初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

どうしたらいいのかなぁ?

夏の穂高の研修で、最近子どもたちの遊びの中で“おかあさんごっこ”が以前よりもかなり見られなくなったという報告があった。代わって犬や猫といったペットになる遊びが増えていると言う。前者は、お母さんは忙しすぎるからと言い、後者はかわいがってもらえるからと言う。情けないことに人間に生まれてくることより、犬とか猫といったペットに生まれてくることを望んでいるようではないか。―――おとうさん役はあってもおとうさんごっこは言うに及ばず今でも聞いたことがない。おとうさん役を買って出てやる子はまれである。「いってまいりまーす」「ただいまー」「おやすみなさーい」というようにセリフがいたって単調で力の出しようがないので面白くない。
わが園ではそんなことはないであろうと、高をくくって2学期の子どもの遊びを注意してみていると―――あった。ままごと遊びはあるが、お母さんごっこは見られない。ままごとでもバブちゃん(あかちゃん)になる子は少なく、兄とか姉になって命令調で得意になって指図する側にいることを好んでいるようだ。そうかと思うと、犬や猫になって紐を手に巻きつかせていたり、自ら首に紐を巻きつけて、従順にご主人様のうしろについていくといったことを真顔で楽しんでいる。
私たちの育った年代の母親が、犬や猫になって楽しんでいるこのような光景を目にしたら何と言うであろうか。セピア色した話で申し訳ないが、たぶん半狂乱になって私たちを叱り付けたに違いない。見方、考え方の違いだと言えばそれまでの話だが、人間であることを楽しむ遊びのほうが人間として自然である。断っておくが、これは表現遊びや擬態表現を楽しんでいると言ったものではない。子どもの自然な心の発露だからこそ問題視しなければならないのである。
 昼食のお弁当にしても、子ども達は自らの空腹を癒すために食するのではなく、おかあさんに悪いからと言う。母親もまた「食べてくれない」「食べてくれた」“くれた”“くれない”という表現を使う。病人でもあるまいに、飽食の時代だからとはいえ、何か歯車が狂いだしているように思えてならない。
幼児教育を預かっている私にも何らかの責任がある。どうしたら子どもたちが安定した生活の中で、生き生きと希望をもった毎日を送れるようになるのだろうか。―――子どもが生き生きと生活するには、愛されなくてはならない人に愛されているという実感と、いたずらや冒険をする権利を保障されることが大切なことだ。たくさんのおもちゃを与え、嫌がるほど満腹にさせることではない。―――幼稚園の受容の中でたくさんの冒険をさせてほしいものだ。
子どもから見て親や大人はどうしたらいいかということは、あまり口にしないほうがいいらしい。出来もしないことを理想だけ追いかけていると周りにいる人たちがくたびれるそうだ。子どもたちにとっては大人が自分達に責任を取ってくれない受難の時代だ。―――できるか出来ないかは、親や大人に覚悟があるかないかの話なのだから。
少子化問題を解消するために、子育てが大変だから生んでくれさえすれば後は国が面倒を見ましょうといった政策がとられるようになった。社会を構築する最小単位の親子の情愛を無視した政策である。これで世の中うまくいくはずがない。ルーマニアのチャウセスクがとった政策でもある。もっとも中身は大分違うが、親ではなくて国が子どもを育てると言う発想は東ヨーロッパの独裁国家にあった。彼らはそうしてロボットを作ることを考えた。
人間の子は皆未熟児で生まれてくる。生まれてから親に抱きかかえられ知恵を授けてもらうためだ。ジャングルの中で生活している動物達は、生まれてまもなく立ち上がるものもいる。しかし母親は危険な場所を知らせることと狩りが一人前にできるまでは決して子どもを手放したりしない。こう考えてくると、子どもたちが犬や猫になって好んで遊んでいる現象も分かるような気がする。地球の自然を守ると同時に、人間の営みも自然に回帰せよと言う信号ではないか。―――子どもたちが変わったのではない、大人たちが変わったのだとゆうことを再認識しようではないか。

"3歳児神話"って何?

