初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

隣の芝生

稲刈りがあちこちで始まったようで、そろそろ本格的になってきそうだ。第二幼稚園に行く時も、刈り取られた田んぼがあちこちに現れてきた。学校へ行くときにはわが校の田んぼを注意深く見ているが、近くの田んぼでは稲刈りがきれいに終わって、刈り後が線路のようにきれいに平行になっていて、機械で正確に植えられたことが物語っている。うちの田んぼの田植えは大体1カ月遅れで植えられたから、稲刈りもそのペースでやることになるだろう。気のせいなのか、心なしか隣の田んぼの稲穂の方が重く垂れさがっているように見える。

自分の家の芝生より隣の家の芝生の方が、碧く丈夫に生き生きと育っているように見えるものだ。とかく人はないものねだりが多い。自分の家の芝生は、文句も言わずに緑なし、人の目を楽しませてくれているのに、自分の家の芝生で我慢し ようではなく、自分の家の芝生の方がはるかに隣の芝生よりも勝っていることに気付いていない。わが子についてもそんなことがあるのではないだろうか。母親 が手を差し伸べると、無条件でその手を握り返し微笑んでくれるわが子が、とてもいじらしく愛おしいではないか。

明日は来年度の入園説明会である。初めて他人にわが子を預ける母親はどんな気持ちでいるのだろうか。あまり変な刺激を与えないように丁寧にお話ししよう。

子どもたちが帰ってきた

福島のブリティッシュヒルという朝から晩まで英語で話す学校へ、3泊4日の日程で語学研修に行ってきた子どもたちが帰ってきた。最初は緊張していて言葉も少なかったようでしたが、徐々に慣れてくるに従って単語をつなぎ合わせて自ら話す姿もあったとのこと。子どもたちは順応性があるからしばらくすると意味がわからなくても仲良しになれるし、感覚で話ができるようになる。私は今でも感覚でしか話はできないけれど、子どもたちは遊び感覚でいつの間にか言葉を覚えてしまう。

私は英語を覚えるためにどれだけ浪費をしたか分からない。どうせ最後まで続かないくせに何十万もするセットを買ったこともあるけ れど、今ではそれがどこへ行ってしまったのか分からない。もっと早いうちにやって置けばそうはならなかったかもしれない。青葉台は3年間だけグアムのセントジョンスクールと提携して語学研修へ行ったことがある。3泊だったけれど、1泊目は到着した日で、あいさつ程度で、2日目が1日中学校にいて語学研修になるわけだけれど、その時と比べたら、今回の方がはるかに料金も安いし中身が良いようだ。

グアムのときには私がコンダクターを務めたので、行きとどかないことばかりで子どもたちには申し訳ないと思っている。校長先生の教え子だと言う人が学校へ来て、低学年に英語のレッスンをしてくれたと聞いている。たまたま語学研修に行った時だったのでこれも何かの縁だろう。その人の旦那さんがJAXAで火星のことを勉強していると言っていた。これから その人が学校へ来て英語を教えてくれるといいなと思っている。私は火星の話を聞きたい。

北のカリアゲ君は戦争をしたがっているのかな。ア メリカは勝手にアメリカfastを唱えておいて、自分の都合で中ロに圧力をかけたところで、簡単には動いてくれないだろう。どこの国だって自分の都合のよいようにしか動いてくれない。日本もよく肝に銘じて、核三原則のバリアを解いて、もしも他国が我が国に危害を加えようとしたときには、それなりの被害をこうむるということを明示しなければなるまい。そしていざとなった時には、巨大な魚に食われないようにしなければならないだろう。

歴史が大きく動いている

ソ連が崩壊し、ソビエト連邦にくみしていた東側諸国がくっついたり離れたりして、国の名前が変わったりなくなったりして、大変な時代に生きていることは確かだ。東西ドイツが一つのドイツになったことで資本主義経済国家が勝利したことが明確になった。共産国家は亡くなって行くだろうと言うのが大方の世界の見方であったが、中華人民共和国と、北朝鮮人民共和国は、頑としてその体制を維持している。国連の制裁決議でも、アメリカにくみしない中国とロシアは冷戦時代の名残である。

北朝鮮が6回目の核実験を行った。それがレッドラインを超えたことなのだろうと思っていたら、まだそうでもないようで、韓国の大統領は対話を重視しているなどこの世に及んでまで言い続けている。何処の国でも韓国の了解をえないで、北朝鮮と戦争を始めることは出来ないと言ったことがアメリカを怒らせてしまったらしい。それもそのはずだ。北朝鮮は名指しでアメリカ本土やグアムに大陸段弾道弾をぶち込むと言っているのに、韓国の了解なしにアメリカが動けないなんてバカな話があるかということだ。

もう韓国のことでは世界があきれ返っている。日本との慰安婦問題について決着済みの話をまた蒸し返したり、捏造とたかりの三流国家であると世界に広げてしまった。日本はさすがに大人の対応をしているけれど、韓国経済がデフォ ルトに陥った時に日本の政府や金融機関が助けた。つい何年か前の話でそんな昔のことではない。もうスワップ協定は結ばないと麻生さんは言っている。でも日本人には『そんなこと言ってもなあ』という良さがあってそれが災いしているのだが、今度は本気のようだ。

