初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

お詫びが見えない?

終戦後進駐軍が日本統治をするために、場所ははっきりとしないが、保険会社か今のホテルになったいるところにGHQを置いた。教育部門とか、憲法を改正する部署とか、治安を維持する部署とか、一刻を統治するのだから様々な部署が出来上がって、マッカーサー元帥がその頂点に立った。東京裁判の日本側の裁判記録と、連合国側の記録が著しく違っていることに、日本の文化人たちはその検証をしないでいる。日本側の言い分として、日本の当時の弁護団長たちの分厚い記録があるから、読んでみると情けないほどずさんな裁判であったことがはっきりする。

戦犯の重光葵の弁護をしたアメリカの弁護士が、『戦勝国が敗戦国を裁くこと事態公平な裁判ではない』とか『一般市民への無差別攻撃はしてはならない、という戦争犯罪を問うならば、私は広島や長崎に原爆を落とせと命令した人物を知っている』ということを発言した、アメリカの陸軍中尉がいた。日本の弁護士ではない米国の弁護士である。その時に法廷は一時通訳が切れてしまって、日本語通訳がされていない。そして居並ぶ判事の中から(キーナンだと思う)『我々は日本の言い訳を聞きに来ているのではなく、彼らを裁くために来たのだ』と、私は戦勝国の思い上がった言葉を知っている。だから日本人が自ら東京裁判の結果に従順になる必要なんて全くない。戦後70年も経過しているのだから。

今度の安倍総理の米国訪問に中国は不快感を示しているという。米国の腐心した日本人の心の解体の一つに、永久に罪意識を刷り込むことと言うのがある。韓国も一緒になってやっているけれども、今回の訪問でも記者会見の中で一番最初に出て来たのが慰安婦問題である。韓国政府が米国広告会社と月ぎめ契約で、日本たたきを依頼している結果である。韓国はベトナム戦争で米国と一緒に戦い、現地では韓国軍は一般市民に平気で危害を加えるなど軍規がたるんでいて、青鬼と呼ばれて最も市民に恐れられていた。そんな国にとやかく言われる筋合いはない。米国ジャーナリズムも二三流の金目当ての記者もいるし、正義は米国司法の専売特許ではない。『お詫びが見えない』など、日本人のくせに外国の思うつぼのような意見を言うことのないようにしていただきたいものだ。

学校の教務は順調にいっている。昼食作りなど教務外では、このようになればいいのにな思うこともある。昼食は学内で作ると、人事などで余計な心配を増やしているようなもので、仕出し屋に頼んだらいいのにと思うことがある。一度仕出し屋に頼んだ給食を出したことがあったけれども、何らかの理由でやめた。学校で作った方が安上がりだと思っている人がいたら大間違いで、仕出し屋の方が安上がりになる。現状ではどちらでやったからと言って、どちらがよいということもない。現在は学年で食べているようだけれども、ファミリアで食べる様な提案がなされればよいのにと思っている。

保護者会総会

新しい年度になって新しい役員が選出された。総会のあり方については、いろいろなやり方があるだろうから、これがベストだというものはないだろう。

役員をやっていると、有形無形色々な人から突っつかれもするでしょうから、大変なことだ。みんなが協力してて役員を支えるという度量がないと、役員になる人がいなくなってしまうだろう。とにかく今までの役員さんの労をねぎらうことにしよう。『大変な時にご苦労様でした』。また新しい役員の皆様に『よろしくお願いいたします』。とにかく子どもたちを中心に据え、争いのない穏やかな、そして出会った人たちがみんな幸せになれるような学校にするために邁進してまいりますので、しっかりとサポートしていただきたいと思います。

総会の後に保護者有志による『あおば祭り』が開催された。弓矢があったり、吹き屋があったり皿回しがあったり、ゴム銃もあった。子どもたちは夢中になって遊んでいる。難しそうな皿回しなどに何度も挑戦して、少しうまく行くと黙っていても次の困難なものへ挑戦して行くものだ。子どもの眼がいいではないか。生き生きとして輝いている。いや子どもたちばかりではない。一緒にやっていた大人の顔も生き生きとしていて、しばし童心に帰ったのではないか。保護者との立ち話ではあったけれど、ファミリアに期待しているということを聞いた。俄然やる気になったというか、子どもを見ていれば子どもが変わっていくのがよく見えるではないか。

実践的なフロー教育と言うのが始まったが、子どもたちは戸惑いもあるだろうが、バーチャルではない本物の教育をやって行くので、そのことだけは子どもたちにも伝わっているようだ。今にもっともっとフロー状態にしていくから、期待してもらってもよい。もともとその原点は幼児教育にあるのだから、そのやり方は本を読み読みやらなくても体の中に染み付いているので、先手を取れるのが強みだ。これから楽しくなるぞ!。

歴史認識

私たちが戦前戦後を通して歴史を教える時に、中国や韓国が言っているような日本の『歴史認識』とは一体何なのだ。日本の歴史の教科書では、戦後の出来事をあいまいにしている事柄が多く、野党や他国を必要以上に意識していることがうかがえる。中国とは田中角栄のときに周恩来との間で国交を樹立し『過去を問わない』『戦後補償はこれを問わない』という覚書がある。しかしODAで膨大な補償というか中国のインフラ整備をした。しかしこれを中国は、『当然のことだ』と言って、あたかも戦後補償を露骨に要求してきた。韓国と言えば、今の朴大統領の父親のときに、戦後補償はすでに解決済みということになった。

そもそも現中国共産党と戦ったわけではなく、当時の相手は台湾に逃げた蒋介石の国民党である。国民党と日本が戦っている隙をついて、中国共産党は勢力を拡大していったのである。戦勝70周年だなんてチャンチャラおかしな話だ。日本は彼らと戦ってはいないし、彼らだって戦った覚えはないだろう。蒋介石が生きていたら何と言うだろうか。もっとも生きていたら言えない。韓国は日本と共に連合国と戦ったのであるのに、戦後保障とは何事だろうか。先代の朴大統領の時に、ソウル市内の地下鉄について日本の経済援助でこれができたわけだが、韓国ではそれが汚職が噂されていて、今の娘の大統領は日本のおかげで大学へ行けたともいわれている。

