案内してして戴いたのだけれども、たまたま宮崎先生が現在教えている都内の中学校の子どもたちの話が出たのだけれども、青葉台の子どもたちの感性に触れ、とても素晴らしいものを一人残らず持っているということはとてもすごいことだと言っておられた。実は私もそう思っていた。今学校には現役の芸術家がいる。そう思っただけでも素晴らしい学校だと思う。
また昨日は中学校2年生の『進路宣言』が行われた。とても堂々として素晴らしかったらしく、ぜひとも見てほしいということなので、今日になって二人の宣言を聞かせて戴いた。確かに堂々としていて内容も地に足がついていて、自分たちの現況をよく把握していて見事なものだ。子どもたちの内面の発露なのだけれど、教師も子どもたちをよく見ているなと感心した。
幼稚園の年少さんの部屋へ行ったら、指を3本立てて『3歳!』と得意になっている。そこで『先生は何歳?』と聞いてきたものだから『68歳』と答えたら『ふーん』と言って、会話が途切れてしまった。同じように年中さんは指をぱっと広げて『5歳!なった』と言う。先生は?と言うので『68歳』と言うと『へー90歳かと思っていた』と言う。会話の中にふんだんに数字が出てきて数唱の練習だ。遊びの中で数の概念を身につけていく。非認知的なことの大切さだ。
学校法人とは何たるか
きのくに子どもの村学園の創始者である堀真一郎氏は学校法人の学校を作るにあたって、寄付を募ったり、他の職業で得た利益で学校を運営するには限界があるので、何としても学校法人を取りたかったと言っていた。私が初めて作った幼稚園は最初から学校法人であったが、これは現在当学園の理事をしていらっしゃる弁護士の風間幹夫先生が県に行って交渉して作ったものだ。だから私には当初のご苦労に対して全く知り得なかった。けれどもその頃は、設置基準は厳しかったけれども、それほど目立って経常費補助も多くはないし、しばらくの間は私は無給どころか教員給与が払えなくて、アルバイトで得た得た賃金を幼稚園に入れていた。これは驚くほど多額ではないから何でもないことだけれど、身内に来て戴いてただ同然で働いてもらっていた。
まあ40年も前の話だけれども、幼稚園経営はそんなに楽なものではなかった。地域の郵便局と同じようにちょっとした資産がある民間の人に頼んでお願いするようなものであった。しかし私には有り余るような資産もなかったし、今の幼稚園が建っているところがかろうじて私の名義のものであった。自分の土地を寄付しなければ幼稚園は建たないし、建設費は自己資金でなければならないことが法人になるための約束事であった。借金漬けになっていた私が何故に学校法人立の幼稚園が出来たのかと言うと、そのような決まりを知らなかったし、勝手に建設をはじめてしまっていたから後戻りできなかった。それに許可を取りに役所と交渉したり書類の提出などは弁護士の風間先生がやっていたから、どうなっていたのか詳細にはわからないうちにできてしまった。
そして昭和51年11月29日に幼稚園は完成し、翌年2月8日に法人認可をもらったがなぜか登記簿謄本には3月31日になっている。幼稚園は設置基準は厳しくて面倒なことであったのは、第二幼稚園を建設する時にしみじみと理解することができた。すでに学校法人があるにもかかわらず、ゼロからの出発である。融通のきかない役所との交渉にはほとほとまいってしまった。都道府県によって設置基準が違うらしいが、森友のようにそんなに簡単なものではないことは確かだ。
そう言えば森友の籠池さん、『けつを割る』という汚い言葉があるけれど、散々世話になった人に対して、『毒をモラワバ皿まで』とばかりに、関係者を道連れにしているようだ。人として絶対にやってはいけないことだ。結局は民進党の楽しい餌にされていて、民進党とは本人の信条とは決して相容れないものなのに、もう自分は終わってしまったのだと言うけじめがしっかりとしていない。この風が止んで風化してしまったら、誰にも相手にされず放り出されるだけだ。政治家と付き合うのは、切れてしまったら政治家を相手にしている方が惨めになるものだ。なぜなら自分を守るためには誰よりも長けているのは政治家だからだ。籠池さんも夢から覚めてしまったのだから、そのあとの夢を追い続けると後は何も残ってはいない。真っ白になるだけだ。
北のカリアゲ君
