初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

給食の時間

ファミリアの責任感の強い5年生から直訴があった。毎日給食の食べ終わるのが遅くて、休み時間がなくなってしまうので、週のうちに何回か学年別に給食を食べさせてください。というものであった。代案を持ってくるなどはしっかりしたインテリジェンスが働いている。早速給食の時間の食事の前に、全員が集まったところで話をした。『5年生から校長に食事の時間のことで直訴があった』『ファミリアの中で食事が遅くて遊び時間がなくなってしまうということだ』

この話は以前にも聞いたことがあった。毎年のことであるけれども、いつも食事の遅い子がいると、面倒見の良い子が残ってその子のそばにいて、まるで母親のように接しているということを見たことがある。面倒見の良い子だけ残して遊びに行ってしまうのは要領がよすぎる。直訴してきた子はあくまでもファミリアの責任ということを考えていたようだ。しかし食べるのが遅いという子の責任だけではあるまい。『いただきます!』をする時間の、集まる時間が不徹底であることも問題であるだろう。

自分たちに直結した話なので、全員がしっかりと話を聞いていた。それで今日はどうなったのかというと、十分に遊び時間がとれるほど食事の時間の流れがよかった。ということは、毎日ゆっくり食べている人は何だったのか。それでも残飯を出さないと言うのは見事という以外にない。残飯が出る時には必ずと言って私が作るときだ。量が計算できないというのと、足らなかったら可哀そうだという意識が働く。なんてったって戦後間もなく育ったのだから。

それからもう一つ。ファミリアオリンピックとオアシス開きについて6年生のある女の子からの直訴があった。ファミリアオリンピックの練習期間にオアシス開きがあるので、ファミリアの練習に支障をきたすから、オアシス開きを少しずらしてファミリアオリンピックが終わってからオアシス開きをしようというものである。これは6年生の提案なので、全員が納得して校長のところへ話を持ってきてください。学校として変更してもかまわないということを伝えた。最近子供からの直訴ばやりである。とても良いことだと感心している。

泣けてきた

17日は大変忙しい日だった。学校では今年第1回目の学校説明会があり、加えて第二幼稚園のプレイディがあり、親父主催の懇親会があり、そのあとで私の仲間の会議があった。この日は朝早くから出勤し、職員室の自分の席に座っていると、第二幼稚園の保育者たちが忙しそうにプレイディの準備をしているのが見える。さすがにてきぱきと動いている。

スクールバスが到着して、にわかに子どもたちの活気のある声が校舎中に響き渡り、今日の一日が始まる。相変わらず私は自席から校庭に目をやって、第二幼稚園の先生たちの動きを追っている。すると職員室から外に出る出入り口のところで、女の子と男の子が私と同じように幼稚園の先生を目で追っている。誰なのかなと思って出入り口の戸を開けて外に出てみると、第二幼稚園を年中のときに退園して外国へ行ってしまった子で、今年日本に帰ってきて3年生に転入してきた子だ。

1年生の妹が兄に寄り添うようにじっとしている。そして手には、年中で退園するときに担任が書いてくれた色紙をしっかりと持っている。それを無言で私に渡す。その色紙には担任の写真が写っていたので、すぐさま当時の担任を大声で呼んで、私たちがいるところまで来てもらった。息を切らせながらそばに来た担任が、その瞬間『○○君だよね!』と声をかけた。担任はそばにいる妹の名前まで覚えていて、彼女の名前も呼んだ。

男の子は3年間の空間を埋め尽くすかのように担任の顔を静止したままじっと見ている。幼稚園であったことを担任を通して思い出しているのだろうか。どんな気持ちで色紙を持ってきたのだろうか。担任の顔を視線を外さずに、じっと見つめていたのは、どんな思いで何を考えていたのだろうか。担任に会えて思いは通じたのだろうか。小さな胸の中で、何を感じ何を思ったのだろうか、そう考えていると無邪気な愛らしさに泣けてきた。

子どもたち

マララを読んだ後の感想で、6年生はマララが『女の子にも教育を!』と放送局へ行った年齢とそれほど違わない頃の話だから、『自分たちはできない』という声が聞かれた。しかしそんなことはないということを話してあげた。パキスタンという社会背景を話し、きっとみんなもそこで生まれ育ったら立ち上がったかもしれないと。勇気がないということではない。必要であれば立ち上がれる勇気はあるはずだ。もっと知識が沢山あれば、何とかしなくてはならないと思うはずだ。

5年生は『驚いた!』『すごいな!』ということを異口同音に言っていた。何か感じればいいし、このような積み重ねが自分自身の人間としての思いを作っていくものだ。みんな読み終わった後に一瞬静まり返っていたけれど、勉強をしたくてもできない人がいるということが信じられない様子だった。そこでマララのように勉強をするな!と言われたほうがいいのか、それとも自由に勉強はさせてもらったほうがいいのかを聞いたところ、全員が勉強したいということだった。それはそうだろう、ご両親が何のために初等学部に入れてくれたのか意味がなくなってしまうと言ったら、神妙にしていた。