もう一つ言わなければ気が済まないことがある。朝鮮併合のことである。当時の朝鮮は国家として世界地図に記されている中では、地球上では最貧国であった。だから日本では併合することに慎重であったし、立憲政治の初代首相の伊藤博文などはかなり反対したらしいが押し切られたといわれている。余談だが韓国では伊藤を暗殺した安重根は英雄とされているが、北朝鮮では思慮に欠けた大ばかものとなっている。また朝鮮併合は、米国との約束の上でなされたとも聞いたことがある。米国はフィリピンを奪還するためにスペインと戦っている最中である。戦力を移動できない米国が日本に頼んだということだ。それは南下してくるロシアの脅威である。その裏を知っていた伊藤が猛反対したのだろう。

それに現在行われているインドネシアでの『バンドン会議』である。これはアジア・アフリカ会議と呼ばれていたものだと認識している。先進国に対して後進国が団結した会議で、スカルノとかネールとかが活躍していた時だ。ここで日本の首相から『お詫びの言葉が聞かれない』とまたもやクレ-ムをつけた国がある。韓国だ。アジアの国々を侵略したということを言わせたいようだが、これは事実だろうか。当時ここを統治していたのはアジアの民ではなくヨーロッパや米国と言った帝国主義の国家であって、彼らこそ何故侵略したと言わないのだろうか。そしてなぜ言わせないのだろうか。侵略国がその国に謝罪を入れるなどの、欧米にはこのような習慣がないのである。だから米国が日本に対して注文を出すのはお門違いである。

子どもたちと向き合う

これは幼稚園でも初等学部でも一緒であるが、子どもたちを上目線でも下目線でもいけない。教員はややもすると子どもたちより上だという意識がある。だから教えなければならないという感覚。上なのは年齢ぐらいなものだ。年齢だけは死ぬまで追いつけられることはないから、上であると思っても良いけれど、人間的に人間力などはどうだ。それに知識の量はどうだと問われれば、人間力については、子どもたちに追い越される可能性が大である。知識などは最も顕著に追い越されるだろう。その分彼らは覚えなければならないことや、身につけなければならない知識の量が、我々よりはるかに多い。

教師にとって一番大切なことは子ども達から慕われることだ。基本的にこれが機能しないといくら知識を伝えようとしても子どもたちから拒絶されてしまう。そうなっては悲惨だ。子どもたちから慕われるようになると、子どもたちの生活は能動的になり、脳が活性化されるから、子ども自らのやる気という内燃機関が動き出すので、放っておいても子どもたちの知識は蓄積される。だから教えようとしなくても、子どもから好かれる教師になることが先決である。そのような状況が、教師自らが作りだせたとしたら、教師として至福である。だから内発的動機付けには色々と試された研究があるけれども、人的信頼が一番身近にある。

建設委員長の高橋さんが、小中学校の連結の話を書いているけれど、これは文科省で決定したことなのだろう。私は知事が中央教育審議会に知事として出席して、そのような議論が昨年からあったと言うことを垣間聞いていたので、このことなんだなと言うことが理解できた。小中学校の件については、この初等学部を作る時から話をしていたので大変興味がある。そうなるともう一度私が考えたことを、振り出しに戻してやれるということだ。

3歳児

就園まえに公園デヴューをしっかりとやってきたのか、3歳児が新しい場所に来たことにそれほどの違和感がない。初めて接触するのでも、抵抗を感じさせない。不安定な子がいるというのが定説で、必ず何人か入るものである。どうなっているのだろうか。2歳児教室に通っていたという人が多いのだろうか。今はまだ慣れるまで午前保育であるけれど、帰る頃になると疲れてしまうのか保育者に抱かれている子をちらほらと見る程度で、ギャーギャーと泣く子が見当たらない。分からずやがいないというか、よくなついている。

母親の頑張りが、こんなにも子どもたちを幼稚園に近付けてくれたのだろうか。幼児期というのは自然体が一番良いけれども、もし自然体で今のような状況になっているならば、発達段階において、かなり大きな示唆を与えられる状況だ。そのくらい大きな変化である。

初等学部では初めてファミリア開きがあった。それぞれのファミリアに移動した子どもたちは、まず最初にリーダーを決めようと言うことになったらしい。リーダーはほとんどが自薦で決まるが、手を挙げることが大切である。手を挙げられるような子どもたちを作って行こう。子どもたち中心でがファミリアが行われていくけれども、何かと口を出したくなるものだけれども、少し我慢して動き出すのを見てみよう。動き出したら、多くの欠陥に気付くことになる。

子どもたちのやる気というのはすごいエネルギーである。今日は雨だと言うのに、食べること大好きファミリアは、畑を耕したいと言ってきたり、建物ファミリアは、何階建ての家を作ろうかなどと話している。劇団も、まだ何も決まっていないのに劇は何回公演しようかなどと話をしている。まずは脚本を誰が書くのかだろうな。全員が書いてもいいし、自薦でもいいのだが今日は時間が足りなくなってしまった。

初めて幼稚園で遊ぶ

もーりの、3歳になる前に幼稚園で遊ぶことができた何人かを除いては、初めて幼稚園で遊ぶことができた。あおば台の入園式が終わった後に、今日初めて幼稚園に登園してくる3歳児の様子が見たくて第二幼稚園へ行ってみた。保育者の第一声は『泣く子がいない』『とにかく遊びたくて、泣いている暇がない』と弾んだ声で言ってきた。バスに乗るときには何人かの子が泣いたと聞いているけれども、バスに乗ってしまえばそのあとは楽しいことばかりだ。バスに乗るときに泣いた子はこの次もなくだろうか。休みが間にあるから、泣くかもしれないがそれほど長くはないだろう。

