初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

保育参観

両園ともに年少の保育参観が終了した。一日一日成長していくわが子を見て、ご両親もさぞ目を細めて見つめているのだろうと察する。母親がわが子を見つめてほほ笑んでいる時の姿は、至福に満ち満ちている。子どもも、また母親も生きていることに満足している姿だ。子どもも多分、生まれてきてよかったと、言葉で表すことができなくても五感を通して十分に感じているはずだ。あのにこやかな柔らかい笑いは何物にも代えがたい至宝だ。

急がずに、一瞬一瞬を大切に、親子でいるときの流れを体中で感じて、共に幸せに暮らしてほしいと祈っている。いずれにしても時間が止まっている訳ではないから、この先色々な物や人に出会ったりし、仲間関係などや、他者との関係についても学んでいかなくてはならない。だからと言って先取りするようなことはやめて、今を大切にすることが将来において伸びやかなゆとりのある人間性を構築することができる。ゆったりと育てられた子は、他者に寛容になれるのだ。

自分とわが子に自信を持って生きていってほしい。自分には何が足りないとか、具体的に他人と対比してあれこれと欠点を探るような愚かなことをしてはならない。どのように努力しても完璧と言う訳にはいかない。私たちは、神や仏に優らないようにできている。だから全くの不完全だ。だからこそ、助け合い支え合わないとうまく世の中を渡れないようにできている。自分ばかりが足りないのではない。私も隣の人もみんな不完全だ。子を思う親心は、だれにも負けないではないか。それでいい。

今日は唐揚げ定食を作ると言う約束になっていて、幼稚園からトンで返して初等学部に来た。からりとキツネ色よりも濃く揚がった鶏唐は、子どもたちの大好物だ。だから誰も無口になっておいしそうに食べている。私のとっても嬉しい時間だ。こんなことができるのも今のうちだろう。何人ぐらいまでできるのか挑戦をしてみるけれど、100人を超えたらここに厨房を作って私は引退だ。早くそんな日が来てほしいものだ。

危機管理

何度か人生の中で危機に直面することがある。これは誰もが経験することであるが、その時自分はどのようにして、その危機を乗り越えてきたかということは、殆ど覚えていないのが実情であろう。人間て不思議なもので、不幸に陥った時のことはあまり具体的に覚えていない。そのせいなのか、災害を未然に防ぐ方法をテレビなどで盛んに言われているけれども、それでも防ぐことはできない。

油断と言えばそれまでだが、油断しているという自覚はないけれども、まさか自分はそのような目には合わないという根拠のない自信がある。時には根拠のない自信が必要な場合もあるが、ことが社会的現象に及ぶ場合や、広域的な災害などは、自分だけを避けて通っていくことはないだろう。これからは解決しなければならない社会問題が山積している。いつも人任せにしていると、いつしか取り残されてしまうことになるのではないかと危惧している。

日本人は従順というかお人よしなところがあって、問題が身近に起きても誰かが解決してくれるだろうと、なるべく自分の問題というようには取り合わないようにすることに慣れている。良いことなのか悪いことなのか、それが見て見ぬふりをする学習に一役買っている。余計なことを言って、火の粉がわが身に降り注いでくるのを避けようとする。孫子の兵法、「君子危うきに近寄らず」である。しかし「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺もある。

TPPの問題を何度か書かせて頂いたが、私が何を言ったところで反映されるものではないけれども、問題意識を持ってその推移を見つめていくことは大切なことだ。自由貿易の拡大で日本はどうなったのかを、生きた教材として子ども達に伝えていくのは、私たちの責務である。大きな社会事象のうねりが子ども達を巻き込んでいく。その時に、どの位置に立っていればよいのか、正確な示唆を与えることができることが肝要である。自分はそうありたい。

米国はオバマ政権になって、3兆ドルの赤字を作った。ポピュリズムに徹した結果である。その赤字になった分を印刷してばらまいたものだからドルは暴落した。日本も負けずに印刷して円をばらまけば多分円高は防げる。ドルを印刷して株投資に回すから株は下がらないけれど、雇用統計は改善されないし、主要産業の住宅建設についても斜陽である。今や米国国民がドルに不信感を持っていて、ニクソン以来の金本位制に戻す動きすらある。米国が咳をすれば日本は風邪をひくんだ。

栗ご飯

食べ物の話ばかりで恐縮であるが、今日はあおば台で栗ご飯を作ってきた。みそ汁の番だけしていたのだけれど、一応は私が栗ご飯を作ったということになっている。ご飯は塩加減を、みそ汁は味噌の量と味付けが私の仕事である。それでも子どもたちが来て「園長先生ありがとうございます」と言っていく。全く得な役割だ。各クラスに配膳をして食べ始まると「世界一おいしい!」という声が聞こえる。大したことがなくても、子ども達はありがたいものだ。

子ども達に派手に喜ばれると、サンマもやって見るかという気にもなってくる。保育者はやる気でいるようだ。幼稚園の先生の素晴らしいところというのは、子どもたちの喜ぶことをするのには何でもやってのけると言う、母親の根性にも似ているところだ。「面倒だ」とか「大変だ」というような、逃げる態度が皆無だ。お嫁さん候補ナンバー1であった時代があったが、頷ける話だ。ちなみに現在のナンバー1は看護婦である。まったく余計な話であるが・・・。

TPPは直接的に国民の暮らしに影響する。だから慎重にならざるを得ないが、今ごろなぜ唐突にこの問題がクローズアップされているのか。どじょうが、アメリカ大統領と約束してきたのではないかという噂もある。いつも米国の人気の落ちた大統領は、様々な手段を使って友好国に難題を押し付けてくる。矜持の心を持たない軟弱日本は、いつもカモにされている。国際貢献しろと言われて、大変な額を国際連合に拠出もしている。本来拒否権を持つ国が、その大半を担うべきではないか。

