初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。今年も「ちょっと言わせて」をよろしくお願いいたします。

 

幼稚園は1月5日から2学期の総括の検討会が始まった。これは2学期に行った保育の反省をかねるものである。子ども達の普段の遊びの中の実践記録や中心となる活動の実践記録です。この中でも、第二幼稚園の中心となる活動の年長の実践記録は、運動会と遊園地ごっこ。あおば台も運動会と人形劇。年中や年少の話を書いていたら大変な量になるので、今回は年長に少しだけ焦点を当てて書いてみる。


あおば台の人形劇は、お話作りから始まって登場する動物や人物を作り、それに針金をつけて言葉に合わせて動かすというものだ。まず唐突にこれをやろうというような手法をとらないから、「人形劇をしたい」というようなグループの雰囲気にするまでの導入が大変。お話作りの途中で、うまく起承転結ができなくて「もう良い・・・」という子も出てくる。一瞬仲間の顔を見合わせ時間が止まってしまったり、先に進まなくなってしまう。・・・そんな気持ち分かるでしょ。

 

そんな時保育者の助言が入る。「どうすればお話がつながるの・・もう一度考えてみたら」気持ちを取り直して、話の続きをうまくつなげる。うまくつながった時は歓喜そのもの。次は人形を持って話をするが、人形を動かすことに気を取られて話がうまく流れない。又どうすれば良いのか・・・悩む。グループの一人が「録音したら!」と何かをひらめいたように生き生きとした弾んだ声で言う。グループの仲間もパーッと明るくなってニコニコしながら「せんせー録音するー!」と得意になって保育者に伝える。

 

第二幼稚園の実践記録は、運動会のタイヤ取りの模様を少しばかり紹介しましょう。第二の運動会は、インフルエンザの猛威をもろに受けて、年長のあるクラスは10人もの休みが出た。これは運動会当日の記録ではないが、どうしてもタイヤ取りの勝てないクラスで勝つのにはどうしたらよいのか子ども達が話している様子。「力を合わせて練習するしかないよ」「オーエス!オーエス!」声を合わせて頑張るぞ!。

 

私が年長の担任に聞いてみた。「オーエス!オーエス!」というのは一体何?。どうもこれは去年の年長から言っているようで意味は分からないという。私の隣に坐っている保育者がそっと辞書を見せてくれた。何とフランス語でロープを巻き上げる時の掛け声と記されていた。多分フランス語で綱引きなどに使う掛け声だろう。・・・一同ポカ~ン。まあ帰国子女も多いことだから、こういったことが結構ある。意味も分からないで掛け声を合わせているというのが面白い。想像してみて下さい。

 

子ども達はこんなに頑張っているのに、運動会当日負けっぱなしはかわいそうだ。しかし他の力は借りない、自分たちの力でやらなければ潔しとしない心がとても嬉しい。

 

誰がどのように言ったとか、子ども達の名前が出ている記録だから、保護者の皆さんも手にとって読んでみたいだろうなと思う。事細かに保育者の意図と考察も入っていて、その場面が手に取るようわかる。あおば台の子は完璧とは言わないが、きめ細かくよく見てもらっている。実践記録を読むと再認識する。

 

1月6日読売。こんな記事を目にした。「生きる力」とは、基礎学力だけでなく思考力、意欲、コミュニケーション能力などを総合した力である。今企業は、まさにそうした力の低下に直面している。人事担当者573人に実施した複数回答の調査では、若手社員の問題点として53%が「読み書きや考える力など基本能力の低下」を挙げ「主体性不足」51%「コミュニケーション能力不足」46%と続いた。

 

「企業は学生の基礎学力や生きる力に不信感を抱いており、チェックも厳しい」一流大卒、成績良好でも風当たりは強い。早稲田政経学部4年のA君は約25社に落ちて就職浪人を決めた一人だ。面接で「自分の言葉で話して」と言われ窮した。就活マニュアル通りの答えが目に付いたという。自分の言葉で語れるようになってやり直すつもりだ。・・・健闘を祈る。

 

明日はいよいよ3学期始業日。早く子ども達に会いたい。休みの子がいなく全員が元気に来て欲しい。

今年ももう終わりだ

過ぎてみると、1年は随分と早く過ぎていってしまうものだ。先日「杉の子会」に出席して、杉原先生の亡くなられた日を確認したら、昨年6月だと言っていたので驚いた。実はずっと今年だと思っていた。そう思うと、先生は私のことが心配で、亡くなってからもずっと私のそばにいてくれたんだと、改めて申し訳なく思う。

 

よくよく考えてみると、5年前に初等学部建設を志し、今年の4月に開校することができた。その間初めの一歩から、土地探しや建設費用の工面、先生をどのように集めるかや、設計は誰に、どのようなルートで建築はどこで、外溝はどのようにするのかなど、又役所に提出する山のような書類などについて、多くの人にお世話になった。特にハードな面は、銀行の全面的な後ろ盾を得、土地所有者からは非常に好意的なご支援を頂いた。