バスに乗せるときに子どもが泣き始めてお母さんから離れないということがあるけれども、そんな時には強引にでもお母さんの手から離す。まるで人さらいのようだけれども、保育者も足でけられたりして、必死の思いでバスに乗せなければならない。そんな状況は長くたって1週間と続かない。だから来週いっぱいが経過すると、だれも泣きながら登園してくるものはいなくなる。そうなると子ども自身にも自信がついて、少し大きくなったという実感がわいてくる。沢山ほめてあげると次の段階にいきやすい。だから何もなくスーと幼稚園に溶け込むよりは、何か困ったことがあった方がよい。いずれにしても、これからそのようなことにぶつかっていかなければならなくなる。楽しみに成長を見守ってほしい。

初等学部では児童のファミリアのアンケートが出そろった。どのファミリアに自分が所属したいのかということだが、やはり一番多かったのは基地を作ろうといった『建物ファミリア』が多かった。その次はお店を出そうといった『食べること大好きファミリア』が多く、最後は『お芝居大好きファミリア』だった。それぞれに教師が張り付き子どもたちに夢を抱かせるような導入が必要になってくる。建物とか、食べ物とかは目に見えやすく具現化されやすいけれども、芝居の方は創造力がいる。私は三つのファミリアに所属し、何かと助言を与えていきたい、子どもたちの邪魔にならないように。

アンケート調査の結果、多分この子とこの子はいつも一緒にいるから同じファミリアになるだろうなどの予測は見事に打ち破られて、子どもたちの主張が色濃く出ている結果となった。これから学校での活動は自己決定の原則の中で生活することになる。寄宿舎があれば夜遅くまでもやりたいことに没頭できるのにと思う。フロー教育は時間の制限があってはなかなか到達することは困難だ。だからファミリアなどということが生まれたのだけれども、寄宿舎は絶対に必要だ。何と思われようが必要なものは必要だ。原則保護者には強制しないということを約束すれば、やり易いのではないか。

入園式

小学校の入学式とはちょっと違った雰囲気の幼稚園の入園式があった。大変な思いをしてここまで育ててくれたと言う気がするが、子どもたちにとってはそうしてもらうのが当たり前だから、わがまま言って親を困らせている。それでも親というのは見返りを求めない無償の愛だから、にこにこしてわがままに付き合っている。人間の愛について言えばこれほど高尚な愛はないだろう。かつて高田好胤先生が生前に父母恩重経というお経の話をしてくれたときに、『子が親を思う心に優る親心』という話を聞いたことがある。

その無償の愛も、徐々に子どもたちが大きくなって来ると親子でいい争いが起こったりする。これも子どもが成長する時のセレモニーみたいなもので、通らなければならない関所のようなものだ。何故いい争いが起こったりするかと言うと、ほとんどの場合が親が子どもの成長に追いついて行けない場合が多い。親からして見れば何時までたっても親子関係は消えて無くなるわけではないから、どうしても親権というものを使ってしまう。これは子どもにとっては抗えない禁じ手である。私が産んだ子だから、あなたのことは何でも知っている、ということになる。しかし実際のところ、子どもの年齢とともに子どもの視野が広がってくると、親の知りうることはそれに反比例して知らないことの方が多くなる。

あなたのことは何でもと言えるのはせいぜい3年生までである。それ以後はあまり使わないほうがよい。それは子どもの主体がはっきりしてきて、他者評価も自己評価も不安定ながらできるようになってきているから、大人を評価する時の基準が両親であるから、良い印象を与えておいた方がよい。良い印象というのは、子どもにへつらうことではない。子どもの意見をよく聞き、公平な判断を促すことである。そういったことが大人を信頼し、社会を信頼する大きな要素となって、立派な大人になっていく。

可愛い子どもたちだ。しっかりと手を携えて、ご両親ともどもと歩調を合わせてやっていきたい。卒園するころには『あおば台で良かった!』と言わせしめるよう努力して行くつもりだ。それには互いに一方的な会話はやめて、何かあったらしっかりと話し合える雰囲気を作っていこう。保護者も幼稚園も子どものためには一生懸命なのだから。親子ともども楽しい園生活を過ごせるように、できることは何でもやろう。

寒い日

子どもたちは冬だというのに、素足で幼稚園の室内を駆け回っている。全員ではないけれどもそんな子が結構いる。さすがに3年生以上になると、そのような子は見当たらないが、半袖になって遊んでいる子はいる。寒いというような感覚がないのだろうか。『寒くないのか?』と聞いても舌を出してげらげらと笑っている。子どもらしいといえば子どもらしいけれども、風邪をひいたりして辛いのは本人だから、我慢せずに厚着をしてくれたらいい。

友人が喉頭がんで亡くなった。そのお兄さんには私は名状しがたいほどお世話になった。お兄さんと私は師弟関係といっても過言ではなく、無能な私を開発してくれて、社会に通じる仕事人にしてくれた。幼稚園を始める以前の話だ。そんなものだから当然亡くなった弟さんとは面識がある。それどころか青年会議所で、同じ時期に監事をやらせていただいた経験がある。とても頭の良い方でひとの話を絶対にそらさない。昨年何かの勲章をもらったという話を聞いた。

癌が大きくなって頸動脈を圧迫して、血管が破裂してしまったというようなことを聞いた。死ぬのかもしれないという意識はあったのだろうか。死ぬという覚悟はできていたのだろうか。死ぬという覚悟はどのようなものなのだろうか。どのように自分を設計すればよいのだろうか。どんな気持ちで、死に際を迎えればよいのか。あまりにも身近な人が無くなったので、とても他人ごとではないような気持ちになった。私はまだやることがあるので、生きる覚悟はするけれども、死ぬ覚悟はできないし、それがどんなものかもわからない。