        
とても面白い写真である。 左の写真は年中からこの前年長になったばかりの頼もしくなった顔の写真である。右側は無心に土木工学の基礎を学んでいる年少の姿であるが、だれが生徒か先生かというめだかの学校である。
         
 初等学部の児童たち。初等学部の人たちにはどちらが1年生で2年生だかすぐにわかるでしょうが、全く関係のない人にはわからないと思う。全員が私服になったら幼稚園の年長さんと変わりがない。   
      
左側は新入園児。3歳児である。右側は初等学部の新入園児(幼稚園の子どもたちと同じ)の姿である。共に共通なのは『かわいい』というところか。幼稚園では何をしていても学校で言うところの授業中であるから、年少はくたびれるはずだ。こんな面白い恰好をする子どもたちだが、6年生にもなると大人に近くなってくる。ゆっくりと育てたいものだ。

タリバンに撃たれた少女

教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女『わたしはマララ』という本を読んだ。彼女はパキスタンの北部にあるスワート渓谷で生まれ育った。父は教師だが母親はほとんど教育を受けていないという。男尊女卑が根強く残っていて、今でも女性は家事の仕事と子育てだけでよい。教育を受けるなんてもってのほかであるという風潮がある。スワートという地域はタリバンの支配地域にあり、イスラム原理主義による宗教支配が強いところでもある。

マララは父親に『女の子が勉強してはいけないと、コーランのどこに書いてあるの?』と何度か聞くたびに父親は、『コーランのどこにも書いてないよ』『勉強したい子はいくらでもしてもいいんだよ』と優しく答えていた。しかしタリバンの放送では、相変わらず女の子は学校へ行ってはいけない、学校へ行くようなことがあればその学校を爆破するという脅迫が続いている。身の危険を感じた周囲の人たちが、父親にマララを学校へ行かないように忠告するが、それどころかマララは地域の放送局へ行って『女の子にも教育を!』と訴え続ける。

そんなことをするものだからタリバンにも挑戦的であるように映り、名指しで脅迫を受けるようになる。スワートの住民は、マララが狙われるというより父親が狙われているとだれもが思っていた。ところがある日いつものように帰りのスクールバスに乗り込む。白のトヨタのダイナでワンボックスカーであるが、これに20人も乗るからこれ以上は乗れないというくらいすし詰めだ。後ろにはドアがないというから危険極まりない車だ。そのドアのない後ろからある男が乗り込んできた。その男は『マララは誰だ!』と言って手に持った拳銃から3発撃った。

マララ15歳であった。そのことによってマララは瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に助かった。そして回復した後に彼女は国連で演説をした。その演説の内容が最後の何ページかに収められているので、それを4年生以上の各クラスへいって読んであげた。4年生以上でないと理解できないだろうとの思いからである。彼女が地域の放送局の電波を使って『女の子にも学校へ行かせてください!』と訴えたのは13歳ぐらいのときだから、それほどみんなと歳は変わらない。

私がこの本を読んであげた時の感想は、各クラス様々であるけれど、『女の子なのに偉い』というのがあった。何故女の子なのにという言葉が出てくるのか。勿論男児のことばであるけれども、無意識のうちに女の子と男の子は違うというのがある。意外と家庭教育の中にはびこっているのかもしれないが、このようにジェンダ意識というのは根が深いものがある。世界の国には私たちが通常考えられないことが平然と行われている。私たちは現状の幸せを認識して、たくさん学び不幸な人たちに少しでも手を差し伸べることができたらいいね。ということを伝えたかった。

ジェンダフリー

ジェンダフリーと英語で言われているけれども、そもそもどこからこのような概念が生まれてきたのだろうか。ある日本の大学ではこの研究会があって、卒論にも採用されているということを聞いたことがある。男女雇用均等法ができたのはこの流れからである。また男女共同参画社会などと銘打って様々な企画がなされるのも、ジェンダフリーを表看板にしたからである。男女という性差をなくして、人間として平等に扱っていこうじゃないかというものだ。

ジェンダフリーなどとことさらに言わなくても、法治国家は法の下に男女は平等であるし、何故この言葉が嵐のように吹き荒れたのかを、私なりにそのもととなることを調べたり考えたりしたことがある。半ば遊び半分で調べたりしたものだから、それほど深くはないということを断ったうえでそのさわりを話してみる。

もとはロシア革命において、男女に別はなく互いに労働者である。という意識からロシア革命は労働者の苦役をなくすための労働者革命とも言われているが、何といっても女性の台所の仕事は、女性に負担を負わせるものであるので男女に差をつけるべきではない、という労働者階級闘争の頂点にいるレーニンが、男女解放をうたったのがどうもジェンダフリーの大本らしい。共産党革命とも言われているけれども、1987年(定かではない)にソ連崩壊とともに消滅した。

男女解放をうたった後の社会は、その結果どうなったのか。男女間のモラルが非常に低くなった。何かどうはき違えたのか、旧共産圏では私生児が多く、その子どもたちは大統領の養子となり将来には大統領の警護につくといわれていた。しかしいったん崩れてしまった社会は元には戻しにくい。共産主義革命と同じように、ソ連の崩壊とという東側の国々に起こったパラダイムシフトによって価値観が変わったかもしれない。

