初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

保育参観

両園ともに年少の保育参観が終了した。一日一日成長していくわが子を見て、ご両親もさぞ目を細めて見つめているのだろうと察する。母親がわが子を見つめてほほ笑んでいる時の姿は、至福に満ち満ちている。子どもも、また母親も生きていることに満足している姿だ。子どもも多分、生まれてきてよかったと、言葉で表すことができなくても五感を通して十分に感じているはずだ。あのにこやかな柔らかい笑いは何物にも代えがたい至宝だ。

急がずに、一瞬一瞬を大切に、親子でいるときの流れを体中で感じて、共に幸せに暮らしてほしいと祈っている。いずれにしても時間が止まっている訳ではないから、この先色々な物や人に出会ったりし、仲間関係などや、他者との関係についても学んでいかなくてはならない。だからと言って先取りするようなことはやめて、今を大切にすることが将来において伸びやかなゆとりのある人間性を構築することができる。ゆったりと育てられた子は、他者に寛容になれるのだ。

自分とわが子に自信を持って生きていってほしい。自分には何が足りないとか、具体的に他人と対比してあれこれと欠点を探るような愚かなことをしてはならない。どのように努力しても完璧と言う訳にはいかない。私たちは、神や仏に優らないようにできている。だから全くの不完全だ。だからこそ、助け合い支え合わないとうまく世の中を渡れないようにできている。自分ばかりが足りないのではない。私も隣の人もみんな不完全だ。子を思う親心は、だれにも負けないではないか。それでいい。

今日は唐揚げ定食を作ると言う約束になっていて、幼稚園からトンで返して初等学部に来た。からりとキツネ色よりも濃く揚がった鶏唐は、子どもたちの大好物だ。だから誰も無口になっておいしそうに食べている。私のとっても嬉しい時間だ。こんなことができるのも今のうちだろう。何人ぐらいまでできるのか挑戦をしてみるけれど、100人を超えたらここに厨房を作って私は引退だ。早くそんな日が来てほしいものだ。

危機管理

何度か人生の中で危機に直面することがある。これは誰もが経験することであるが、その時自分はどのようにして、その危機を乗り越えてきたかということは、殆ど覚えていないのが実情であろう。人間て不思議なもので、不幸に陥った時のことはあまり具体的に覚えていない。そのせいなのか、災害を未然に防ぐ方法をテレビなどで盛んに言われているけれども、それでも防ぐことはできない。

油断と言えばそれまでだが、油断しているという自覚はないけれども、まさか自分はそのような目には合わないという根拠のない自信がある。時には根拠のない自信が必要な場合もあるが、ことが社会的現象に及ぶ場合や、広域的な災害などは、自分だけを避けて通っていくことはないだろう。これからは解決しなければならない社会問題が山積している。いつも人任せにしていると、いつしか取り残されてしまうことになるのではないかと危惧している。

日本人は従順というかお人よしなところがあって、問題が身近に起きても誰かが解決してくれるだろうと、なるべく自分の問題というようには取り合わないようにすることに慣れている。良いことなのか悪いことなのか、それが見て見ぬふりをする学習に一役買っている。余計なことを言って、火の粉がわが身に降り注いでくるのを避けようとする。孫子の兵法、「君子危うきに近寄らず」である。しかし「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺もある。

TPPの問題を何度か書かせて頂いたが、私が何を言ったところで反映されるものではないけれども、問題意識を持ってその推移を見つめていくことは大切なことだ。自由貿易の拡大で日本はどうなったのかを、生きた教材として子ども達に伝えていくのは、私たちの責務である。大きな社会事象のうねりが子ども達を巻き込んでいく。その時に、どの位置に立っていればよいのか、正確な示唆を与えることができることが肝要である。自分はそうありたい。

米国はオバマ政権になって、3兆ドルの赤字を作った。ポピュリズムに徹した結果である。その赤字になった分を印刷してばらまいたものだからドルは暴落した。日本も負けずに印刷して円をばらまけば多分円高は防げる。ドルを印刷して株投資に回すから株は下がらないけれど、雇用統計は改善されないし、主要産業の住宅建設についても斜陽である。今や米国国民がドルに不信感を持っていて、ニクソン以来の金本位制に戻す動きすらある。米国が咳をすれば日本は風邪をひくんだ。