今日から始まった

幼稚園も学校も今日から始まった。幼稚園での挨拶をすると、子どもたちは精いっぱいの大声を張り上げて「おめでとうございます!」という。きらきらと目が輝いていて眩しいくらいだ。とにかく、年長さんはあと3カ月で終わりだから、楽しい思い出をたくさん作ろうということを話した。また年中や年少には、あと少しで年長さんになったり年中さんになったりするから、よく話を聞けるようになろうということを話した。するとさすがに年中さんは、顔を引き締めました。年長になるということは彼らのステイタスなのだということが、はっきりとわかる。

初等学部には昼前に行ったが、ポニーを13時半に迎えるのでその時に外で挨拶をしてくれというので、ポニーが学校に帰ってきてから子どもたちに新年の挨拶をした。幼稚園の子どもたちのように大声を張り上げる子はいなかったが、職員室前での集まりが解散されてからは、低学年の子どもたちが個別に『おめでとうございます』と挨拶に来てくれた。とてもうれしかった。年賀状をもってきてくれた子もいて、読むのが楽しみだ。幼稚園の子も年賀状をかけるけれども、難解なのが多い。小学生は無理やり漢字も書くし、読めるからいい。

今日は賀詞交換会で今から出かけなければならない。賀詞交換会などと言っても地元生まれで地元の育ちだから、知らない人はほとんどいない。知らない人は地元の企業でない人で、いわゆる落下傘部隊だ。ネクタイをしていないけれどこれが仕事着だから許してもらおう。

明日から全開

長い休みはもやもや感があって、どうもすっきりしない。子ども達の前に出れば、すべてすっきりする。子どもたちの癒しの力はすごいものがある。同じ人間でありながら、子ども時代のあの見えない力は一体何なのだろうか。力もなく、考える力も大人には遠く及ばないが、無限の力量があるのは何なのか。口に出してしまうと壊れそうなので、めったやたらと口には出せないが、何か尊いものが潜んでいるのは確かだ。しかもガサツな人間には、絶対に見えぬものだから不思議だ。

子どもの目には、優しさだけではなく、大人を諭すような神々しい光があるではないか。そのもったいないような子どもたちに明日から会える。子どもたちの生きようを、静かに、大切に手のひらで包むように見守り、育んでいってほしいものだ。

幼稚園でも、初等学部でも色々なことを考えて試してやって来ましたが、今年は行動の時、見えるような成果を上げるときにしたい。幼稚園ではそれなりの歴史もあるけれども、旧態依然とし過去の保育力にすがっていたのではならないでしょう。一人一人が現状から脱皮し、新しい自分を感じられるような生き生きとした保育者になっていきましょう。

保護者の皆様へ
あけましておめでとうございます。
子ども達の『幸せ』を追求して、今年も燃え尽きるごとく力いっぱい汗をかきます。よろしくご支援のほどをお願いいたします。また皆様のご家族が、お健やかにお幸せに過ごされますよう、心からお祈りいたします。

月刊青葉

『月刊青葉』という月刊新聞のようなものが、子どもたちの手によって発刊されることになった。その第一号のゲラができたと言って、広報係の子が見せに来てくれた。それがUSBの中に保存されていて、私の机にあるパソコンを手際よく作動して、そのゲラを取り出してくれた。私にしてみれば、目を疑うような出来事だ。なぜこんなに上手に動かせるのか。しかも原稿には、低学年でも読めるようにルビが振られてある。私にはこんな技術はないし、子どもがとても頼もしくなって、とても気分がよかった。

出来上がった委員会の報告だけれども、マンガがあり、物語がありでとても楽しんでやっている様子が伝わってくる。文章を作ったり校正したり添削したりという作業は、なかなか好きでないとできないだろう。何人かいる委員会のメンバーがどのようなローテンションを組んでやっていくのか、とても興味があり役割分担が上手にできるのかどうかが問題である。まあ基本は楽しくやれる人がやればいいのだけれど、このようなことが苦手だとか、苦手意識を持っている子がいるとしたらこの機会に興味や好奇心に火を点けてくれたら幸いだ。

土曜日はいつもの学校ミーティングがある日で、10時からの始まりに参加してきたけれど、子どもたちは熱っぽく真剣にやっているのは痛いほど伝わって来るけれども、なかなか問題解決まで進めないでいる。仕方がないと思うけれども、会議の原則なるものを教えてあげないと、堂々巡りで主催者側が行き詰ってきてしまうのではないかという懸念がある。大人でも議事法など学んだ人は少ないだろうが、これを委員会のメンバーにだけでも伝えようと思う。きっと子どもたちは吸収力があるから、簡単に理解してくれるだろう。

委員会のメンバーで決められた仕事を一生懸命にやっている子と、上手に逃げ回っている子がいるということで、委員長が涙ながらに訴えてきた。それで月曜日の5・6時間目を使って集会をしたいので時間を下さいと言ってきた。何を始めるのだかわからないけれども、会議にかけずに独断で快くOKを出した。子どもたち同士で感じる心がぶつかり合って、動き出した。こういったことを真剣に考え、勉強ばかりやっていればよいと言うということを自ら打ち消して、大切なことに気付いたことは何よりの財産になる。頑張れ皆!