ジェンダフリーはあってもいいけれどもことさらに構える必要はないだろう。強いものが弱者を守ろうとするのは、当たり前の行動だから、そこには男女共同参画社会などといっても入る余地はない。性差がないと強く主張するのには違和感を感じる。人として同じ権利を持つのだからその権利を互いに認め合うことが大切だろう。また同じジェンダの問題だけれども、幼少期の女性の発達の速さをどう説明するのか、その研究はされていない。

毅然とした態度

嫌がらせを受けている子に、嫌がらせをする子を撃退する方法を教えた。絶対にうやむやにせず、大きな声でやめろという。ぼそぼそとした蚊の鳴くような声で拒否しても、それを面白がって続けてやられる。相手には絶対的拒否をされたということを知らしめなければならない。男児も女児も同じことである。声の出ない子はどうするのだなどと言ってはならない。拒絶をするならば勇気をもって、声を打さなけばならない。毅然とした態度が必要なのだ。

それは子どもたちが学校という社会の中で生きていく最初の難関である。しかしよく考えてみると、そのような嫌がらせを個人的に受ける子のほうが極めて少ない。興味のある子に対しての愛着的接触手段なのかもしれないから、絶対的拒否は少し間をおいたほうがよい場合もある。授業中に大きな声を出して授業妨害をするとかいう子がいるが、この子はあまり他人や家族から認められたことがない。自虐的でもあるし、自己顕示欲が強い。しかし自尊感情は非常に低いのではないかと思う。

『包丁を持ってくる』といった子の家庭は崩壊している。学校が両親を呼んで注意をして、このようなことがない様に諭したところで、聞く耳も持たないであろうし上の空であるだろう。子どもがとんでもないことを口走っているけれども、子どもの責任でないから子どもを叱っても何の解決にもならないし、叱ってもこの子が治るわけでもない。両親の子どもへの無責任さに果てしない憤りを感じる。これから生きていくこの子の一生はどうなってしまうのか。

良く『二十歳にもなってこんなことが理解できないのか』と言って警察で取り調べを受けている子をテレビで見たりするけれど、いくつになっても教えられないことはわからないし理解できない。狼に育てられた子はオオカミの生活習慣を学ぶのだ。人として生まれ、人間社会に溶け込めないで反社会的になって、他を傷つけたりして生きている人は違った価値観や生き方を見つけられなかった。親の一方的な優しさだけでは育たない何かがある。

現実にこのような子がいることを考えると、あおば台の両幼稚園や初等学部に居る子どもたちは幸せなものだ。親の愛情をたっぷりとあふれるほど戴き、何不自由なく暮らしている。幸せを実感している人は人に優しくできるし、人を幸せにすることもできる。幸せを感じたことがない人は人に優しくできないし、人を幸せにすることができない。全く当たり前のことだ。だからうちの子たちは、人を幸せにできる素晴らしい人になれるだろうし、なって欲しいものだ。

土曜日の話(1年生の集い)

卒園してから2カ月余りだけれど、両園ともにほとんどの子が遊びに来てくれた。元気という文字が体中から飛び出して、目がきらきらと輝いている。だいたいいつも決まって、小学校で困っていることはないかということと、算数や国語で困っていることはないかということを聞く。授業で困っているということはない様だが、乱暴な子がいて困るということを言っていた。

乱暴な子と言うのは大人から感じると取るに足りないような事柄が多いけれども、小学校低学年ではこれが恐怖だから、丁寧に見てやらなければならない。登校班でも登校のときには上級生がいて、上級生が面倒見の良い優しい人だと救われるけれども、この上級生と合わないと毎日が恐怖だ。集団登校も善し悪しだ。恐怖などと大げさに言っているようだけれども、決して大げさな言いようではない。子どもにとっては気がふれるくらい嫌なものなんだ。

給食の時間が短いという保護者からの話があったが、あおば台の子は最後まで残さないように食べようとする習慣が付いているので、ゆっくりに見えるのかもしれない。牛乳なども飲みたくない人はストローを挿したまま残飯入れに捨ててしまうというのを聞いたが、青葉台初等学部にはそもそも残飯入れがない。幼稚園と同じで食べきることを目標においている。食べたくないということがないのである。食材や量などに神経を使っているし、作っている人たちの愛情がこもっている味が違う。

すぐに宿題が出て、遊ぶ時間がないと嘆いているという。小学校の教師をしていてさえ、子どもの遊びは頭脳の訓練に無駄がないと言うことを知らない。宿題を多く出していればそれで授業の継続を図っているぐらいに思っているようだ。1・2世は宿題はいらないのが私の持論だが、それにはしっかりとした裏付けもあるし理論武装もしている。