TPPの問題と言われているのが4つある。医療の問題、郵政簡保の問題、農業問題、公共事業の問題である。医療の問題としては、国民皆保険が自由診療となると崩されると言っているが、よく分からない。郵政簡保の問題は、株式を公開しろと言ってきて、多分外国人が参入してくるだろうと言うことだが、そんなもので郵政簡保が崩れるとは思えない。農業問題は深刻だ。日本の農業が壊滅状態に陥るだろうと言っている。いわゆる日本農業は米国に太刀打ちできないと言っている。

関税が撤廃されたら日本の農業は全滅という。関税のおかげで農業が成り立っているということを、堂々と言ってのける神経の麻痺状態。その分だけ国民は高いものを買わされているのではないか。彼らを助けるために、国民は余分にお金を出しているということを感じてほしい。公共事業に外国の参入を認めてほしいと言っている。この辺は良く分からない。日本の事業者が困ることはわかる。色々あるけれど、なぜそんなに性急にしなければならないのか。もう少し周知徹底した方がいいのではないか。そう思う。

レンコン

昨日話した「あしながおじさん」のところから頂いたレンコンの量が、ハンパじゃない。見た目には驚くような感じではないけれど、いざ料理に使うとなると、あるわあるわで天ぷらにすると言っても「どうする?」と顔を見合わせるほどのもの。頂いた10分の1ぐらいのものを洗って皮をむいて、厚いもので5ミリ程度のものだが、それを早速天ぷらに揚げる。カラッと揚げて早速口に頬張ると本当においしい。ついでに色々なものを天ぷらにするのだが、レンコンは全て完食で残らなかった。

あの量のレンコンを、どのようにして子ども達の腹の中に入れるかが問題である。何とか子どもたちが喜びそうなものを発案して、どうにか完食したい。私にとっては最高の嬉しい悩みだ。まったく欠食児童の時代を生きてきたものは、食い意地が張っている。戦後間もない頃、食うに食えない状況があちらこちらにあった。しかしみんな歯を食いしばって何とか頑張ってきた。私の家の両親もその部類で、新しい教科書を買うどころではない。まず食わなければならなかった。

勉強ができないのを教科書のせいにするつもりではない。生活保護世帯が、あの戦後のひどい時期よりも増えているという話を聞いたので愕然としている。生活保護世帯というのは、屈辱的なものだから、誰もがそこへ手を出さないで頑張ってきたから、戦後の復興を早めたのだともいえる。今は生活するにも格差があって、富める者と貧者との差があまりにもあり過ぎると言う。本当だろうか。かくて、生活保護を受けるのは、各部落に1世帯あるかないかであった。その世帯にはテレビも電話もないのだろうか。

あの時期よりもひどい時代になっているなどと到底思えないし、全く夢の中にいるようである。だとしたら、この現況から抜け出るには大変である。それはこれから来そうな世界大恐慌である。EUの債権の問題に端を発し、ギリシャの次はイタリヤである。イタリヤはGDP比率で120パーセントであるにもかかわらず、その震度は大きく、フランスでは赤字削減に国が動いた。日本はGDP比220パーセントである。必ずEUの債権を抱えている国には、少なからず近い将来不況の大波が来る。

子どもたちの将来を希望の持てるようなものにしてあげよう。さんざん60年以上も生きてきた者は、将来のある者のために余生を生きていこうじゃないか。もっとも先ほどの生活保護世帯が増えている話では、どこから進めてよいのやら困ったものである。私たちは将来を見据えた上で、子ども達に生きる力を授けていかなければならない。これからが大人として真価を問われる時だ。保護者も、私たちも共に腹に力を入れて頑張っていこう!。レンコンのように、先が見えないのが悔しいけれど。

美味しい昼食

今日は焼きそばだ。焼きそばの日は、幼稚園も初等学部もたくさん食べるので、あおば台にある厨房施設では、飽和状態になって作りきれなくなるので、初等学部の分は私が作ることにしている。いつもはみんな揃ってから学年の係りの子が『いただきます』をしてから一斉に食べ始まるのだが、今日はできた順から食べることにして、温かい焼きそばを食べた。皆がおかわりをするので、大人の60人分があっという間に終わってしまった。最後は1枚のキャベツや紅ショウガを争って食べている。中には『まだ僕は3杯しか食べてない』と不服申し立てをしている子もいた。

こんなに食べるなら1カ月に1回ぐらい作ってあげてもいいと思うが、どれくらいの人数までならできるのか見当もつかない。6年生が近くに寄って来て、驚いたように「わーおいしそう!」とか奇声を挙げて、挙句に「校長先生が焼きそば作りなんて、ほかの学校ではないよね」などと言っている。それが耳に優しくて気持ちがいい。腰が痛くて座りたくなったが、我慢しなくてはという気にもなってくる。早く6年生、違うところへ行ってくれないかな~と内心思っていたら、なんと椅子を差し出してくれた。

作り方のコツを覚えたから幼稚園でもできそうだ。今度手伝ってもらって焼きそば作りに挑戦してみよう。少しでもお母様の弁当作りのお役にたつのなら本望である。まあ今年中には結構行事があったりしてできないかもしれないが、必ず作る。幼稚園では私が食事作りをやることが保育になるけれども、初等学部は授業とは直結していない。食事作りが学校生活の中に位置付いていないということだ。これが青葉キャンプだったらそのまま授業になるのだけれど。

明日は天ぷら定食だ。あしながおじさんのところで採れたレンコンを学校で頂いた。レンコンと言えば正月に食べる酢の物や煮物に代表されるが、私はあの固さ加減が好きになれなかった。しかし家庭科室にあったレンコンを気軽に「天ぷらにして食べてみよう」と言ったことから、レンコンの天ぷらのうまさが病みつきになって「こんなにうまいんだー!」ということになった。その大好きになったレンコンの天ぷらを明日作る。レンコンだけという訳にはいかないので、野菜のかきあげや、ナス、ピーマン、サツマイモといったところも天ぷらにする。