顔が見えない

昔でもないが、インターネットに書きこむ2チャンネルというのがあった。今もあるのかどうかは分からないけれども、初等学部が始まった時にこの2チャンネルに散々な目にあったようだ。私はその2チャンネルそのものがよく分からないし、どのように作動して見られるのかもわからないので、周りの保護者が『散々な目に遭ったね』という言い方をしていたので、きっと散々な目に遭っていたのだと思う。誰かがそれをコピーして私にくれたものだ。悪意に満ちた悪魔のなせる技だと言って、そのままにして置いたら、保護者会があってその場で書きこんだ主が糾弾された。誰が書いたのか、どうしてわかるのかは分からない。

1年目で私は校長でなかったが、何かがあると引っ張り出されていたものだ。黎明期だから何があってもおかしくはなかった。だから覚悟の上であったけれども、保護者の意見は辛らつなもので、子を思う母心なのかそれとも自我の業なのかは定かではなかった。しかも顔の見える場で行われているのだ。私から見ると、気がふれたのかと思うほどの修羅場であった。修羅場とは人間界の話ではないということだから、その時の熱気と罵詈雑言の交錯する中で、じっとしていることが辛かった。耐えるということではない。そのような人たちとその場にいることが嫌だったのだ。幼稚園とは勝手が違う。

何を話しても無駄という気がした。あまりのひどさに『黙れ!』と一言言ったきりだ。でもそれは顔が見えているから、気持ちもわかる。困るのは顔の見えない中傷である。2チャンネルと同じように、言い放しというのは卑怯千万である。役所が私に確かに伝えたということを、証明するために書いているようなものだが、役所は教育者ではないので私に突っ込まれたら言葉に詰まってしまうから、仕事だからとはいえ大変な役回りだ。よく説明して下さいと言われても、顔が見えない。私は1月31日にこれからの学校について話をするといっている。

そして学校が変わる、変わってもらっては困るという風なことを言っている人もいるし、きのくにのようになっては困るという人もいる。きの国の堀先生とは2回ほどしかお会いしていないが、簡単にきの国を批判するのは慎むべきだろう。あの先生に負けない論陣を張ってから堂々と激論すればよい。彼は彼の手法で命がけで子どもを育てているし、その学校への応募する保護者が絶えることがない。一つ断っておくことがある。私は初等学部を屈指の有名中学校進学校にするなどと、おこがましいことを約束したことはない。私が中学校を建てたらどうなるのか。

私はそもそも教科書を丸暗記して成績が良いというのは一つの特技ではあるが、人間の成長の一部であるとしか思っていない。そんなことだけで10年・15年後の子どもたちが、社会で通用する大人になるとは思っていないし、信じてはいない。まずわが子をどのような子ども像をもって期待しているのか。わが子を自分の思うように育てたいなら、どこの学校へ行っても満足はしないだろうから、自分で思うようなカリキュラムを立てて頑張るしかないではないか。

幼小中の発達

幼少中とここまでできればしっかりとした人間像を構築することができるだろう。しっかりとしたというのは、自分のことは自分で決めるという人間としての自立のことだ。あと20年足らずで現在の職業の65%が無くなり、新しい職業になっているというのがアメリカの経済学者の言うところだ。多くはベンチャー企業だろうが、コンピューターを自在に扱えることは絶対に大きな強みとなる。パソコンを駆使し、新しい発見をしたりする人は重要に扱われる。どこの大学がどうかなどの話は全く聞こえなくなるだろう。時代が変わるのだ。

目まぐるしく変わっていく世の中に突入することは間違いがない。乗り遅れないように、アンテナを高く維持していなくてはならない。私はワープロが出てきたときにいたく感激し、その便利さに絶句するような文明のショックを得た。しかしワープロを習い図面まで書けるようになり、ほとんど自在に使えるようになったのだが、それに慢心したところがあって、そのあとに出てきたパソコンに見向きもしなかった。それどころか無視していたのだから始末が悪かった。全く乗り遅れたのだ。だからパソコンに入っていくのにとても苦労した。

ワープロができれば簡単に覚えられるよと言ってくれるけれども、キーボードは同じだけれども、内容が全く違う。これを覚えられれば、すごく便利で、USBメモリーなどというのが会って、簡単に保存もできる。これで図形や絵も書けるなんて夢のような道具ではないか。乗り遅れたおかげで習う気にもなれない。全く悔しい話だ。今さら習うより、若い先生方は結構自在に利用できるので、彼らにお願いしたほうが早い。とはいっても内心は自分でできれば楽しいだろうと思っているが、覚えようとする気力がない。

これは自分自身が世の中の動きに無頓着で、アンテナをしまっておいたことが原因で、取り返しがつかない。とても情けない話だ。幼少中と子どもたちを見るとなると、よくよくアンテナを巡らせておかないと、子どもたちの行く末を誤ってしまうだろう。コピーも三次元のものが作れる時代になってしまった。昔の人が見たら全く信じられないような出来事だ。コンピューターの画像解析などは最先端技術となって、パソコン一つでモノが作れるようになってしまう。沢山の冒険の経験を積んでほしいものだ。それが何よりの学習だろう。

4年生の収穫祭

ご近所の中山さんのおばあちゃんに子どもたちはよく可愛がられている。そのおばあちゃんに教えていただいた田植えから稲ができて、ご飯として食べられるまでの工程を左上の図に示されている。右上の写真はそのお米をおにぎりにしてお客さんに配っているところ。
      
熊谷さんも事務長も、いつも畑の作物づくりを教えて下さっている坂本さんも、勿論中山さんのおばあちゃんもご招待された。私もしっかりとご招待にあずかっている。左上の写真はみんなで上手におにぎりにしたのをお客さんに配っている様子で、右上の写真は招待された3年生がもみを脱穀しているところである。
      
左上の写真は脱穀されたコメをすり鉢の中にいれて籾殻を取り除いているところである。4年生の可愛いお姉ちゃんが、これまた可愛い3年生の女の子にに説明したり方法を教えているところである。右上の写真はやんちゃな3年生の男の子に、少し賢そうな4年生のお兄ちゃんが、瓶の中にいれた玄米を上手に精米することを説明したり実演したりしているところである。

