初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

夕涼み会と親父クラブ

両園ともに親父クラブの絶大なご支援を戴いて無事に夕涼み会が終了した。あおば台では始まる寸前に雨に見舞われたが、水撒き程度で難を逃れた。かえって涼しくなったので、お父さんたちは動きやすかったと話していた。最初に親父クラブができたのは、新しく園舎を立て直したときで、仮設の園舎がまだあった。親父たちにお願いをしてプールを作ってもらった。親父の中に左官屋さんやブロック屋さんがいて、手際よくブロックを重ねていった。雨の中でも黙々とプール作りに精を出して、職人二人に後はみな手許という感じであったけれど、とても感動した風景であって、あの時のお父さんの顔も私は生涯忘れることはない。

そのお父さんたちとまだ残っていた仮園舎の中で、ラーメンをとって食べたのが記憶にのこっている。ラーメンをすすりながら、このお父さんたちの力を使って保育者と一緒になって幼稚園を運営していこうと決心した。すぐさま文章の上手なお父さんが『あおば台親父クラブ規約』なるものを作って来た。そこには『子どもたちをだしにして異業種異年齢のものが集い酒を飲む』みたいなことが書いてあったが、これは母親から認可を得られないとすぐさま思ったが、とりあえず立ち上げることが大切だとお父さんたちの言い分をすべて聞いた。

お父さんたちはすぐに格好をつけるから、子どもは関係ないよなどと心にもないことを言って、そのくせ子煩悩なお父さんを何度も見ている。とにかく親父たちの真面目な優しさをずっと見続けているから、親父クラブができてしまえば、一緒にやっていくことができるという自信はあった。第二幼稚園ができて最初の年から親父クラブができたが、どうすればよいのかというレクチュアーはあおば台の親父たちが出張して交流を図った。

親父たちは子どものことになると熱くなる。そして子どものことについてはもっともっと知りたいと願っている。しかし子育てというのは子どもと対面して感じることだから、理屈を教えてもらうよりお父さんたちが感じたままが本当は正しいのではないかと私は思っている。母親も同じことだ。お父さんたちには心から感謝している。

書きたい事が沢山ある

もう何日も書いてないので書くことがたくさんある。まず学校の田んぼの稲が遅らせながら穂を出して田んぼらしくなってきた。もうすでに隣のたんぼの稲はわずかながら黄ばんでたわわに実りこうべを垂れている。うちの稲は周りの田んぼより約1カ月遅いので、発達が違うのでゆっくりと見ていかなくてはならない。そのうち隣の稲と遜色なく立派に育ってくれるだろう。気にはなるけれども隣の稲は稲刈りが終わって、周りの田んぼがきれいになった頃にやおら稲刈りを始めるという大器晩成型だ。

東京都の都民ファーストの会が小池知事の人気もあったこともあって、爆発的な勢いで都議選も勝つ事ができたが、当選できた新しい都議はマスコミに向かって勝手に話してはならないと言われている。ボロを出してマスコミに叩かれでもしたら大変なことになることはわかっているが、しかしこれは選挙民をばかにした話ではないか。都議というのは一体どのような立場の人なのか。茨城で言えば、県会議員だけれども、そんな県会議員であったら「馬鹿にするな!」と一喝して、もう一度出直したらどうだと詰め寄るだろう。まさに小池知事はお山の大将だ。

何を考えているのか国会議員まで「都民ファースト」にあやかろうとしている。もともとと言えば米国の大統領選挙でトランプ氏が選挙戦術として「アメリカファースト」を唱え他国のことは知らないよという政策ではないか。だから都民ファーストと言うのは「都民のための」と言う意味はあるだろうが、それが何よりも一番で対外的なことは私はやらないと言っていることではないのか。小池知事の仲間が国政に出ると行っても、それは勝手なことだが、そんなパフォーマンスで国民がうまくついてくるわけがないだろうし、そんな打ち上げ花火で国政を考えては困る。まあすぐに消えて無くなるけれど。

北朝鮮にトランプの口撃は負けた。北朝鮮の脅威について、日本のセクションはどこでやっているのか。誰もが危険を感じていないのか不思議である。正常性バイアスがかかっていることはわかるけれども、漁民が北朝鮮の機関銃に脅されて、魚を取らずに逃げ帰ってきたと言う話を聞いても、これについてどのように対処するのかと言う解決策を聞いた事がない。多分日本海で操業している漁民は、これから仕事をするのに恐怖を感じながら海へ出ていかなければならない。日本の国民を脅かすものに対して、断固としてこれを跳ね返さなければならない。当たり前のことではないか。

誰でも戦争は嫌だ。でも私たちは自衛隊とともにこの国を守る義務があるのではないか。きれいごとを言うならいくらでも言えるが、他国のしかも中国や北朝鮮の奴隷になるなら潔く死を選ぶくらいの気概が欲しいものだ。学校にしても、ここには日本の将来を担っていかなければならない子供達がたくさんいる。幼稚園もそうだ。できることなら園庭や校庭に穴を掘って、防空壕や核シェルターを作らなければならないと思っている。欧州の公共施設にはそのようなものが併設されているのを見た事がある。核シェルターは吸排気の設備が難しいようだがやらなければなるまい。

青葉台の小中学校ではキャンプのなか日である。幼稚園でも預かりの子供達がきて、水浴びをしてキャーキャーと奇声をあげて楽しんでいる。この子たちが安心して生活できるように、それだけの用意はしておかなければなるまい。