そんなことを書いている私のところへ、4年生が全員で来て「3.14x☐」「この☐の中に16までの数字を言ってください」「暗算で答えられます」と言ってきた。なるほど答えを全部暗算でできるのではなく、答えを暗記してきたのだなと直感したが、一応16までの数字をいくつか言ってみると、全員で楽しそうに口をそろえて答えを言う。のぶTと話していたら、いちいち計算していたのでは試験では間に合わないと言っていた。なるほど、これが一つ上の算数かと感心した。

幼稚園児と小学生

幼稚園の中を歩いていると年長さんは『おはよう!』と元気な声で挨拶をしてくれる。年中少さんは大体まつわりついて来る。そして一方的に話しかけて来て、その話は取り留めもなく続く。主語を言わない話だから、何を言っているのか分からない。それでもしっかりと目を見て話を聞いてやらないとと思ってじっとしていると、話が終わらないうちに「バイバーイ」とか言って離れていく。一生懸命話すことを楽しんで、話し方を獲得する学習をしているのだ。聞いてやらないと話はしなくなる。

年少さんがダンボールでお部屋作りをしていて、出来上がったお部屋で楽しそうに遊んでいる。楽しそうと言っても、入口らしいところから出たり入ったりしているだけで「キャッ!キャッ!」している。そんなものだけれども、とろけるような顔をして、いかにも満足そうに笑っている。不惑の世界の天使たちだ。そんな子ども達を観ながらほほ笑んでいると、そこへ男の子が割り込んできた。思わずどうなるのかとかたずを呑んでみていると、女の子から猛烈な抗議の嵐で、それでも平気な顔をしている男の子は、女の子の実力行使にあって、足を引きずり出されてしまった。

その時に顔を少しこすってしまったらしく、痛そうにして泣きながら私の方を見ている。女の子たちは『大丈夫?』と心配そうに頭をなでてあげているが、気が入ってない。だから男の子は泣きやむ気配がない。まだ私の方を見ているが、私は何も言わずにその結果を見ようとしていたら、女の子たちは全く無視して次の部屋へ移ってしまった。まだ男の子が泣いているので、肩を抱き寄せて言ってあげた。「女の子は強いんだ、お前も強くならなくちゃ・・・なっ!」。男の子は泣きやんだ。

芦田愛菜ちゃんは何故可愛いのか。あのままじっとしていたのでは、いくら可愛い顔をしていてもやがて飽きが来る。あの顔と動きがうまくセットになっているから、可愛さが無尽に果てしなく広がっているのである。幼稚園での子どもたちの動きで、それが確かなものであることを確信した。つぶらな瞳で懸命に動き回る様子は、見ていて飽きないしうっとりするものがある。そのうちじっと見ていると、ひっくり返りたくもなる。男の子はあちこちと破壊し回っていて、うっとりと見られることはこの先もないだろう。可哀そうな一面もあるのだ。同性としては、ただひたすら励ますのみである。

そんなことがあって初等学部に来ると、野球場で子どもたちが遊んでいる。馬小屋の方から見ると、子どもたちが小さくしか見えなくて、ごちゃごちゃと交差しながら飛びまわっているのしか見えない。やがてその子どもたちが教室へ戻ってきた。やんちゃな1年生である。私がクラスに入ると、結構静かに席に着くことができる。そして一人の男の子が「野球場楽しかった人手を挙げて!」と立ちあがって言う。良くある風景である。すると男の子たちが「はーい!」と相談でもしたかのように手を挙げる。女の子はそんなことには無視。幼稚園も1年生男子もあまり変わらない。

学校説明会と入園考査

幼稚園では平成24年度入園考査が行われ、初等学部では今年度最後の入学説明会が行われた。午前中に両園を見てと思っていたけれども、右の耳が全然聞こえないので近くの耳鼻科に行ってきた。そんなことであおば台幼稚園だけを見ることができたが、第二には行けなかった。耳は小さいころ中耳炎をやったことがあるので、それが原因しているという。もう半世紀も前のことだ。どうも水が溜まっていたらしくて、それをプシュッ!と抜いたら少し聞こえるようになった。治療を続けたらもう少し聞こえるようになるらしい。なんだかとってもありがたい先生だ。

学校説明会は、もう何度かやっているので、そのたびに目先を変えたお話を心掛けてはいるものの、引き出しの中が空っぽになると恐怖を感じる。どうせ自分はこれしかないと言い聞かせても、保護者の圧力は凄いモノがある。昨日の説明会で、私の35年の幼稚園園長生活を振り返って、多くの保護者との懇談会や、話し合いから抽出してほとんどの話し合いが母親の悩みの解決であった。そこから、本来母子は向き合って、微笑み返しをしながら、幸せ感を持ったり人生の充実感を持つはずなのに、苦労や苦痛の話ではだめじゃないか。母親が幸せにならなくちゃ・・・・と思った。

幼稚園でも「子育ての基本は何ですか」と問われたときに、私は即座に「母親が幸せになること」と応えている。しかし日本の母親の多くは「私が犠牲になってもこの子だけは」と、野口英世の母親の残像に重なり合わせる。それで野口英世は幸せだったのだろうか。彼は母親の葬儀にも研究で忙しくて出席していない。彼は多分母親に感謝こそすれ、自分が幸せだったなど感じたこともないだろう。

母親の苦労や苦痛な表情を見て、どれだけ大金を積まれても幸せになれる子はいない。母親の笑顔こそ子どもの生きる希望であるし励ましなのだ。もともと日本には「犠牲になる」という概念は存在しなかった。つつましい生活態度の中から、自然に助け合う心があった。「犠牲こそ究極の愛の証である」と言ったのはフランスの詩人。いかにもキリスト教的な発想であるが、私はそうは思わない。人は助け合い、励ましあい、共鳴し、共に手を携えて同じ方向を向いて歩いて行けることこそ、究極の愛の姿だと思っている。「犠牲」はやめよう、周りを困惑させるだけだ。