余談になるがおにぎりが今年食べたお米の中で最高においしかった。おだかけして天日に干した米だそうで、毎年このような米を食べたいものだ。それに今日の子どもたちは、3年生も4年生も生き生きしていて、とても楽しそうだった。こんな授業の連続がいいのだろうな。生き生きと楽しくなければ学校なんてつまらないだろう。だから4年生は特別演出なんてことを考えて、アトラクションまで用意してくれた。何やら仮面をかぶって、なんだか分からなかったが。

卒業生にあってきた

昨年卒業した中学一年生に会ってきた。ビックボーイへ行ってたらふく食べてきた。私が沢山食べないと、みんな遠慮して食べないのではないかと、ダイエット中だけれどすごい開放感があって沢山食べてしまった。4人しか卒業していないから、私の乗用車にちょうど乗れるので手軽に連れて歩ける。彼らが初等学部にいたときには、赤坂御所の中まで連れて行って、お亡くなりになられた三笠宮寛仁親王邸に上がらせて頂いたこともある。ちょうど皇太子殿下のお子様と同じ年の子だったので、話も弾んだ。ここは東京見物に来ても、そのコースにはなっていないので、御所の中に入ることは普段ではなかなかできない。

前回あったのが中学校に入ってちょうど疲れてくるのではないかと思われる6月1日の日曜日にあった。だからかれこれ半年が経過しているが、仲間同士というのは屈託がなくて話の内容も遠慮がない。皆よく勉強も出来て、表彰されたという子もいる。今やっている彼らの勉強は基礎学だから、途中で下りるわけにはいかない。どこかで何日も休んでしまったらもうお手上げだから、少しづつでも続けていくことが大切だ。まじめな子どもたちだから授業が面白いと言っていた。徐々に専門的な学習に入るともっと面白くなるだろう。

一人は家族旅行に行ってしまって参加することができなかったが、次回会う日を決めてきた。彼らは大人のような会話ができるので、こちらもいらぬ遠慮はしなくて済むし、初等学部の6年生といえども、会話の先は読めるものだが、中学生になると読めないから面白い。それだけ視野が広まっているのだろうなと思う。それから彼らは6年生の進路について、気になるのか一人一人の名前を挙げて、私に尋ねていた。そして6年生全員の名前を挙げて予想などしていたが、なぜかよく当たっている。

今日は衆議院と県議会の投票日である。卒業生と昼食を済ませて家にたどりつき、楽しい浮いた気持で投票に行って来た。今年は投票時間が短縮されて夕方6時までである。差し迫った浮ついた政局でもないし、少数政党の惨敗に終わるのではないか。政権与党側は絶対安定多数を確保しないと思いきったことができないだろうから、大勝利を得なければならないだろう。もう絶対に民主党政権に戻すなどと愚かな選択をしてはだめだ。政権の変化は面白いけれど、素人政権はこりごりだ。

しばらく見なかった風景

家の庭にあるもみじがいつの間にか散ってしまっている。何日か前は真っ赤に燃えるような色をつけていたのに、もっとゆっくり見ておくべきだった。家の裏にある大きな土山に、山の下につながれているヤギがその山の中腹まで登って行って草を食べている。ヤギは何を考えているのか、いつも食べることだけしか考えていないのか、土山を登るときは、こちら側がよいとかこちらは危険だとかの考えはないのだろうか。それでも幸せなのだろうか。いやそのような意識は持てないのだろう。そのような意識が持てないほうが幸せなのか、それとも意識をはっきりと持てる人間のほうか幸せなのか。

あおば台幼稚園の周りの風景も少しずつ変わっていっている。南の道を挟んだ近くには住宅が建っているし、今日はその一角で住宅展示会か見学会をやっている。東側正面玄関の前は、少し前まで田んぼであったけれど、そこを埋め立てて空手道場が建った。これからは、道場に通う彼らが、幼稚園の警備を担当してくれるだろう。工事に来ている職人さんが自分たちが施工した側溝のところに座って、みんなでタバコをふかしている。ずいぶんとうまそうに煙を吸い込んでは吐き出している。物を作り上げるという自負心が、年老いた親父たちの顔ににじみ出ていて、力強い頼もしさを感じる。

私ももっともっと若かった時に同じような土方仕事をしていた経験がある。一日の日当が1600円だった。腕の良い職人さんは3000円。親方格になると3500円だった。日当が少なくても、それがどのような意味かをよく理解していたから不満など全くなかった。給料をもらって、ガソリン代を払うとあまり手もとに残らない。それでも意気揚々としていて、朝方まで飲み歩き、あくる日はしゃきっとして仕事へ出て行ったものだった。今のように土曜日曜が休みだなどと言われると、食えなくなってしまって日干しになってしまう。それでもなんだか、毎日が幸せだったような気がする。

あの時のことを思うと、今のほうが経済的には楽にはなった。いや、私の資産の話をすると結婚前より全く乏しくなって、話せるようなものではないが、生活そのものは文明とともに楽になっている。仕事にも恵まれ、子どもとともにいられる仕事は最高に素晴らしい仕事である。しかも運もよく小学校まで作らせて頂いた。何も不満はない、何か不満でもあるのかと自分自身を問い詰めてみると、都合のよいことを言ってのらりくらりと逃げてしまう。子どもと一緒にいられることは何事にも代えがたいことだが、それ以外はだれかにやってもらってもいいなんて、情けなくも逃げ出そうとする自分がいる。

今日は仲間の認定子ども園の認可になった建物の竣工式で、招待されて挨拶をしてきた。早稲田の応援団にいた凄い先輩だけど、彼も大変な時があったのだと思うと少し重荷が取れたような気にもなった。私も人生つきまくっているようだけれども、彼もつきまくっている。本人がそう言っていたから間違いないだろう。