教師が怖いというのもあった。新入学児童に対して、まず最初に教師への服従を強いるのは最低だ。物騒な子もいるようで「明日包丁を持ってくる」等といってる子がいるという。学校に連絡して早めに対処するべし。反社会的な言葉を使うにはそれなりの理由があるけれども、この子は必ずやるから今のうちに芽を取らなければだめだ。

劇ごっこ

第二とあおば台幼稚園で発表会と同じような劇を見せてもらった。どちらも共通して言えることは、やらされているということではなく、自分たちの劇を自分たちが中心となってやっているという、非常に積極的な雰囲気が印象的であった。もう少しで発表会ですが、保護者の皆様も楽しみにしていると思います。是非体調を崩さないように、当日には全員の子ども達が出席できますようにお願いいたします。

劇遊びは幼稚園の子どもたちでは大変難しいのではないかというのが、幼児教育に携わる者の共通の認識であります。それは表現の分野でありますが、役に成りきって表情を作るとか、その劇の背景などを消化できないだろうというのが主な理由です。大人の視点が実際の劇場での芝居を見るところにあるから、子どもの劇遊びを難しくしてしまうのです。子ども達は演ずることが大好きです。

ステージに上がったあおば台の子ども達の顔を見れば、劇の楽しさが良く出ていると思う。年長と年中では1年の隔たりしかないけれども、劇遊びの狙いが違うから、発達が見易いのではないかと思う。子どもたちの自信にあふれた、満面ニコニコ顔の素晴らしく輝いた顔を見られるのももう少しです。どうぞご期待下さい。

フィンランドのような

フィンランドの国民が資源のない国家が生き延びていくには、教育に力を入れる以外にないという結論を出して、大体所得の45パーセントから50パーセントの税金を納めることに同意をして今の体制がある。日本でも所得の多い人は50パーセントぐらいの税金を支払う人もいるだろうし、消費税が10%になればさらに税金は多くなる。税金というのは固定資産税や、市民税、社会保険税、源泉税、なじみはないだろうけれども労働保険税などもある。会社を経営している人は世界一高い法人税などがある。

考えてみれば結構税金を支払っている。フィンランドは国家予算の12%を教育費に支出している。それで大学まで無償で進学できるようになっている。勉強の嫌いな人が学歴を取得するために大学へ行こうとしても、高校の卒業試験で大学入試の資格を得なければならないから、それは無理だ。しかし職業を選択する場合でも専門の学校があって、そこから向学心に燃えて再度大学に入ることもできる。良い制度に感じる。

日本の官僚は最高の学歴を持って国の行政を仕切っている訳だが、国民のためにというよりは省内の組織を守るために汲々としているように映る。天下りだとかわたりというものが国民の血税を自分たちのために使ってしまう。それでは頭は良いけれど人が悪いではないか。そんな人ばかりではないけれど、天下りとわたりだけでも相当な予算が付けられていることは確かだ。

そのお金で学校の一クラスの定員を減らすとか、保育所を建てるとかいうように考えられればいいのだけれど。そんなお金で制度の変更などできないという人がいるかもしれないが、一度にやらなくても何年度からやるという風に計画すればできる。なかなかフィンランドのようにはいかないけれども、義務教育の学制を決めたのは日本の方が早いのだから、もっと真剣に考えてもいいのではないか。

今日は豆まき。幼稚園でも初等学部でも子どもたちの歓声と同時に鬼の役になった教師は子ども達から逃げながら、子ども達にとっては楽しい時間であったろうと思う。しかし豆が少ない。初等学部では豆を鷲頭神ではなく指に挟んで鬼にめがけて投げる。投げた後にすぐさま下を向いて『リサイクル・リサイクル』と言って豆を拾う。豆まきだか豆拾いだかわからない。それでも子どもたちが楽しい顔をしていればそれでいい。

小保方さんってすごい!

ⅰPS細胞を作り出した山中教授に続いて新型万能細胞STAPが理研の小保方晴子さんから発表された。30歳の女性と聞いて、二度驚きだ。現代のキューリー夫人のような気がする。英国の科学雑誌に投稿して、生物科学を愚弄するものだと一蹴されたときは、一晩中泣き明かしたという。今彼女にそう言った学者はかなりの負い目と羞恥心で己の心に恥じ入っているに違いない。すごい人がいるものだ。

実験に実験を重ねて、今日駄目だったらもうやめようとか、明日一日経って見て駄目だったらと、悔し涙と共に何度も眠れない日があったと言っていた。そうして5年の歳月が流れたと。あきらめることに成功はないと、あきらめには明日はないということを子ども達に話してきたが、今回のニュースは子どもたちへの良い知らせになる。

何かをなすことは大変なことだ。誰もが分かっている。しかしそれを確かに継続し、どこかで歯ぎしりをしてでもやり通さなければならないことがある。それができるかどうかで人の価値が変わる。忍耐力のない、すぐにあきらめてしまうような人間に育ててしまってはならない。そんなことは分かっているだろうが、ではどうしてそのような子が育ってしまうのか。しっかりとした目標を持てないからだ。

大人に従順な子でなくてもいい。多少言うことを聞かなくてもかまわない。しかし自分の良心と希望には従順に従うべきだ。目標に向かってまっしぐらに進んでいく子どもに育てたい。