今日は初等学部の子どもたちは行方郡へハンドボールの試合に行っている。彼らは非常に燃えている。この前の試合で初めて勝ったので、その勢いもある。三島由紀夫の書いた『葉隠れ』に、「死に物狂いという狂い方がある」という文節がある。この時期こそ彼らはそれに没頭できるのであろう。私は幼稚園で事務の仕事だ。これから長い道のりだから勝敗はどちらでもよいが、何か一つでも閃くことがあれば、それこそが大切だ。

TPPに一言。尊王攘夷ならぬ尊農攘夷である。かつて開国派の幕府と尊王攘夷派が戦い、結局幕府は大政奉還を強いられ、事実上攘夷派が実権を握ったが、その展開は思いもかけぬ速さで開国へと向かった。今は平成の開国騒動である。この問題の意見は、この紙面ではとても書ききれない。

ファミリア

ファミリアとは家族と言う意味だけれども、ファミリアで食べる5年生が作る自炊給食は実にうまい。おかわりの列が長蛇の列だ。全児童合わせてもたいした数ではないから長蛇といってもたいしたことはないけれど、1・2年生を気遣う3年生5年生の姿にうっとりする。確かに家族と言う気がする。優しさが育たなければ本物の強さは育たないから、とても良い傾向にある。

昨日1年生と2年生に泥んこパンツの購入を勧めたが、2年生の女児については家族の判断に任せますので強制はしません。大きなユンボがあるので田んぼを造ったり、泥んこプールを作ったりします。

幼少期はなぜ泥んこが好きなのかとのお尋ねがありました。
別に好き嫌いというジャンルでくくることではなく、内面にあるもやを吹き消すには泥遊びは最適です。しかも泥につかって周りを気にすることなくそれに没頭できることは、自己を開放することであります。それは夏にしかやりません。泥のぬくもりと母親のぬくもりを一緒に感じられるのでしょう。そうして気持ちを安定させていくのでしょう。もうひとつ、泥は子ども達の身近にある科学的な道具であるのです。水の加減によってどうにでも変化するとても感動的なものであります。

気持ちを安定させるだけのものなら、泥遊びに限りません。新聞破きや何でもいいから破壊的行動など、塗ったくり。全てストレス解消になるけれども、泥んこプールなどは最高にいいだろう。これは何も幼稚園の専売特許ではない。小学校低学年でも必要なことなのだ。「もう小学生なのだから服は汚さないで!!」などと無理解なことは言わないで。汚してくる服を洗える幸せをかみしめて欲しい。

内面の育ちはその年齢に応じた育ちを大切にしよう。能力はいくら磨き上げても良い。しかし年齢にあった言葉遣いが必要だし、遊びが必要だ。

初等学部のことばかり書いているようですが、幼稚園が基本ですから二つの幼稚園に行って気がついたことがあると、保育者を呼んで耳打ちをします。幼稚園も小学校も大切なことは子ども達が明るい笑顔を保っていること。気になることは一人で寂しい顔をしている子はいないかということです。今楽しいと感じていることの持続こそが幸せになる道です。私達は皆ファミリアですから。力を合わせて楽しく生きてまいりましょう。

やることがまだ残っている

脳梗塞と言う私には無縁だと思っていた病気にかかってしまった。病院に入る10日前頃からこのブログを書いていて変換すると、めちゃくちゃな文字に変換されていて、打ち方を間違えたと思い何度も打ち直しをしてみても同じ結果しか出なかった。多分パソコンが壊れたと思ってそのままにしておいた。

あくる日に続きを書こうと思って、普段どおりにキーを打ってみるとやはりうまくいかない。きっとこれは脳の仕組みが少し壊れたのかとそのろきはじめて思ったが、しばらく経つと治るのではないかと誰にもそのときのことは話さなかった。今度はパソコンの前に立つのが怖くなってブログもそのままにしておいた。

それから4~5日たって幼稚園で保育者にお茶を出されてそのお茶を飲もうとしたが湯飲みが持てずに、湯飲みを下に落としてしまい、湯飲みを割ってしまった。近くで見ていた保育者数名がすぐに車を用意して私を病院に運んでくれた。半ば強制的に有無を言わさず私を運んでくれた。私もよく素直に従ったと思っているが心から感謝している。

病院で自分の名前を書くときにうまく枡の中に入らなくて、自分自身でも「これじゃほんとに参ったな」と思った。即座に入院となったが、ベットの中で「今はまだやることが残っている。もう少し生かして欲しい」と真剣に祈った。

退院して(ほとんど無理やり)学校に来ると、ある子どもから手紙を貰った。「先生がかかった脳梗塞に良い生活」と不ぞろいの文字を並べて私にくれた。最後に「先生のかかった病名はわからなかったのですが、血管や血流に良いことを調べました」とあった。思い出して書いているだけでも熱いものがこみ上げてくる。「ありがとう」。

書きたいことがあふれている

今日の1年生は幼稚園でも通用するようなすごい動きだ。泥んこプールだと言ってわざわざ蛇口をひねって水溜りを作ってその中に飛び込む。ペットボトルに水を入れて頭からかける。泥水の中に飛び込んでいって水しぶきがあがるのがとても気分がいいようだ。まるで幼稚園の年少さんや年中さんのようだ。結構開放できたのではないかと思う。

2時間ぐらいやっていたけれど、担任も一緒になって泥の中を横断したりして、子ども達に泥水をかけられキャーキャーと言って騒いでいる。担任が一緒になってやってくれるので何も気兼ねせずに没頭して遊びに集中できる。幼稚園を経験している教師だからこそできることだ。ブランコに乗りながら「1時間目遊び」「2時間目遊び」「3時間目も遊び」「4時間目も遊び」と節を付けて歌っている。「オイオイいつ勉強するんだよ!!」と私が言うと、全員が私を無視して「5時間目も遊び」と歌いだした。担任が私の隣でげらげらと笑っている。いい風景だ。