 
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2014/12/12
アベノミクス
| by:塚原 港
安倍首相の唱えた経済政策で三本の矢にたとえられているものだ。デフレが進行し景気を何とか回復させるべく、日銀と協力して円安に持って行ったけれど、その間に消費税率を今までの5%から8%に上げたためにまた景気が落ち込んだ。消費税を上げないと、掲げた政策がうまく行かないこともあって、政策遂行のために円高是正をしたようなものだが、意外とうまくいかないものだ。野党が政権を取ったところで自民党よりうまくいくことはない。もっと混乱を招くだけだ。この際、圧勝して安倍さんには腰を据えて経済政策に取り組んでほしい。

円安で史上空前の莫大な利益を得た大手の自動車会社などは、為替で得た利益は為替で損もするという理屈で、その利益を下請けに回そうとしない。お金が大会社でだぶついているだけでなかなか下請まで下りて来ないのも、景気が停滞している所以でもある。大会社ばかりが潤っていて、中小企業までお金が巡回して来ないのだから、零細企業などはおこぼれもない。私たちの事業所などは経常費補助金が頼りで、まったくの他力本願であるので力の出しようがない。景気のよくなったという実感がないどころか、みんなは物価が高くなったから、実質給与が目減りしていると言っている。

以前の消費税から5%上がるわけだから、5%以上の給与を上げなければみんなの暮らしは良くならないではないか。まず所得が上がってから消費税をやったら良かったのではないか。まず塊より始めよで、公務員から給与を上げていくのはいかがなものだろうか。経常費は今年度はすでに決定していてこれから増額されるということもないから、昇給はどうしたら良いのか。私たちの仕事はブラック企業になってしまうではないか。新採の初任給をどうするかではなく、今いる教師の次年度の昇給について思い切ったことをしなければ、いつまでも彼らの犠牲に頼ってはいられないだろう。

私立学校の教師は公務員の教師と所得を比べられる。教育内容は私立独自のものがあるから、断然私立の方が選択余地があると思うけれども、学校教員になりたいというより公務員になりたいという人の方が多い。また私立の幼稚園教諭は公立の学校教員から比べると、情けないほど低給である。学校教員も仕事は良くするけれども、幼稚園教諭はそれと比べて優るとも決して劣ることはない。しかも私立の学校というのは、常に競争の中に晒されていて自己研さんを怠るとすぐにお払い箱になる。なのに公立より給与が低いのは納得がいかない。いつの日か、学校教諭も幼稚園教諭も同格の給与になることを夢見ている。

今日の餅つきはあおば台で行われた。仕事を休んでお手伝いに来てくれたお父様ありがとうございます。昨日からもち米を冷やしておいてくれたりして、またおいしいけんちん汁を作ってくれたお母様ありがとうございます。おかげで子どもたちは大喜びです。心から感謝いたします。

アベノミクス

安倍首相の唱えた経済政策で三本の矢にたとえられているものだ。デフレが進行し景気を何とか回復させるべく、日銀と協力して円安に持って行ったけれど、その間に消費税率を今までの5%から8%に上げたためにまた景気が落ち込んだ。消費税を上げないと、掲げた政策がうまく行かないこともあって、政策遂行のために円高是正をしたようなものだが、意外とうまくいかないものだ。野党が政権を取ったところで自民党よりうまくいくことはない。もっと混乱を招くだけだ。この際、圧勝して安倍さんには腰を据えて経済政策に取り組んでほしい。

円安で史上空前の莫大な利益を得た大手の自動車会社などは、為替で得た利益は為替で損もするという理屈で、その利益を下請けに回そうとしない。お金が大会社でだぶついているだけでなかなか下請まで下りて来ないのも、景気が停滞している所以でもある。大会社ばかりが潤っていて、中小企業までお金が巡回して来ないのだから、零細企業などはおこぼれもない。私たちの事業所などは経常費補助金が頼りで、まったくの他力本願であるので力の出しようがない。景気のよくなったという実感がないどころか、みんなは物価が高くなったから、実質給与が目減りしていると言っている。

以前の消費税から5%上がるわけだから、5%以上の給与を上げなければみんなの暮らしは良くならないではないか。まず所得が上がってから消費税をやったら良かったのではないか。まず塊より始めよで、公務員から給与を上げていくのはいかがなものだろうか。経常費は今年度はすでに決定していてこれから増額されるということもないから、昇給はどうしたら良いのか。私たちの仕事はブラック企業になってしまうではないか。新採の初任給をどうするかではなく、今いる教師の次年度の昇給について思い切ったことをしなければ、いつまでも彼らの犠牲に頼ってはいられないだろう。

私立学校の教師は公務員の教師と所得を比べられる。教育内容は私立独自のものがあるから、断然私立の方が選択余地があると思うけれども、学校教員になりたいというより公務員になりたいという人の方が多い。また私立の幼稚園教諭は公立の学校教員から比べると、情けないほど低給である。学校教員も仕事は良くするけれども、幼稚園教諭はそれと比べて優るとも決して劣ることはない。しかも私立の学校というのは、常に競争の中に晒されていて自己研さんを怠るとすぐにお払い箱になる。なのに公立より給与が低いのは納得がいかない。いつの日か、学校教諭も幼稚園教諭も同格の給与になることを夢見ている。

今日の餅つきはあおば台で行われた。仕事を休んでお手伝いに来てくれたお父様ありがとうございます。昨日からもち米を冷やしておいてくれたりして、またおいしいけんちん汁を作ってくれたお母様ありがとうございます。おかげで子どもたちは大喜びです。心から感謝いたします。

海外語学研修の経過

月曜日にグアムのセントジョンスクールへ向かった子どもたちの様子を、現地からK先生が報告してくれた。K先生の感想が私と同じような感覚であったのがうれしかった。私も現地報告とまではいかないけれども、帰ってきてから感想をこの欄に書かせてもらった。K先生の現地での報告を読んで、その時の自分の気持ちがよみがえってきた。あのような教育の主体では、それが正しいやり方だろうなと思っても、日本では受け入れられないだろうと残念に思う。