ソフトな面では、友人の精神的なバックアップが大きく支えになった。こう考えていくと私の入る隙間がないほど多くの人の支えを頂いている。新しくできた小学校だから、設備もなかなかそろわないし、不自由を覚悟で一生懸命頑張っている教師や、事務長など全く頭が下がる思いだ。誰が何を経営するのでも最初の一歩は大変である。ナショナル電気だって、三つ又の電気ソケットを単品で売りさばくことから始まったのだ。

 

多分風呂敷包みの中にソケットを入れて売りさばくのには大変な苦労があったに違いない。今のナショナルグループを想像していただろうか。そこまでは考えていなかったろうと思う。1日一日を、時には歯ぎしりを噛み、時には小さな喜びを分かち合い、夢と希望を持って生きていたに違いない。自分の暮らしを今以上にするなど、そのような志ではない。起業家にそのような人はいない。理想に向かっての忍耐と努力である。これがなければ何を始めても自己到達はない。

 

そう考えると私は全くのゼロからの出発ではない。今まで保護者や、幼稚園の教師達が作り上げた幼稚園という土台がある。まだまだ私はいい位置にいる。私を今まで支援してくれた保護者の皆さんや、先輩や仲間に今の仕事をさせていただいている。手を合わせ感謝をしながら1人一人ひとりの顔を思い出し、、来年度の覚悟を新たにしたい。どうぞこれからも私についてきて欲しい。必ず素晴らしい人生を約束しよう。

 

今年1年係りのあった人に感謝し、又素晴らしい新年をお迎えにならんことお祈りいたしまして、今年の「ちょっと言わせて」を終了いたします。ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

夢と希望

およそ教育の中で「子ども達に何を与えるのか」と問われれば、夢と希望だろう。しかも現実化する、それに近づいているという自覚を持たせるということだろう。多くの知識を得ることもそこへ向かっているというようなことを意識させる、一つの手段だ。その道程を視覚化できるような教育が大切だ。

 

又そのようなことを認知できるような脳の組織を作っていかなければならない。その仕組みを作っていくのが簡単な言葉で言えば「冒険」である。冒険の先にあるのは、まだ見たことのない世界であったり、そこから生み出される想像の世界は、夢を醸造する。だから幼児期や、少年期は重要な成長期なのだ。

 

ただ知識を詰め込むだけではダメだ。その知識をやがて何に使うのかという意識付けと、それに伴う、今、教育心理の中で最もはやっている内発的動機付けや外発的動機付けをサポートする。この考え方を徹底させるつもりでいる。教師も共にターザンにならなければならない。忘れていた愉快な少年の日々を思い出していただこう。

 

1ヶ月前になるだろうか、筑波大教授の櫻井茂男氏から先生の著書「自ら学ぶ意欲の心理学」の本が贈られてきた。タイムリーにもその本の副題が「主体的な学びとは」である。櫻井先生は有能感や動機付けに関する研究では日本では第一人者である。このような先生のそばにいられたことに感謝である。そのような櫻井先生の全面的な支援を得ているにもかかわらず、イマイチぱっとしない私の感性。

 

私を特訓してくれた久保田浩先生(白梅大学名誉教授)は、戦後教科書に墨塗りを経験した、今では数少ない小学校の教師である。「勉強どころじゃないんだよ・・。飯が食えねーから学校の空き地に畑をこしらえて、野菜のできるのを楽しみにしているんだよ」「しばらく学校へ来ないので、どうしたのかと見に行ったら、よその家の子どもの守をしている」「しかしみんないい目をしていたなー」「キラキラとこう輝いていて・・・」そう言って、目を輝かせていたのは、久保田先生その人でした。

 

先生は決していい暮らしをしているわけではない。着ている物は失礼ながらいつでもよれよれで粗末なもの。しかし子どもの話しをしだすと、生き生きとして年齢を感じさせない。そういえば久保田先生に私の幼稚園の講演をお願いした時、昨年亡くなった杉原先生も来て下さって、熱心にメモを取っていたことを思い出します。素晴らしい人間は、初対面であっても互いに認め合っているものなんだと感じた。久保田先生も既に92を過ぎた。

 

 久保田先生は、私の中では宮沢賢治や倉橋惣三がダブって見える。すごい先生だ。居ながらにして子ども達に夢と希望を与えてしまう。そう思うと、教師なるものは技術のみではない。決してない。そんな教師になってみたいものだ。倉橋惣三の「生活を生活から生活へ」の中にあるのではないかと密かに思っている。関係各位と共にこれを実現していきましょう。

忘年会

毎年行われる忘年会。両園のおやじくらぶの忘年会も終わった。粋のいい鍋奉行の手ばさき

も堪能した。先に始まったのがあおば台で、第2幼稚園は次の日だった。机の上に並ぶ鍋は最初は鍋の種類もはっきりしているが、しばらくたつと何を食べているのか分からなくなる。もう少し経つと何を話しているのか分からなくなる。録音されたらこまるのが沢山出てくる。

 