フィンランドの学校

フィンランドの学校建築についての講演会が文科省の第一講堂で開かれた。主催は国立教育政策研究所である。誘いのダイレクトメールが来たので興味があったので参加してきた。フィンランドと言えばOECDで調査している、15歳の学習到達度(PISA)でいつも上位にある国である。そんなこともあって教育内容なども聞けるのではないかと思って期待を胸に参加してきたのだが、結果的にはフィンランドの総合学校〈小中学校〉における校舎の工夫が主となっていた。日本からは富山県にある小中連携の学校建築が紹介された。

フィンランドは1年の半分が冬で、夜が長いという大きなハンデがあるにもかかわらず、そこでの教育の質の高さはどんなところにあるのだろうかと、ますます興味がわいてきた。まず国民に平等の教育機会を与えるということが大前提にあるということは魅力だ。誰でも高校へ行けるし大学へもいける。それはすべて無償である。国がすべて面倒をみるのだ。大学入試は高校卒業試験を充てる。

総合教育学校(日本の義務教育にあたる)ではテストがない。生徒の学習到達度は担任の教師が分かっているはずだから、通知表みたいなものに克明に記述される。日本の学校にはテストがないという学校がない。全国統一テストや期末中間テストなるものもない。テストの結果によっては自信を深める子どももいるだろうが、その反対もある。フィンランドのようにテストがなくても、やる気を起こして頑張れる子どもはどうすれば育つのだろうか。

できないことはない。しかし私学では成り立たないことが多い。まず保護者がそのような学校を選ぶだろうか。子ども達にもっと自由な時間を与えて、自然の事象に自ら考え、それをしっかりとサポートできる教師を養成すること。毎日の授業に生き生きと参加することができれば、能力は必ず伸びる。ひとクラスの定員を、少なくとも15人以下にしてきめ細かな指導ができること。この部分だけは何の努力もせずに達成できているが、私学では大変だろう。

餅を焼いた

昨年の餅つき大会で大量ののし餅を作ってくれたので、その餅を小さな四角に切って、子ども達の口にちょうど良くしたものを炭火で焼いた。あおば台は山の前で、第二は倉庫の前で焼いた。どちらの園も炭おこしが上手で、私が園に行って焼き始めようと思った時には真っ赤に燃えていて熱くて近寄れないほどであった。ジョイフルで購入したアウトドア用のコンロであるが、その中で燃え盛る炭を均等にならして焼き始めた。

焼いた餅を醤油につけてのりでまいたものを、クラスの数だけそろうと担任が子ども達の先頭にいて、座るところを探して着座すると、皆がそろって『いただきま~す』と言っておいしそうにほおばる。皆とても行儀が良いのには驚いた。こんな時は『しっかりやらなければ』という気持ちが前面に表れてくるようだ。『先生!』『家でもおもちを焼いて食べたけれども園長先生の焼いたお餅は超おいしい』と、涙が出るようなおほめの言葉も頂いた。

次々と焼きあがってくるお餅がトレイの中に並べられるが、それが自分のところへは来ないということが理解できると、何だかんだとお世辞を並べていた子はどこへやら姿を消してしまった。子ども達の他愛のない言葉や、ありったけの賛辞を並べてくれる優しさに、しばし恍惚としていたけれども、ふと次の餅焼はいつにしようかと考える。お雑煮にして食べようかとも考えた。

初等学部でも同じようなことをしたけれども、アウトドアで炭火焼ではなくて、職員室で石油ストーヴを囲んで、私一人がちまちまと餅焼をする。ストーヴも正面に長いこと座っていると、腿のあたりが火傷しそうになる。ぐっとこらえながら焼きあがった餅を大きなお皿に乗せて、クラスごとに配達をする。まるで子ども達のサーヴァントだ。サプライズだからクラスのドアを開けた時から子ども達の歓びの歓喜に満ちた顔が飛び込んでくる。子ども達と一緒にいる歓びの一瞬である。これがたまらない!。

普天間飛行場

世界の飛行場の中でも最も危険な飛行場として名高い。私は沖縄には4回ほど行ったことがあるが、そのうちの2回は宜野湾市に行って、普天間飛行場を見学させて頂いた。近くに小学校や病院があって、一時も早く移設を願っていたのは他でもない沖縄県民でなかったのか。名護市の市長が移設反対派の市長が当選したからと言って、国の計画や県の計画が白紙になるとは考えにくいが、マスコミがこぞって国に反対の手をあげているようだ。

国民投票でそうなったのなら頷けないこともないけれど、たかだか2万票ぐらいの事で国の方向が変えられるとしたら、それこそ独裁政治ではないか。名護市も独善的で、普天間飛行場近隣の危険な状況を何とか回避してあげようという気はないようだ。そもそもあそこに軍の飛行場があること自体がけしからんという気持ちもわからないことではない。が、日本は戦争に負けたのだ。沖縄県民も日本人ではないか。