子ども達が緊張感を持たないで堂々とそのような歌を歌っていることはとてもいいことだ。このような生活が学校の中にあるということを体感してくれただけで、これからの授業に集中して取り組むことができるだろう。遊びばかりじゃだめだけれど、教室の中にすし詰めにして机上の授業ばかりしていたのでは、こちらのほうが人間の育ちとして害が大きい。

これからこのようなことを頻繁に取り入れていくので、運動着だけでは着ているものが不足してしまいますので、1・2年生にはあおば台幼稚園で取り入れている泥んこパンツを、全員が購入していただきます。幼稚園と同じ1着1400円です。3年生でも欲しい人は連絡帳でお知らせください。泥んこをやるときにはその泥んこパンツをはいてやります。そうするときれいな制服のままで帰ることができます。

もひとつシャワー室が必要になりました。現在井戸を掘ることで業者の人と交渉中です。井戸ができたら水とお湯の出るシャワーを作ってあげたいと思います。男子の場合は外の馬小屋のところにあります。これはもともと馬のために作ったのではありません。今までそのような遊びがなかったために使われなかったのです。これからは両手両足をびゅんびゅん伸ばして生活できる学校づくりにまい進していきたい。シャワーもどんどん使って、勉強するときは一点集中型で取り組むことが必要です。

大きなユンボ(穴を掘る大型重機)を借りてきました。いよいよ池を掘る作業に入ります。池を掘って、川を作ってそこにカヤックを浮かべ、出てきた土で山を作ってそこで子ども達にマウンテンバイクを走らせる。そんなことを友達に話したら「霞ヶ浦を買っちゃえよ」だって。やるといったらやるんだ。子ども達が私のまねをするんだ。途中で決して投げ出さない。子ども達が描いたアスレチックを頓挫させてはならない。見ていてください。

まずは幼稚園Ⅲ

先日幼稚園の子ども達の黒目の美しさを名状しがたい美しさだと書いたがまったくその通りだ。ただの美しさだけではあまりにも軽軽しい。あの透き通った汚れなきむくな瞳はななにものにもかえられない。じっとみつめているとしばし時を忘れる。美しいものに多くの言葉は要らないが、是非にごらなくても良いものならば、そのままそっとしておきたい。

 

まあその話はあとにして。年少の子が最近よくないているのをみかける。その理由は何かというと、それがどうもわからない。多分集団の恐怖から来るものではないかと思っているが、これは集団に馴染めない子が暴発的にふるいたたせるエネルギーだ。だからその力は強くて十分すぎるほどの爆発力だ。これは、幼児が世に出るためのセレモニーだから余りきにしなくても良い。

初等学部のPTA総会

昨晩の雪が朝方にはうっすらと積もっていた。4月に入って今頃に降る雪など私の記憶にはない。この異常な天候。きっと今日の授業参観と総会を天地創造の神までもが一緒になって喜んでおられるのだろう。お陰で1週間前に満開になった校庭のど真ん中にあるサクラの花びらが落ちない。しっかりと額に収まっている花びらが、とてもけなげだ。そして力強い。

 

サクラの花びらを「力強い」と表現するのはおよそ私が初めてだろう。サクラはその花びらが暖かな春風に揺られて、さらさらとはらはらとゆったりと舞う姿がどうにも日本人の情緒にぴったりと合う。散り惜しむ人間の心の姿がサクラの木の下で行われる酒盛りなのであろう。サクラ散るわびしさを、酒盛りで押し隠してしまう心はとても恥ずかしがり屋だ。これが大和心のウィットだ。

 

あのサクラのこと、ずっと山桜と思っていたがどうも違う。ソメイヨシノではないことは確かなので近くにいる人に聞いてみたが、その名を知っている人はいなかった。なんとも負けず嫌いがいるもので「山桜とソメイヨシノの中間」と言う答えを出した。本居宣長は、古事記をその当時の読み方で編纂した国文学者であるが、山桜を評して「敷島の大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花かな」と詠った。語尾の「かな」が入ると字余りであるけれど、わたしはこのように暗記してしまった。知る人ぞ知るこれが土浦市の町名の由来である。

 

ずいぶん総会の話からそれてしまったが、総会が今終わって職員室の席に座ったばかりである。前段は総会までのウォーミングアップである。昨日幼稚園の父母会の会長のご挨拶についてコメントしたばかりだが、初等学部の前会長に今回の会長のお話もなかなか心がこもっていてとても優しさを感じるものであった。私は事務長から今年度初等学部の児童数と名前の入ったリストを頂いたとき、感激と感謝で思わず手を合わせてしまった。今でも仏壇のところにそのリストが置いてある。生涯忘れはしない。

 

会長のご挨拶は、まだ始まったばかりの初等学部だから、みんなで力を合わせて児童数を増やして楽しい学校生活を作っていこうと言うものだ。私の挨拶は、全クラスの子どもの様子を感じたままに保護者の皆様に伝えようと思って話し出したところ、時間超過で短縮を余儀なくされた。非常に残念である。話して聞かせたいことと、ホームページに掲載することとちょっと違う気がするけれど。子ども達のことをもっと話したかった。

まずは幼稚園Ⅱ

今日は第二幼稚園で父母の会総会があった。ーーーなぜ「まずは幼稚園」なのか。それはあまり初等学部にのっこみすぎて、幼稚園がおろそかにならないための戒めである。幼稚園も初等学部もどちらも100%の力を傾注することは当たり前のこと。是非ご心配に及びませんので安心してお預けください。幼稚園にしばらくいたから、初等学部でカルチャーショックにあっただけのこと、と言えどもそのショックはとても新鮮だ。

 

あの幼稚園での3歳児のポニャポニャプニャプニャした顔のところに、透き通った黒目の愛くるしさは、確かにこの世のものではない。神様や仏様の贈り物に違いない。大切にしないとバチが当たる。ホントのことだ。

 