しかし私は残念に思うだけではとどまらないのが私の性格だから、必要だと感じたことは、特に3年生以上の子どもたちにはそれを試したりもする。それに偉人伝を読みその感想を書いて来るなどと言うのは、子どもたちの目標の支えを作るのにとても大切なことだと思っている。それが科学者とかだと、理科だの算数だのと教科に結び付けて考えてしまうのが日本の教育にいやらしいところである。そんなことよりその子の人生において大きなインパクトになればすごいことではないのかと思うけれども、教科にして作文の評価を考えてしまうのには悲しい。

アメリカの授業がすべて良いとは思わないけれども、自分がどう考えるのかと言う問題が多いことは確かだ。論文形式が多いのでそれに論評を加えるのにはそれだけの知識と哲学を持たないと、子どもたちを説得できない。まあどこの国でも立派な教師ばかりがいるとは限らないだろうけれども、できれば子どもの気持ちのわかる教師の集団にしたいものだ。勉強はどうするのだといつものようにたずねてくる人もいるだろうけれども、学習というのは子ども自身が内発的動機づけに従って机に向かうものだ。

幼稚園ではリヤカーの試験が終わった。子どもたちには生まれて初めての試験で、リヤカーの免許証いなんて世界にあおば台にしかない。年長を持つご家庭では、子どもたちがどのようなことをお話していたのか、記憶に止まっていることがあったら連絡長でお願いしたいと思います。車の免許と同じように、クランク、S型、横断歩道、車庫入れと大変難しいのがあります。自分の歩いている位置とリヤカーのタイヤの位置が理解できないと脱線してしまいます。今日の私は厳しい試験官であります。

もっとレアな話

1・2年生はつくばローズガーデンへ行った。イギリスやフランス生まれの種類のバラもあり、300種2500本のバラが植えられている。かつてはつくば市の市長をなさっていた藤澤さんも、今ではローズ爺と呼ばれているそうな。上の左側の写真はローズ爺から説明を受けている子どもたち。右側和ガーデン中央で集合写真。
      
ファミリアに別れて自分たちが気に入ったところで写生をしたり観察している様子であるが、バラに囲まれて気分がいいだろうなと思う。とても挨拶がよく、『この辺の子ではないね』などと来ている大人に言われていたけれども、子どもたちが私の顔を見て『校長先生!』なんて大きな声で呼ぶものだから、『この辺の子なの?』と周りの大人たちは方向転換してしまった。それはどうゆうこと?。
      
 幼稚園の子どもたちが食事をしようとしているところ。4年前は初等学部の子どもたちが次々と熱中症で倒れてしまって、このローズガーデンに救急車が何台も来たことがあった。
同じように来ていたあおば台幼稚園の子は誰一人として倒れる者はいなかった。
        
 逞しいあおば台幼稚園の子どもたち。幼稚園の時にペアだったお兄ちゃんが初等学部にいて挨拶に行ったりしていたけれど、小学生のお兄ちゃんは『悪いけど忙しいから』と恥ずかしそうにしていた。

ちょっと寒い日で雨

今日は雨で昨日のように半袖でいると肌寒い。けれども半袖のまま外に出て、雨の中を楽しんでいる子どもたちがいる。いつでも子どもたちは普通でないことをしたがる。それが子どもの特権なんだろう。だからそういったことを理解している大人は、そのような子どもの姿を微笑ましく見ている。そして子どもは大きくなっていくのだ。大人たちも実はそのように育てられていたはずである。多くの大人たちから寛容に許されながら育てられた。でも忘れてしまった。

雨に濡れて寒くなれば、濡れた物を乾いたものに取り替えたくなる。それを要領良くやれるのが小学生だ。どんなに濡れていても立ったまま動かないのが幼稚園の子たち。だから保育者はどんな天候の日でも四方八方に気を配り、広角レンズのように目を光らしていなければならない。初等学部の今日の保健室は、めまぐるしく児童の往来が激しかった。そこで親がいれば、親が何かと口を出して手を出すだろうが、いないということが幸いして、自分の力で何とかしなければならない。

子どもはみんな素直な子に育てたい。素直というのは、ただ大人に迎合し、服従を誓い従順に育てるということではない。それではロボットか奴隷であって人間として育たない。私の言う素直と言うことは、事にあたって損得を考えずに精いっぱいの力を発揮することだ。だから家庭教育の中で、損得の話を多く持ちだすと、素直な子は育ちにくいことになる。その上で男子は荒々しく勇気のある子に、女子は頭がよくて思いやりのある子に育てたい。

私は発達のプロで、それなりにアクションプランも立てることができるし、何人かの6年生を卒業させてきた。たまたま素直な子どもたちだったので運が良かったこともあるけれども、卒業した子どもたちはみんな素晴らしい。彼らは根が真面目であるということもあるけれども、きっと幸せになれるだろう。素晴らしい子を育てるために、絶対にしてはならないことがある。『お前はだめな子だ』『何故これが解らないのだ』というやっつける否定語である。

子どもの前で他を批判することも素直な人間を作るのには邪魔で、却って非社会的な子を作ることになる。大人の考える社会正義と子ども社会での社会正義は違う場合もあるから、自分が正しいと思っていることだけを押しつけるのは間違っている。なぜなら子どもは親の前で反論できないから、そのまま子どもが親の意見をコピーしてしまうと子ども社会で異端児になってしまう恐れがある。拘りを持たずに(刷り込みをせずに)意見を聞くべきであろう。

親は親としてプロだが、それがそのまま子育てのプロであるとは限らないので、プロの意見を取り入れるようにお勧めする。しかし断っておくけれども、子どもは最後には親元に帰さなければならないので、子どもへの責任は親が取るべし。しかし私たちもまた『子供への責任』から逃れることはできないことは当然のことだと理解している。