先の大戦で負けたおかげで沖縄は占領され、返還されたのは佐藤総理の時で、その時のニュースは、日本国中変換一色に染まっていたからまだ記憶にある。沖縄県民は地上戦もあったし、本土よりは言葉に言い尽くせぬような辛く悲しい思いをしたということは理解している。本土にいる人だって、多くの肉親を亡くしたし、その苦しさは比べられるようなものでもなかろう。戦争が悪いんだ。もういい加減に怨讐を超えて、あの危険な飛行場を回避してほしいものである。

過去の戦争は誤ったものであるけれども、誰かれの責任を問えるものではあるまい。戦争に負けたのは私たちの責任ではないし、靖国神社参拝に反対する理由もない。むしろ他国からいちいち干渉される問題ではない。日本人として誇りを持って強く生きていく以外にどのような生き方があるのか。韓国や中国は安重根の記念碑を建てて、日本国民を卑屈ならしめようとしている。昔の事だったらすぐにでも戦争だろう。

歴史認識のないのは彼らだ。伊藤博文は当時世界でも最貧国だった韓国を併合すれば、日本国が疲弊すると言って最後まで併合することに反対であった。異論百出したが、併合した上で、わざわざ朝鮮人民と日本国民は同等であるというおふれまで添付した。お陰で今の韓国は清国やロシアの進駐を防ぐことができた。反対した伊藤博文が朝鮮総統に赴任したことが皮肉だ。日本国民として一番大切なことは、決して卑屈になってはならないということだ。

サバイバル

幼稚園二園の年長さんと初等学部の児童とでサバイバルを行った。10時40分には初等学部の校庭に全員が集合し、まずは対面式を行い、初等学部の児童と幼稚園の園児3~4名で一つのパーティを組み、そのパーティを初等学部の児童が責任を持って遂行するという形で行った。ぽちゃぽちゃ顔の1~2年生も今日の顔は少し力が入った。

コース作りは学校の周囲を回るという案もあったが、陸の孤島のような僻地であってもたまには車も通るので、幼稚園の子ども達と一緒では危険が増加するという心配もあり、校内に作ることにした。手作りの大型滑り台の前から、講堂の裏を通り理科室の前を抜けて、大きな山の山登りをし山を下る。オアシスの前を通りUターンをし、くじら川の橋を渡り、駐車場の前を通り馬小屋の前を通って元のスタートの位置までを1周とした。その距離800メートルを3周する。

幼稚園の子たちは力いっぱい走ることができるが、初等学部高学年児童は幼稚園の子たちを心配しながら走らなければならないので、少し欲求不満が残ったかもしれない。けれどもそんな素振りも言葉も出さずに、食事が終わるまで幼稚園の子どもたちの面倒を見てくれた。食事の熱いうどんを食べる時も、幼稚園の子ども達に先を譲ってくれたし、おつゆを入れるときにも心配そうな顔をしながら見守っていてくれた。幼稚園の子は最後まで伸び伸びと遊ぶことができたし、初等学部の児童の優しさがずいぶんと引きたった一日だった。

最後にこれは書かなくてはなるまい。幼稚園の子が座りこんでしまって、先に進めなくなってしまったが、初等学部の子は先に進むことよりも、懸命にその子の状態の状況判断をしようとしていて、無理に立たせようとせずにずっと待っていた。もう他の子たちは2週目を終わろうとしているときである。私はその子をうっとりとして見ていた。このような子たちに囲まれて育ったら、心の優しい立派な子に育つことは間違いない。

学校を選ぶ

初等学部は私立の中学校へ行こうとする児童が多い。子ども達だけで自分はどこの中学校へ行きたいなどと、誰かの助言や示唆がなければ選びようがないはずだけれども、5年生の全員が、そして4年生の殆どの子が目標としている中学校を選んでいる。私学に通っているからということも大きな要因だと思うが、それはそれで普通の公立に通っていたらそんなことはこの近辺では稀であろう。すごい体験である。

学校を選ぶとなると必然的に学校のランクというのが付いて回る。これは殆どが大人社会のランク付けであるけれども、それを子どもたちが素直に継承してくる。そこまでは良いけれども、必ずと言っていいほどランク上位を狙う子たちは、ランク下位にある学校を何らかの形で蔑んだり侮ったりする傾向がある。これはよくないことだ。受験における学校教育なんて、これからの人生を考えればほんの瞬間に過ぎない。

難関の中学校を合格することは、それなりに評価すべきであるが、それは人生における一過性の出来事であるから、気を引き締めて謙虚に行動することが好ましい。学校をランク付けすることが、それが人間性をランク付ける事ではないということを、両親が子ども達に言い聞かせねばならない。そんな思いあがった傲慢不遜な子どもに育ててはならない。もしそういった子どもがこの学校で育ってしまうようなことがあれば、学校としての意味をなさない。ご両親は、よくよく気を付けてほしい。

大学を卒業して、社会に出てどのように勝負できるかということが究極のプロセスである。どれだけ素晴らしい大学を出て、優秀な成績を収めても、その人間性に欠陥があれば一流企業の人事部では採用してはくれない。意見を持たないと一人前の社会人として扱ってくれないが、独りよがりな独善的な意見では話にならない。精神的貴族の卵をしっかりと温めて育ってくれることを心から望んでいる。