栗ご飯

食べ物の話ばかりで恐縮であるが、今日はあおば台で栗ご飯を作ってきた。みそ汁の番だけしていたのだけれど、一応は私が栗ご飯を作ったということになっている。ご飯は塩加減を、みそ汁は味噌の量と味付けが私の仕事である。それでも子どもたちが来て「園長先生ありがとうございます」と言っていく。全く得な役割だ。各クラスに配膳をして食べ始まると「世界一おいしい!」という声が聞こえる。大したことがなくても、子ども達はありがたいものだ。

子ども達に派手に喜ばれると、サンマもやって見るかという気にもなってくる。保育者はやる気でいるようだ。幼稚園の先生の素晴らしいところというのは、子どもたちの喜ぶことをするのには何でもやってのけると言う、母親の根性にも似ているところだ。「面倒だ」とか「大変だ」というような、逃げる態度が皆無だ。お嫁さん候補ナンバー1であった時代があったが、頷ける話だ。ちなみに現在のナンバー1は看護婦である。まったく余計な話であるが・・・。

TPPは直接的に国民の暮らしに影響する。だから慎重にならざるを得ないが、今ごろなぜ唐突にこの問題がクローズアップされているのか。どじょうが、アメリカ大統領と約束してきたのではないかという噂もある。いつも米国の人気の落ちた大統領は、様々な手段を使って友好国に難題を押し付けてくる。矜持の心を持たない軟弱日本は、いつもカモにされている。国際貢献しろと言われて、大変な額を国際連合に拠出もしている。本来拒否権を持つ国が、その大半を担うべきではないか。

TPPの問題と言われているのが4つある。医療の問題、郵政簡保の問題、農業問題、公共事業の問題である。医療の問題としては、国民皆保険が自由診療となると崩されると言っているが、よく分からない。郵政簡保の問題は、株式を公開しろと言ってきて、多分外国人が参入してくるだろうと言うことだが、そんなもので郵政簡保が崩れるとは思えない。農業問題は深刻だ。日本の農業が壊滅状態に陥るだろうと言っている。いわゆる日本農業は米国に太刀打ちできないと言っている。

関税が撤廃されたら日本の農業は全滅という。関税のおかげで農業が成り立っているということを、堂々と言ってのける神経の麻痺状態。その分だけ国民は高いものを買わされているのではないか。彼らを助けるために、国民は余分にお金を出しているということを感じてほしい。公共事業に外国の参入を認めてほしいと言っている。この辺は良く分からない。日本の事業者が困ることはわかる。色々あるけれど、なぜそんなに性急にしなければならないのか。もう少し周知徹底した方がいいのではないか。そう思う。

レンコン

昨日話した「あしながおじさん」のところから頂いたレンコンの量が、ハンパじゃない。見た目には驚くような感じではないけれど、いざ料理に使うとなると、あるわあるわで天ぷらにすると言っても「どうする?」と顔を見合わせるほどのもの。頂いた10分の1ぐらいのものを洗って皮をむいて、厚いもので5ミリ程度のものだが、それを早速天ぷらに揚げる。カラッと揚げて早速口に頬張ると本当においしい。ついでに色々なものを天ぷらにするのだが、レンコンは全て完食で残らなかった。

あの量のレンコンを、どのようにして子ども達の腹の中に入れるかが問題である。何とか子どもたちが喜びそうなものを発案して、どうにか完食したい。私にとっては最高の嬉しい悩みだ。まったく欠食児童の時代を生きてきたものは、食い意地が張っている。戦後間もない頃、食うに食えない状況があちらこちらにあった。しかしみんな歯を食いしばって何とか頑張ってきた。私の家の両親もその部類で、新しい教科書を買うどころではない。まず食わなければならなかった。