242人中10人の委任状で232人の参加。この数字が驚異的だ。そこで新しい役員が決まった。前年度会長と今年度会長のご挨拶をフロアーから聞いていましたが、なるほど含蓄のある言葉が並んだ。保育者よりも保育者のようなところもあった。と言うより社会人として成熟に近いのかもしれない。私もしっかり勉強しないと追い越されてしまうと危機感みたいなものを感じたと同時に、あおば台はあのような素晴らしい保護者に支えられてここまで来たのだという、改めて保護者の力に感謝したいと心からそう思った。

 

子どもが脇にそれた行動や、家庭内暴力に陥る原因は主に保護者とりわけ母親の無関心を装う態度である。よくneglectと言う言葉を耳にするが、これがそうである。母親に子どもが言葉をかけているにも拘らず隣の奥さんと話し込んでいて子どもをおろそかにしてしまう。これもネグレクトだ。一度は子どもの話を聞いてあげればいいことだ。自分の意見を一方的に子どもに押し付けるのもネグレクトだ。あおば台ではこのネグレクトを一掃するように保護者の一人ひとりが少しばかり気に止めよう。

 

初等学部ではいよいよ3年生が書いた(設計した??)アスレチック広場の建設にかかる。期待してもらってもいいのだが、私が大将で手下なしだからなかなか進まないと思う。だが理想は遠大である。着実に少しづつ・・・。

まずは幼稚園

まずは幼稚園のことを書く。朝から雨模様で少し肌寒い。三寒四温ではなく二寒三温のようだ。そんな中でも大勢の保護者の皆さんが幼稚園に足を運んでくれて、保護者会総会が盛大に行われた。前年度役員の皆様、特に卒園児保護者の皆様も積極的に足を運んでくれたことに心から感謝したい。ついこの前卒園したばかりなのに随分前のような気がした。多分新しい子が入ってきて、園内の雰囲気が変わったせいかも知れない。

 

いくつかの委員会があって、その委員会にみんなが所属するけど出欠は自由という、まったく拘束力のない決まり??の中で、それぞれに仲良く助け合って生活できたらいいなと思っている。何といっても不特定多数の人たちが仲良くできるというのは最高の人間の知恵だから、そうして笑ってすごしていただきたい。母親の笑顔それが子どもにとって一番の幸せなのだから。

 

小雨降る寒い朝の中、足を運んでくれたことに重ねて感謝します。「ありがとうございます」青葉台の保育と子どもの発達については、これからのクラス便りや園便りでお知らせいたします。個別な事項については園長又は副園長がお話を伺います。遠慮しないで下さい。よろしくお願いいたします。

 

5年生のクラスで初めて食事をした。1・2・3年生のクラスを回っていたので5年生のクラスがまったくよその家のよう。何が違うかと言うと、端的に言って会話の迫力が違う。大人のようなと言うにはまだ遠すぎるけれど、明らかに3年生とはゼネレーションが違う。食事中の会話が私の頭のすぐ脇を飛び交っている。うるさいのではない。闊達な自己主張が部屋中に充満している。伸び伸びとこんな生活ができていいな~とそう思う。

 

そういったストレスを持たない生活の持続が大切だ。脳を活性化させるからだ。だから5年生の授業の集中力はすごい。そのような子がたまたま集まったのだといったら身も蓋もないが、教師の力もあるのだろうが、子どもの目が黒板やスライドに突き刺さっていて微動だにしない。あの子ども達の迫力がまだ私の身体を包んでいる。甘美なしびれだ。

初等学部のお昼の時間

初等学部の昼食は、担任のほかに専科の教師がクラスに入って一緒に食べる。私も万屋専科の教師だからどこかのクラスに入って食事をする。今日は1年生のクラスからのオファーである。

昨日は2年生のクラスであった。そこで私はちょっとしたジョークを言ったが、それはジョークでもなんでもないという酷評を頂いた。それが顔色一つ変えず淡々と「面白くもなんともない普通の話」だって。そんなことを言う2年生だ。少し手ごわいぞと言ったのが命中した。今度は手を変える。

 

1年生のクラスへ入ると私の食事の用意がしてあって、1年生全員が「みなと!!」「みなと!!」の大合唱。それでは少しおかしいことに気がついたのか「みなと先生!!」と呼び直す子もいる。明るくて元気のいい子ばかりだ。食べにくいものは残しているようだが、全部食べなければだめとか時間内に食べることなどの指示はまだ出してはいない。自分たちが時間内に食べようと言う気になってくれればそれに越したことはない。

 

仲間関係も平等にかかわりを持つような雰囲気が伝わってくる。この辺のことはさすが幼稚園の経験のある教師だけのことはある。目配りが行き届いている。徐々に信頼関係が深まってくると授業もやりやすくなる。1年生2年生3年生の教師は幼稚園の経験がある。だから外に出て鬼ごっこをしたりして一緒に校庭を駆け回っている。小学校の先生が最近では見られない光景だ。

 

かつて小1プロブレムといって、集中力がなくて授業にならない1年生のクラスがあった。そんなことはここでは異次元の話だ。騒ぎまわっているときも、集中して授業を受けているときも、みんなで一つになっている。そんな力を結集して、これから初等学部の生徒全員がスペインの哲学者オルテガの言う「精神的貴族」の道を歩んでいく。ご期待あれ!!。

 

そういえば昨日、冷たい雨の中を辻さんご夫婦が畳を運んでインスタントの茶室をこしらえ、早速お手前の授業をしてくれた。本当に申し訳ない。茶室が予算の関係でなかなか建てられないでいる。色々な人にお手数をかけてしまっている。恩返しは必ずしますからもう少し待っていてください。教師も児童も一堂に会して食事をするのに、とりあえず今食堂を作っている。

入園式が終わった

幼稚園の入園式が終わった。年々泣く子が少なくなっている。20年前は母親から離れられない子が普通であったが、そのような子は見られない。もっともあおば台の入園式は、隣に母親が座るようになっているので、不安がる子はいないのかもしれない。