何ていったってこのような人生が面白いのだ。私も公人だからそんなことを言うのはやめなさいと、女房や友人によく言われる。私がどんな立場だろうと、私という人間が変る訳ではない。そのようなことを友人も話す。私の友人はひどい。飲みながら酒の害を話し、私に説教をする。まあ説教される私に非があるのだから仕方がないにしても、説教はしらふの時が良い。

 

飲み屋で客の姿は様々。入ってきた時から静かに飲んでいて、何処に坐って何を話しているのかも聞こえず、いつの間にかいなくなったというのもいる。騒ぎ立て、主のような気持ちになっているのもいる。気のせいか、帰る後ろ姿が妙に寂しそうなのもいる。人知れない明日に責任を持たない学生だけが意気が良い。昨今の巷の様子。

 

今日の朝に書いた虐待の話。目に見えるような虐待ではなく、例えば現行の保育所のように生後間もなく母親から離してしまうというのは虐待ではないのか。ものを言えない乳幼児には社会は冷たい。生後2歳ぐらいまでは絶対に母親と一緒にいたほうが良い。保育所に預けるのではなく、どちらかの親が子どもと一緒にいてやることが望ましい。そのような社会的整備が必要である。

 

皆さんは待機児童という言葉を何度も耳にしたと思いますが、発達用語を使うなら、待機乳幼児といったほうが正しい。これではいかにも虐待というイメージを持つではないか。それでは困るので、乳幼児ではなく、児童にした。待機児童は、不幸せになる寸前に幸せを手に入れた。保育所を多く建てるのではなく、家庭にあって養育できるように整備することが大切であります。

 

女性は子育てだけに生きているのではないといっているウィメンに反論します。子育てだけに生きているわけではないけれど、子どもを産める特権は女性にだけ与えられているものだ。そしてそのように体の機能もできている。子育ては責任を持ってやって欲しい。

 

夫はそれに対し最大の敬意を払い、最大の援助を惜しみなく払う。これが人間がホモサピエンスとして誕生した系統発生の慣わしなのだ。このシステムが変ってきていることが、世の中の乱れになっていることに気付いて欲しい。

 

明日は横浜で、筑波大の杉原教授にお世話になった子どもたちが集まる「杉の子会」の忘年会。筑波大と横浜国大と東京成徳の院生と、大塚にある筑波大の社会人院生ととても幅が広い。全て杉原先生が関わってきた大学の教え子です。先生の話をしたら、長いと絶対いわれるのでやめる。

虐待の判断と見分け方

これは何日か前に研修に行ったときのノートで、終業日前に保護者の皆さんにお渡ししたかったものです。時間がなくて書けなかったことをお詫びしながら書くことにする。

 

虐待の判断と見分け方。

①泣いていても放っておく ②食事を与えない ③ける ④大声で叱る ⑤お尻を叩く

⑥手を叩く ⑦頭を叩く ⑧顔を叩く ⑨つねる ⑩物で叩く ⑪物を投げつける

⑫傷つくことを繰り返し言う ⑬浴室などに閉じ込める ⑭家の外に出すことがある

⑮子どもを家に置いたままでかける ⑯裸のままにしておく ⑰子どもの体に噛み付く、など

 

以上17項目

上記の項目に しばしば(3点) ~全くない(0点)で合計10点~11点(虐待傾向)

         12点以上虐待と判断される。

 

この資料は筑波大の庄司先生からの資料。この見分け方だとほとんどの保護者が虐待傾向に陥るだろうと思いますが、いかがですか。4項目で虐待だから、平常な保護者は全く少ないでしょう。「小言を言う」というのは入っていないようですが、これは⑫に該当します。

 

①、②、④、⑤、⑮などはよくある傾向で、それぞれの家庭で、躾に関する不文律な決まりがあるとすれば、上記の記述は参考にするという程度で良いのではないでしょうか。

 

虐待傾向は、保護者が子どもに日常的に叱り付ける行為ですから、1週間も2週間も間が開いていれば虐待にはならないだろうと思います。反面この項目の4種以上でなくとも、毎日小言を言われる子どもにとっては虐待であります。こんな辛いことはない。親が子どもに向かって傷つくようなことは絶対言ってはなりません。むしろ私だったら黙って一発殴られるほうがよい。

 

しかし虐待する側の親を一方的に攻め立てるわけには参りません。それにはそれだけの環境があるのです。例えば親は育てられたように育てるといわれます。虐待された経験のある親は虐待してしまう傾向にあります。それが子どもを育てる方法だということをDNAの中に組み込まれてしまうのでしょう。そのほかに育児不安が強いとか、夫の育児無理解。未婚の女性、精神疾患などが挙げられます。

 

男親の虐待は、ほとんどが経験から来る虐待と社会的孤独(不安)であると言われている。虐待という言葉の強さからすると、かつては、拷問に近いものだという印象があって、とても恐ろしいことなんだと言う怖れを持っていた。しかし今では頻繁に使われるようになった。一日も早くこの言葉が死語になることを願っている。