勉強ができないのを教科書のせいにするつもりではない。生活保護世帯が、あの戦後のひどい時期よりも増えているという話を聞いたので愕然としている。生活保護世帯というのは、屈辱的なものだから、誰もがそこへ手を出さないで頑張ってきたから、戦後の復興を早めたのだともいえる。今は生活するにも格差があって、富める者と貧者との差があまりにもあり過ぎると言う。本当だろうか。かくて、生活保護を受けるのは、各部落に1世帯あるかないかであった。その世帯にはテレビも電話もないのだろうか。

あの時期よりもひどい時代になっているなどと到底思えないし、全く夢の中にいるようである。だとしたら、この現況から抜け出るには大変である。それはこれから来そうな世界大恐慌である。EUの債権の問題に端を発し、ギリシャの次はイタリヤである。イタリヤはGDP比率で120パーセントであるにもかかわらず、その震度は大きく、フランスでは赤字削減に国が動いた。日本はGDP比220パーセントである。必ずEUの債権を抱えている国には、少なからず近い将来不況の大波が来る。

子どもたちの将来を希望の持てるようなものにしてあげよう。さんざん60年以上も生きてきた者は、将来のある者のために余生を生きていこうじゃないか。もっとも先ほどの生活保護世帯が増えている話では、どこから進めてよいのやら困ったものである。私たちは将来を見据えた上で、子ども達に生きる力を授けていかなければならない。これからが大人として真価を問われる時だ。保護者も、私たちも共に腹に力を入れて頑張っていこう!。レンコンのように、先が見えないのが悔しいけれど。

美味しい昼食

今日は焼きそばだ。焼きそばの日は、幼稚園も初等学部もたくさん食べるので、あおば台にある厨房施設では、飽和状態になって作りきれなくなるので、初等学部の分は私が作ることにしている。いつもはみんな揃ってから学年の係りの子が『いただきます』をしてから一斉に食べ始まるのだが、今日はできた順から食べることにして、温かい焼きそばを食べた。皆がおかわりをするので、大人の60人分があっという間に終わってしまった。最後は1枚のキャベツや紅ショウガを争って食べている。中には『まだ僕は3杯しか食べてない』と不服申し立てをしている子もいた。

こんなに食べるなら1カ月に1回ぐらい作ってあげてもいいと思うが、どれくらいの人数までならできるのか見当もつかない。6年生が近くに寄って来て、驚いたように「わーおいしそう!」とか奇声を挙げて、挙句に「校長先生が焼きそば作りなんて、ほかの学校ではないよね」などと言っている。それが耳に優しくて気持ちがいい。腰が痛くて座りたくなったが、我慢しなくてはという気にもなってくる。早く6年生、違うところへ行ってくれないかな~と内心思っていたら、なんと椅子を差し出してくれた。

作り方のコツを覚えたから幼稚園でもできそうだ。今度手伝ってもらって焼きそば作りに挑戦してみよう。少しでもお母様の弁当作りのお役にたつのなら本望である。まあ今年中には結構行事があったりしてできないかもしれないが、必ず作る。幼稚園では私が食事作りをやることが保育になるけれども、初等学部は授業とは直結していない。食事作りが学校生活の中に位置付いていないということだ。これが青葉キャンプだったらそのまま授業になるのだけれど。

明日は天ぷら定食だ。あしながおじさんのところで採れたレンコンを学校で頂いた。レンコンと言えば正月に食べる酢の物や煮物に代表されるが、私はあの固さ加減が好きになれなかった。しかし家庭科室にあったレンコンを気軽に「天ぷらにして食べてみよう」と言ったことから、レンコンの天ぷらのうまさが病みつきになって「こんなにうまいんだー!」ということになった。その大好きになったレンコンの天ぷらを明日作る。レンコンだけという訳にはいかないので、野菜のかきあげや、ナス、ピーマン、サツマイモといったところも天ぷらにする。

そんなことを書いている私のところへ、4年生が全員で来て「3.14x☐」「この☐の中に16までの数字を言ってください」「暗算で答えられます」と言ってきた。なるほど答えを全部暗算でできるのではなく、答えを暗記してきたのだなと直感したが、一応16までの数字をいくつか言ってみると、全員で楽しそうに口をそろえて答えを言う。のぶTと話していたら、いちいち計算していたのでは試験では間に合わないと言っていた。なるほど、これが一つ上の算数かと感心した。