 

親が見えない場所にあっては、不安を通り越してかなりの恐怖感を持つ。動物の中でこれほど弱弱しく生まれてくるのは人をおいて他にあるのだろうか。だからこそ、そばにいて常に安心安全の生活をして、人を信頼できる人に育って欲しい。「優しい人に育って欲しい」と願っていても安定した温もりの中でしかそのような情緒は育たない。是非心に留めて欲しい。

 

待機児童の解消と言うのがもっともらしく叫ばれているが、正しくはその対象となっているのは乳幼児である。3歳児未満の乳幼児が対象である。実態の分からないものが懸命になって保育所を沢山造れといっている。保育所は乳幼児期から入所でき、保育時間も長い。働く母親にはとても都合の良いものであるが、子ども側からみたらどうだろうか。乳児期に他人に育児を任せてしまうのは、個体発生の発達に合わない。うまくいった例を挙げて言う人もいるけれど、うまくいかないことのほうが大半を占める。

 

一方では母親が安心して子どもを産み育てることが出来る環境を作ると言いながら、保育所の増築だけでは本末転倒な話。母親の要求は経済的なことだけではないと思う。一番に必要なのは、子育てに対する社会の理解である。産まれてから1年ぐらいは、赤ちゃんの夜泣きなどで眠りにつくことができないで、悶々とした毎日を送っている母親に、優しくねぎらう社会が必要なのだ。家庭で安心して親が子どものそばにいてあげられる社会を作るのが本当の話で、保育所を沢山造って、親子を切り離すことを奨励しているような国策はまったくもって愚策である。

 

とにかく今日は、新入園児が始めて親元を離れて幼稚園に来る日である。朝一番に初等学部で子どもたちを出迎えて、そのあとは二つの幼稚園に行って、新しい子どもの様子を見るのと大きな声で挨拶をしに行った。「安心して楽しみに元気に来て下さい!」と言って歩いた。やはり泣いている子がいた。「ママー!ママー!」と保育者の背中にいても呼び続けている。「パパー!」といって泣く子は見たことがない。

 

母親がこういった状況を目の当たりにしたら、きっと子どもと一緒に泣いているのだろうなと思う。親も子もそういったことを経て成長していくのだから、思い出のアルバムの1ページにそっとしまっておけばいい。

 

偉そうなことを散々言ってきたけれど、保護者のご協力がなければ私たちは手も足も出ない。共に手を携えていくことを重ねてお願いをしたいと思う。これから、幼稚園の保育者ともどもよろしくお願いします。きっと素晴らしいお子さんになってお返しすることができます。

授業が面白い

昨日、英語の教師のゾルタンの出身地のハンガリーについて2年生の前で話した。その首都についてどのようにしてできたのかと言うことを話していたら、子どもたちは興味津々。それでは日本の首都はどこかと言う問いに全員が「東京!」と答えた。こんなことって・・・・?2年生で首都をやるの・・・・?少し驚いたが気を取り直して「東京ってなぜ名前ができたか知ってる?」と聞いたら、みんな黙って首を横に振り、困ったように私の顔を見る。その顔がうっとりするほどいい顔をしている。

 

2年生相手に勝ち誇ったようにしていたわけではないけれど、少しばかり言わせて頂くと気持ち良かった。それでしばらく2年生に会うと「先生東京の話してよ!」と言うことになった。今日はあの感激の入学式だけれども、午後の時間に2年生からオファーがあって授業をすることになった。例の「東京」の話だ。ひとしきり奈良、京都、東京の順に話を進め、そして子どもから「北京もあるよ!」の声。

 

何をやっているのか分からなくなって「今は何の時間?」と聞くと「国語の時間!」と元気に答える。今まで地理と歴史をやっていたのだが、子どもたちは良く黙って聞いてくれた。即座に国語の教科書を出してもらい、子どもたちに順番に本を読んでもらった。ここでまたひっくり返るような驚き!!。きれいな声で声優のような抑揚で見事な読み方だ。手ごわい相手だった。

 

楽しいよ!!初等学部。明日は1年生が来る。幼稚園の入園式もある。生きている実感が十分すぎるほど身体から滲み出しているようだ。

サバイバルが終わった

両園合同で行う初めてのサバイバルが、初等学部校庭で行った。少し風が吹いていて肌寒さがあったが、子供は風の子、この程度では音を上げない。校長は気温が低いのを気にして、未使用のクラスを温めて、そちらで食事をとったらどうだというようなことを言って気にかけてくれましたが、野外で薪を使ってうどんを煮ているのでそうもいかない。

 

ほぼ予定通り進行した。10時40分から50分までの間に到着し、まず校長先生にご挨拶をし、「よろしくお願いします」と元気な声で言うことができた。早速校庭に出て、桜の木の下で両園の子ども達が向かい合い顔合わせをした。そしていよいよサバイバル。

 

1周200メートルのトラックを15周した。今までは片道130メートルの所を10往復で2600メートル走ってきたが、今回は場所も変わったし、今までと同じにする場合はトラック13周となる訳だが、いかにも中途半端。そこで区切りよく15周にした。ルールは歩いてもいいが止まらないこと、おしゃべりをしながら歩かない。手をつないではいけない。それだけ伝えて、鍋がかかっているカマドのところへいって火を付けた。

 

保育者たちは昨日まで10州だと思っていたらしい。私がそう言っていたとのこと。年のせいか言ったこともよく覚えていない。しかし今までより少ない距離を走るのでは、子ども達もそれを知ったらがっかりするだろう。是非とも3キロも走ったことはあおば台始まって以来初めての快挙であると子どもたちに伝えて欲しい。

 