賀詞交歓会・病院・昨日の続き

賀詞交歓会に少し早目に行ったつもりでいたけれども、受付にはかなりの人出で混雑していた。一時間にわたるセレモニーの後にようやく乾杯があって、セレモニーの間にもううんざりして、何度もあくびをしている者もいた。私の座っている目の前にはレンコンの天ぷらが並べられていて、学校で食べたレンコンを思い出しながら挨拶を聞いていた。乾杯の後に早速レンコンに手を伸ばしたけれども、学校で食べたレンコンの方が素材が良かったのか数倍おいしかった。賀詞交歓会の感想はこんなもの。

久し振りに検査のために病院へ行ってきた。急患の出入り口から入り一般受付までの通りの両脇に、長椅子が置いてある。そこに腰を曲げて座っている人たちは、平均年齢がかなり高い人ばかりだ。血色も良くないし、会話もなくシーンと静まり返っているが、大勢の人が座っている。何とも不気味な通りだ。病院だから活気にあふれているというわけにはいかないけれども、会話だけなら活きの良い会話ぐらいできそうなものだが。

一番活気がある?のは採血室だ。看護婦さんの患者の名前を呼ぶ声に力がある。しかし何故そのようになってしまうのかというと、名前を呼ばれても返事をしない人が殆どだからである。何度も呼ばれているのに、明後日の方を向いていて、挙句の果てに動きはスローモーションだ。看護婦さんの声も徐々に高まってしまうのは当然である。ああ~私もいつかは誰かにそのように見られてしまうときが来るのだろうなと、少ししょんぼり。

これからは昨日の続き。ゆとり教育の発想は決して間違ってはいないということを昨日書いた。現場の理解がなかったということと、現場の力量不足ということも書いた。また「ゆとり」というネーミングも、日本人には緩いとか遊びとかいう風に短絡的に理解されてしまうのではないか。生活化の導入も、最初は教師の裁量で授業を組み立ててもよいということだったが、情けないことに教科書がないと授業ができないということになった。

『ゆとり教育』は押し付ける授業から、能動的に自分たちが考える授業を目指していたものなのだ。ところがあてがわれて授業を受けてきた者たちが教師になって、どうしてよいものか現場は混乱してしまったのだ。このようなアメリカ型の自由で主体的な授業というのは日本には馴染まないけれども、その授業こそがノーベル賞受賞者を沢山輩出する授業なのだ。

日本の授業では、たとえば自由研究などの選択授業を提案したら、子ども達は困惑してしまう。なぜなら自分たちで考えるという授業に慣れていないし、誰かの規格に合ったものでしか学習できないように訓練されてしまっているからだ。初等学部で2年生まで宿題を出さないのは、もっと人と絡み合って対人関係でも、自然現象からも『自分で考える』というプロセスを大切に考えているからなのです。

教育改革が始まる

安倍総理が誕生して総理自身がやり遂げたかった教育改革がある。道徳教育の導入・ゆとり教育の廃止・英語教育の小学校導入などである。今年初めの通常国会に法案が提出されることになる。この三つはすべてが初等教育のものだ。その中で特にゆとり教育の廃止については、かなりの誤解があるのではないかと思っている。

文科省の役人がこの教育方針を打ち出したことについて、何ら間違ったことではない。ゆとり教育の廃止の原因となったのは、OECDの学力調査で、算数も文章の読解能力も年々下降している事が原因である。前にも書いた事があるけれど、30か国中日本は大体10位以内にいたがそれが面白くないらしい。しかし世界でノーベル賞受賞者1位のアメリカなどはいつも15位のところをうろうろしている。なのに教育改革などの話は出てこない。

アメリカの教育改革で有名なのは、スプートニクだかボストーク2号だか定かではないけれどもガガーリン少佐が『地球は青かった』とか言って、ソビエト連邦に宇宙科学で先を越された時に『ヘッドスタート』という教育方針を打ち出したことだ。その後も何かがあったかもしれないが、それほどセンセーショナルなもの見当たらない。学力第一主義になって、机上の空論に時間を費やしてしまっても、日本国民の人間形成にはあまり意味を持たないのではないか。

ゆとり教育の理念と方向性は理解できるし、決して間違っているものではない。ただ文科省官僚と現場の教師や社会に対しての広報活動など理解不足であった。それに導入の時に現場の教師の力量を推し量ることもできなかった。

時間が来てしまった。今日は賀詞交歓会があるのでこれから出かける。この後の事は明日書くことにする。

筑波大幼心研終わる

あおば台幼稚園が名実ともにお世話になった筑波大幼心研が幕を閉じることになった。思えば27年前に杉原一昭先生のところへ飛び込んで行った時から幼心研が始まった。その当時研究生だった桜井茂男先生は、奈良教育大学へ赴任したものの、すぐに筑波大に戻ってきて教授となって現在も活躍中だ。その間大勢の研究生が各地に赴き大学の先生となっている。そんな素晴らしい先生たちに、ご教授いただいたことにただ感謝あるのみである。