今日は小学校の子どもたちと第二 幼稚園の近くにある雑木林のところで篠竹取りに行ってきた。それを使って色々な工作をしたいそうだ。想像は無限に広がるから多くのことに挑戦したらいいと思う。子どもたちと一緒にいると、本当に安心する。とてもよい時間だ。校長はやめたけれど子どもたちと一緒にいる時間はやめない。

保育園

学校法人塚原学園の保育園が出来た。学校法人に勤める保育者のものだが、企業と契約を結べばその企業の企業内保育所としての資格を得ることが出来る。また一般の人が入園する場合には、居住する地域の役所と相談する。幼稚園と直接契約を結ぶことはできない。何人かの保育者の子が続けざまに生まれたので、どうにかしなければならないと、半ば衝動的に作ってしまった。これからどうしていくのか分からない。保育所を経験した教師にこれからのことは任せていこうと思う。

昨日9月1日に開園した。二人の1歳児と2歳児が幼稚園の始業日に合わせて紹介された。泣くのでもなくベテランの保育者に、何だかんだと手を煩わせてキャッキャと騒いでる。可愛いのなんのって、本当の天使のようだ。このままでは世の中に出られないけれど、内面の屈託のなさなどは、このまま育っていけるのではないか。一応は1歳児は6人に一人の保育者が、2歳児も同じように6人に一人の保育者がつかなければならないことに法律ではなっているけれど、幼児はもっと少なくしないと保育者は大変だと思う。

無邪気で可愛いけれど、あの子たちは何の苦しみもなく、親の保護の中で育って行く。貧しい国の子どもたちは、歩けるようになると車道に立って物乞いをしたり、モノ売りをして家族の一助とならなければならない。現に私はフィリ ピンのマニラでその光景を目にしたことがある。誰を怨むものではない。怨むことさえ知らないでことさらに生きていくことだけを考えている。目だけが妙に強かった。彼らは将来に希望を持っているのだろうか。日本の子どもたちに話をしても多分理解できないがろう。

小中学校で恒例の『あおば祭り』があって、久しぶりにピザ釜を使ってピザを焼くと言うので、昼食に合わせて急いで学校へ来てみた。ところが祭りのおやつに出すので2時半ごろになるというではないか。仕方がないのでインスタントラーメンを腹に入れておいて、保護者のところへ行ったら、おいしいコーヒーと焼き立てのピザがあるではない か。すぐに食べさせてもらったが、さすがにおいしい。おいしいコーヒーの味が思い出したかのように喉を通って行った。今度は無料『あおば喫茶』をやろうか な。

残念なことと Jアラート

茨城県知事が橋本昌さんから大井川さんと言う人に代わった。橋本さんが選挙に負けたわけだが、私立幼稚園に造詣が深く、私立幼稚園振興のために随分とお骨折りをいただいた。返す返すも残念なことである。私も橋本さんの支援団体である『昌平会』と言う幼稚園連合会の中の組織の会長を務めていて、責任を感じる。終わってしまったことにくよくよとしていられないけれども、勝敗の結果を聞いた時には何も話をしたくなかった。幼稚園連合会が、橋本知事同様にこれからも可愛がって戴けるのかが心配である。連合会の会長もこれからが頭痛の種になることは間違いない。

橋本知事には24年間本当にご苦労様でした。また茨城県私立幼稚園の発展のために多くの難しい難題を克服していただき、素晴らしい連合会になりました。これはひとえに橋本知事との出会いがあったから他にありません。ここの紙面で大変失礼かもしれませんが、知事への思いのたけを表したいと思います。重ねて厚く深く感謝と御礼申し上げます。これからは御身ご大切にお暮らしくださいますようお願いいたします。

突然Jアラートがけたたましく鳴って『北朝鮮から飛翔体が飛んできました。安全な場所に退避してください』というメッセージが携帯に流れてきた。すぐさまテレビをつけてみると、同じようなメッセージが画面いっぱいに映し出されている。ほかのチャンネルを回してみても画面はみんな一緒だった。それが6時14分であったが、それからのニュースを注意深く聞いたり見たりしていると、北朝鮮の西岸から5時57分ごろ打ち上げられて、6時6分に襟裳岬の上空を通って、12分には太平洋の海の中に落下したという。

と言うとすべてが終わってからJアラートが鳴ったということになるけれども、これでいいのだろうか。こんなことがあると、政府は日米の強固な同盟を確認し、断固として北朝鮮の暴挙は許さないと言っているけれども、レトリックを駆使するのではなく現実として米国がどのように動くのか、日本はどうするのかという行動様式を知りたいものである。散々おちょくられているのに、絶対許さないと言っているだけでは北朝鮮はまたやる。そのたびに幼稚園や小中学校の子どもたちをどのように誘導したら良いのか、途方にくれる。