パパの日

今日は8月8日で語呂合わせながら『パパの日』だ。とはいえ普通の日だから家で休めるというお父さんもいないだろうが、固有名詞で休みがあれば働いている人には朗報となるだろう。しばらくブログも休んでいたので、今まで書きたかったことをまとめてダイジェスト的に書いて見ようと思う。印象に残っている残影というのがこのところ薄れていってしまうのが早いので、思い立ったときに記録に残しておかなくてはあっという間に消えてなくなってしまう。あまり歳のせいだとは言いたくないが、多少はそれもあるのかな。

小学3年生の同窓会があった。両園ともに夏期保育の終了後に行うために、日にちをずらして行ったが、どちらの園ともに90%を超える出席率でみんな元気であった。誰もが学校での心配は全くないと言うが、保護者の間ではそうではないと言う。どちらも正しいのであろう。アメリカの科学者が書いた『宇宙の始まる前に何があったのか』みたいな表題の興味のある本を読んだことがある。その娘さんが小学4年生で夏休みの宿題に『何故冥王星は太陽系の惑星から除外されたのか』という論文を書いたらしい。

そんなことが頭をよぎったので、同窓会の時に子どもたちに太陽系の惑星について話を聞いてみたが、知っている子は5人ぐらいいたが、惑星の名前を知っていたというだけで冥王星のことを答えられたのは一人いた。さすがにすごいなと思った。何と言ってもこちらは3年生だから、きっとジャクサや産総研に努めている親がいるのではないかと偏見かもしれないが勘繰ったりもした。結構地球物理学のさわりの部分について知っている子がいて、地球ができた歴史を話せる子がいた。

圧巻はキララ踊りである。未就学児が50人近くも参加した。小学生も張り切って踊っていたが、ともに参加数は今年が最大であったろう。なんだか特別賞の『ジュニア賞』というのを戴いたらしい。まああの子たちを見ていたら何かの賞を上げたくなるというのが人情だ。可愛いのなんのって愛くるしいと言うのか、保護者が放って置けなくなるのも無理のないことだ。親は一生懸命働きたくなるし、家に帰ってくるのが楽しみだろう。あと10年もたつとその親に口応えするなんて考えたくもない。

夏休みは誰のために

少年のころは、夏休みや学期末というのがとても楽しみであった。期末テストは、楽しみを現実にするためのどうしても通らなければならない少しばかり刺激的なものだ。夏休みにそれほど計画的に物事を決めているわけではないけれども、何故だか『休み』というだけで心がうきうきして、どうにも落ち着きがなくなるものだ。それが大人になると、それほど長期の休みには関心がなくなる。仕事に責任があるから、手放しでゆっくりと休めるなどのこともない。何もしないで三日も休んだら頭も体もぼけてしまうだろうと思う。

小中学校ではサマースクールがあって、子どもたちは元気に登校している。暑いのに机に向かうのも大変だと思うけれども、今の教室というのは冷暖房が備わっていてそれなりに快適に学習ができる環境にある。そのような環境を整えても、それが子どもたちにとってベストなのかと言う視点が大切だ。大人たちが良かろうと思って考えついたことでも、子どもにとってはあまり重要だということもないという場合がある。子ども中心に考えなくては子どもの中に入れない。

8月28日に幼稚園協会の研修があり、あおば台幼稚園が公開保育を引き受けた。31日からは例年のごとく穂高での『語る会』に参加して、第二の保育者はそこで劇を披露したりして大活躍であった。昨日の夕刻に土浦に帰って着て、今日は3年生の同窓会で明日は第二で卒園した3年生が集まる。何故3年生なのかというと、この年齢までは私の言うことを真剣に聴いてくれるからである。元気な姿を見せてくれることを期待している。夏休みの事故について連日報道されている。くれぐれも事故に遭わないようにして欲しい。

李下に冠を正さず

梨畑で冠に枝が触って冠が落ちそうになっても、冠を直そうとしてはならない。梨を盗っているように見えるではないかというわけだ。疑わしいことはしてはならないという戒めだが、加計学園の理事次長は安倍総理とは30年来の親友だと言われている。留学していた時の仲間でもあると言われている。そんな仲間では、忖度はあるだろう。何とか面倒を見てやれるものなら何とかしてやりたいと思うのが人情である。それ自体はとても人間くさくて悪いことではあるまい。全くそんなことはないと言い切るのは不自然だ。また前事務次官の前川さんが『行政を捻じ曲げられた』と言っているが行政の長は総理大臣で事務次官ではない。

問題は国民に平等であるべき行政が、一方的に個人に偏るということはあってはならない。しかしこの問題はだれが得をしてだれが損をしたのか?日本海で操業している日本の漁船が、北朝鮮の船に銃口を向けられたという問題の方が、すぐに反応して解決しなければならない問題だ。野党は国民のためにならないが、それに付き合っている自民党も同類の域をでない。尖閣列島に中国船が来て海底探査をしているという。日本の領海でなのに、中国政府の許可を得ているという。バカな話で、その対応も早急にしなければなるまい。何のために巡視船があるのか。

政府の一番大切なことは独立国家としての日本国を守ること。外国からの挑発に断固として日本国民を守ること。経済的な文化的な生活を保障するなどは国家が存続しているかということが条件である。いずれにしても安倍内閣はよほどのことがない限り再浮上するのは困難である。一個の人間を例えても、一度信頼を失うと、挽回するには難しい。すでに死に体である。じたばたしないで潔くした方が男らしい。