徹底的に発達心理を学ばせてもらったと同時に、かわるがわる発表する院生や、研究生たちの内容は、私たちが多分必要だろうと思われる事柄を、興味深く説明してくれた。頭の良い人たちだから、問題点を整理して分かりやすく話しかけるようにして私たちに話をしてくれた。単純な安易な質問でも、懇切丁寧にあきらめずに話をしてくれるので、あおば台の教師たちはその人柄にうっとりとしてしまったものだ。

一昨日行われた幼心研では、私が今までの幼心研に対する感謝の意を50分かけて話をした。院生や研究生に交じって、大学生もいたが、その大学生はあおば台幼稚園の卒園児で、大学の掲示板に私の名前が出ていたのでゼミに出席したと話していた。こんなところで卒園児に会えるなんてとても嬉しかった。帰りには教授と研究生と卒園児と8人で食事をして散会となったが、心に残るゼミであった。名残惜しいけれども、創始者の故杉原先生や桜井先生に重ねて感謝したいと思う。

1年生わくわくランド

昨日から1年生のわくわくランドが始まっているけれども、昨日は幼稚園にいて1年生の部屋を覗くことができなかった。今日は何としても観てみたかったので、5時間目までに間に合うように仕事を片付けてきた。1年生の部屋を覗くと、4年生から上の子たちが交流していて、その様子をじっと見ていたら、皆1年生に気を使いながら、言葉も丁寧に対応していて、ふんわりとした温かい雰囲気を感じた。1年生は何とも得意気である。

上級生の下級生特に1・2年生に対する対応の仕方はとても素晴らしい。優しさというだけでは何とも表現できないものがある。いたわると言うか、仏のように慈愛に満ちた関わり方をする。このような様子を親に見せたらどんな気持ちになるだろうかと想像すると、わが子のところへ飛んで言って抱きしめたくなるだろうと思う。素晴らしい子ども達だ。彼らの目線は上から見るようなことはけしてしない、いつも並行だ。その感覚が素晴らしいではないか。

幼稚園でやっているお店やさんごっこみたいなものだが、中にはゲームコーナーや制作などがあったりして『楽しむ』ということを演出している。幼稚園の年長さんとまったく一緒で満面に笑みを浮かべて楽しんでいる。効果を最大限にかもし出しているのが上級生の存在だろう。彼らの存在がこの学校の特色を充分に出してくれている。

はなしは変わるけれども、小学校の教諭がテストの結果を改ざんして、評価を上げたという話があった。当事者曰く『一生懸命やっている子どもたちの情にほだされた』と。情にほだされてそんなことはしないだろう。一生懸命やっているけれども点数が低ければ自分の教え方に問題があると考えるのが普通だ。申し訳ないと思えば結果を改ざんなどするわけがない。子ども達に『申し訳ない』と謝罪し、子ども達と共に取り組めばよい。

冷凍しておいた餅を焼いた。全員の数だけないので、早く集まった順から3人に1個という風に渡した。3で割るのが難しいけれど、それなりに奮闘して分けて食べていた。不思議なことに分けられた餅の大小にこだわる子が皆無であった。こちらで見ていて『それはちょっと小さいのではないか』と思うものでも、3人でニコニコして食べている。幸か不幸か食に貪欲でない。きっと良いことなのだろう。

文章が長い?

文章は短く簡潔にというのは昔からよく言われている。『娘泣かすな馬肥やせ』とか『おやじ元気で金送れ』的な短文にして明快な文章は、このブログにはそぐわないだろう。幼稚園の子ども達は皆ニコニコ今日も元気、合わせて初等学部もニコニコ元気、全く平和な日であった。では読む人も嫌になってしまうだろう。

私は思ったことや書きたいことを読み手を意識して書くのではなく、自分の気持ちを素直に吐露している。だからたまに身内の者から検閲が入る。時には削除するなど強行にされる場合もあるけれども、私があくまでも拒否すればそのまま掲載されてしまう。ブログは私にとっては滋養強壮剤みたいなもので、楽しみな時もあれば憂鬱な時もある。

私がこの世から去って行ったときに、この学校やら、幼稚園の子ども達にどのような気持で接していたのか。またはどのような思いを持っていたのかなどが参考になる。だからこのブログが、私の後に続く者たちへの道標になれば意を得たりである。保護者は毎年変わるけれども、幼稚園や学校を運営していく者にとっては、ぶれない変わらない信念がないとならないから、たまにこのブログを読まないとならない。

最近動画や漫画に押されて、小説を読むと言う子どもたちが少なくなった。小説だけではなく活字を読み込むと言うことが苦手だと言う子が多い。文章に表れた人の心情とか情景などが、読みながらにして浮かんでくるようでないと、国語の長文の理解は不可能だ。4年生以上になるとこれが結構つまづきになる。算数の問題も『何を言っているのか分からない』ということになるから、読み聞かせは本当に大切だ。