最初から歩く子はいないが、時間が過ぎると徐々に歩いている子が目立つようになる。それでも汗を拭きながら黙々と走り続けている子もいる。鍋の中の湯が沸騰するころには1着の子が「やった!」と私のところへ飛び込んできた。両園合わせての1着は第二幼稚園男子。2着はあおば台の男子。3・4と第二の男子。5着があおば台の女子。女子の1・2着はあおば台だった。1着になった男の子は他の仲間からも「駆け足はいつも速いんだよ」と言われていた。

 

続々と走り終わった子が集合してくると、「馬を見に行こう」とか「触ってきてもいい」などと言ってくる子がいて、次々に遊びを見つけている。しかし誰からともなく「まだ駆けている子がいるから応援に行こう!」という子がいて馬小屋からトラックへ小走りで移動が始まる。誰一人落伍者が出なかった。全員が走り終えた。よくやるよ子ども達。

 

次は「立派な年長」の導入があって、その次に生活発表会の劇遊びが始まる。子ども達のグループ名も劇の役柄になっていた。「泥棒グループさん」「警察グループさん」「忍者グループさん」とか保育者が呼んでいると、違和感もなくごく自然に集まってくる。楽しいな子どもの世界。

 

みんなよくやった。初めての経験の割には臆することもなく、堂々と最後までやり終えた。これからもそのような体験をたくさんしていこう。お家の方もたくさん褒めてやってください。あなたたちのお子さんはしっかりと最後までやり遂げることができる。何度でも頭をなでてやってほしい。

サバイバルの準備はOK

いよいよ3学期最初の年長のハードルが始まります。それは10数年前に始まった年長だけのサバイバル。最初の頃は、我が家の隣にあった背の高い雑草の生い茂る空き地で始まった。自分の身長よりも高い雑草の間を縫ってどこまでもまっすぐ歩くというものだった。仲間がいないと意外と心細いものだ。心細いものだから仲間の手をぎゅっと握って、互いに互いを頼る。ヒヤッとするその空間で、何かを発見してくるというものだが、そんな余裕はなかったかもしれない。大体20分ぐらいの時間だが、子ども達にとってはかなり長い時間に感じたかもしれない。

 

本来飽食時代に育った子達が、ちょっと厳しい、辛そうな活動をしたあと粗食に耐えるというものだったが、しばらくやってみたら、粗食が珍しく「こんなうまいものはない」ということになってしまった。いつの間にかサバイバルの後の食事が、とても楽しみになってしまっている。そうなると食事を用意する側もその気になって、少しばかりのバリエーションを加えるなどのことも無意識のうちにやってしまうものだ。

 

今年は青葉台初等学部で行う。初等学部の校長以下全員が快く迎えてくれる。あおば台幼稚園で保育者をしていた貴大先生が仲間に入ってくれる。どのようなことをするのかは私の頭の中だけにあります。ご期待を頂きたい。

 

昨日、私の友人が勤める大学で、保育者になろうとしている学生に話しをしてきた。講義と言って何かの教科を教えるというのは一切やめることにした。あの学生達が私から何を学び取りたいのかというと、レアな保育現場の出来事。質問の中に、仕事を速く覚えるのに何か秘策みたいなものはあるのかというのがあった。男子学生の質問であったが、真摯な態度でとても気持ちのよいものであった。

 

男女共にみんな優しい眼をしている。もっともっと伝えてやりたかったこともある。彼らが何も心配することなく保育者になって、いつも明るく子ども達と向かい合って毎日を過ごして欲しい。保育者になることに大きな夢を持ち、豊かな希望が持てただろうか。私にできることがもっとあったのではないかと省みる。私を呼んでくれた先生に感謝しながら、又一つ学ぶことができたことに「ありがとう」。

年長の役割

両園共に子ども達の弾んだ声が園舎一杯にこだましている。やはり幼稚園はこれでなくてはならない。子ども達のいない幼稚園はどでかい不気味な倉庫でしかない。いいな・・・子ども達の屈託のない笑顔。今の大人たちもそんな時代があったのに、どこかに置き忘れてしまった。いつの頃、どこに置き忘れてしまったのか。久遠返してみれば、どこかにぶち当たるはず。戻りたいとは思わないが、子ども達を前にすると自分が恥ずかしい。

 

年長はこの3学期で卒園してしまう。第2幼稚園で年長の合同集会があるというので、そこで「立派な年長」の話をさせていただいた。年長の保育者と前もって約束したわけではないが、タイミングがよかった。

 

3学期は特に年長さんに力を出してもらわなくてはならない。これからすぐに「サバイバル」がある。今年はあおば台と合同で初等学部でやる。自分の力をよく知って、まだやれると思ったら、力を出し切るのだ。そしてお友達を応援できる優しい心を持つ。

 

「生活発表会」がある。これはみんなが力を合わせないとできない。仲間のすごいところをみよう。そして一人でも多くの仲間の応援をしよう。仲間もきっと自分のことを精いっぱい応援してくれる。

年長さんのやることを、年中や年少さんが見ている。カッコの悪いことをしないようにして欲しい。幼稚園は年長さんという皆がいないとやっていけないのだ。皆の素晴らしい心がこの幼稚園を作っている。よろしく頼むよ。・・・・・このような話をした。皆の目は一直線にわたしのほうを見ている。目に力があって真剣そのものだ。

 

他人の口に戸を立てられない。ごちゃごちゃと外野が騒がしいようだ。理事の皆さんからも「おい、随分頑張っているな!」と連絡をいただく。私に何度も言わせないでほしい。私は子どもたちの幸せを見守るために初等学部を始めたのだ。思い違いをしている親の強引な欲求を満たすために始めたのではない。この先どのようなことがあっても不動不惑である。「子どもたちと共に生きる」。

 

建設委員長の高橋さん。かつて不動産鑑定士の国家試験を全国最年少で合格した秀才だ。つい最近まで破られなかったが、2~3年前に灘高の高校生に破られたということを聞いた。この人は法文を熟読しているから、文章に無駄がなくけれんみがない。人当たりも良く豪快で彼のファンも多い。私と苦難をともにした人だ。彼の意見を120%支持する。