『蟷螂の斧』の如し。カマキリは象に対しても刃を挙げて向かっていこうとする。その気概は良いにしても、それは一度見せてくれればそれでよし。何度もやっていると、オオカミ少年のように相手にされなくなる。そして最後にはオオカミに食われてしまう。核を持たない国の方が持っている国よりも多いのだから、その国の仲間入りして平穏に暮らし、北朝鮮の国民を飢えから救ってやったらどうだ。核を持っても使えないし、他国への脅しにしかならない。それを維持していくにはまた莫大なお金がかかる。何をそんなに恐怖感を持っているのか。韓国が北へ攻めてくるとでもいうのだろうか。金王朝の瓦解を恐れているのか。
誰か有名人が『日本を巻き込まないでくれ!』といったことを米国向けに行ったそうだが、これもまた社会観と言うか、世界観に乏しい発言ではないか。冷静に考えてみれば、日本が米国を巻き込まなければ朝鮮半島の危機に関してはなす術を持たないではないか。米国の後ろ盾がなければ何も進展を見ない。いつも口先だけの抗議で拉致問題然り手も足も出せない。その上中国に『日本は黙っていてもらいたい』などと高飛車に出られると、しゅんとしてしまう。小笠原付近で、日本のサンゴ礁を根こそぎ持って行ってしまった中国漁船に対しても、取締りの船がないと言ってさせ放題であった。情けないではないか。
日本の法律で縛られてしまっていると言い訳をしているけれど、法律は国民の生活を守るためにあるはずなのに、外国の漁船を守るためではない。駄目なら法律を作ればよいけれども、中国をあまり刺激しないほうがよいなどと、どこの国の議員なのかわからないうつけ議員がいることも不幸なことだ。
新入生歓迎餅つき大会
あまり派手さはないけれど、毎年のことながら新入生歓迎餅つき大会をしている。みんなが餅が好きと言うのもある。中学生の男の子がいるから、つき手はあまりある。しかも若くて力があるから、出来上がった餅はすべすべしていて見るからにおいしそうである。つき手も上手だし、愛の手を入れる子どもたちも上手だ。小学生全国餅つき大会なんていうのがあると、多分わが校は県で勝ち残り全国大会に出ても日本一がとれるのではないかと思うくらい見事だ。
けんちん汁があるけれど、これの味付けは私がやることに決まっているようで、子どもたちが調味料とかを持ってきて『よろしくお願いいたします』などと言って柄杓を片手に頼みに来る。本当はだれがやってもいいのだけれど、私にわざわざ出番を作ってくれているようだ。幼稚園の餅つきのときには、保護者が40人以上来るので、大人の姿がよく目に入るけれども、学校では子どもたちが中心だ。だから応援団がいたりと役割ができていて、餅つきは活気がある。
いつの間にか大きくなってしまった子どもたちだ。頼もしい限りだ。これからがどのように生きていくのか、慎重によく見ていかなくてはならないだろう。
のんきな日本
水面下では在韓邦人の救出作戦などシュミレーションを行っていると思うけれども、国内にいる日本人はどのような覚悟で、どのような対応をすればよいのか、用意をする分には行き過ぎはない。何と言っても命がけなのだから。性急に避難命令など出してしまうと非難の的になるけれど、とにかくこのような経験は政府の高官でさえ初めてだろうからなかなか難しい。その点韓国などは夜間外出禁止令などつい35年前にはまだ施行されていたので、退避の仕方を知っている国民が多い。
じたばたしてもしょうがないと思うのは、私の年齢なら良いけれども、これから生きがいを求めて生きていく人たちには酷な話だろう。何も起こらなければよいけれども、北のカリアゲ君はタナボタで権力を掌握したので国家間の闘争などの経験もない。米国とのやり取りもまるでテレビゲームを楽しんでいるようで危険この上ない。核実験をしたら間違いなく戦争になるだろう。
私が35年前に欧州を旅行したときには、何処に行っても核シェルターがあったことに驚いたものだ。欧州は陸続きだから危機意識が高い。このような状態が続くのであれば、学校にも核シェルターが必要になってくるのではないか。せめて退避場所にする丈夫な防空壕が必要になるかもしれない。サリンを空から落とされたらどうすればよいのか。政府のある機関が防ぎ方を国民に伝えたようだ。サリンは空気より重いから高台に逃げるか風上に逃げる。ゆっくり揮発するのでそばにいると危険。