突如としてこんな見出しの記事を目にした。「お母さん働いても大丈夫」「幼児の成長と無関係?3歳児神話?を覆す」。その内容は、子どもが3歳になるまでに母親が家の外へ働きに出ても、子の発達に悪い影響を与えないことを、国立精神・神経センター精神保健研究所(千葉県市川市)の菅原ますみ室長らが16年の追跡調査で確かめたというものだ。
 さらに「母親が幼児期に働いたから、子どもに非行など問題行動が表れる」とする説を否定したデーターだ。「3歳までは母の責任で子育てすべきだ」とする3歳児神話をあらためて覆したとある。
 私は、幼稚園の父母たちに「3歳児神話」なる言葉の意味とその由来について訊ねてみたが、勉強不足なのか私を含め知るものは殆どいなかった。それほど世間に知れ渡っている言葉ではなさそうである。しかしこのような記事を見たのでは、一保育者として黙って見過ごすわけには行かないだろう。
この記事を読んだのは平成13年4月29日である。今日までこの記事に関して反論や意見などは目にしていないが、もしも何らかの形で出ていたとしたらお知らせいただきたいが、私は私の範疇で疑義をはさみたいと思う。
そもそも「3歳児神話」とは何者であろうか。昔から「三つ子の魂百まで」とか「7歳までは神の子」といった子育てに関する諺があるが、そのくらい幼児期の発達は重要であるということには同意を得ることはできるであろう。「だからなるべくならば母親がついていてあげたほうがいい」という議論に「いやそのようなことは神話に過ぎない」と言ったのが「3歳児神話」の始まりだと聞いた。
さらに記事の内容を続けよう。・・・子どもが胎児から14歳に成長するまで問題行動などを郵送や面接で調べた。・・・子どもの問題行動は「騒がしい」「ののしり」「かんしゃく」など21項目を母親に聞いて判定した。と読んだところで、母親からの聞き取り調査であったことに気がついた。子供を追跡調査したものではなく子どもを産んだ母親を追跡調査したものである。その中で子どもが3歳未満で働きに出た母親の子どもと、専業主婦であった母親の子どもとを比較したものであり、しかも実の母親から聞き取るのである。「お宅の息子さんの家庭での態度や友達づきあいなどについてお話ください」と。まず経験から言って、実の母親から我が子を否定した言葉はまず聞かれまい。そして何よりも判定する側が何をねらっているのかによって、集計の考察が左右されるのである。しかも社会に影響を及ぼすこのような調査は、自分の目で確かめなければならないのが鉄則であるにもかかわらず、調査対象となる子ども達には面接していないのである。16年間も追跡調査をした割には子ども達の実像と違った結果が出てくることが大いに予想される。
時も時、政府は少子化問題と女性の社会進出による「安心して育児ができる」政策に躍起になっているところである。安心して子どもを産めない理由に、育児に対する不安があるのではないかと考えそれを解消するのに「待機児童0」という保育所の機能を強化することにした。子育て支援策に手をこまねいている行政側にとっては、この記事がまたとない追い風であることは確かなことである。
何の事はない、これは子どもを産んでも後は保育所で面倒を見るから安心してくださいというメッセージなのである。自分で子育てをしなくても保育所に預けておけば子育ては出来ますよと言っているのに等しい。これは子育て放棄、産みっぱなしを奨励しているようなものだ。国に不文律な教育観がないことを露呈したようなものである。その証拠に駅前保育や託児所などに規制緩和をし、園庭がなくても許可を与えることになってしまった。「子どもは環境で育つ」というのが幼稚園指導要領である。子どもは遊ぶことに主たる主体を持っているのに、外で遊べないで何時間も母親を待たなければならないことが子どもに良い影響を与えるはずがない。
もう何年も少子化対策といっては、働く母親や働く女性のための対策を打ち出してはきたが、一向に子どもの数は増えてはこない。むしろ減少の一途をたどっているのが現実である。小手先の物理的なことだけでは、女性が子どもを産み育てる動機にはならないことがはっきりしているのだ。
女性に、子どもを産み育てることの誇りと尊さを教える者はいない。女性が女性としての存在は子どもを産めることである。何も男性に混じって、同じ仕事をこなし体力も男性に近づけることが男女共同参画社会ではあるまい。男女ともに生まれながらの特性を兼ね備えている。その特性を尊重しあうことが、同じ人間として生きてきたことを喜び合えるのではないか。女性を侮辱するのは本意ではないが、男性の必要以上の譲歩は、かえって女性を侮辱していることになりはしまいか。男性を片端から口撃し悦に入っている大学の女性教授もいるが、幼児期にはお姫様ごっこやお母さんごっこをしていたに違いない。今のように戦いごっこに興味を持っていたとはとても信じ難い。女性が子どもを産まなくなったのには、もっと根の深いところにその理由があるように思えてならないのだ。

私には長年幼児教育に携わってきたものとして、またその道を絶えず学んできたものとして、どうしても批判を恐れずに言っておかなくてはならないことがある。
保育所と幼稚園の関係である。保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省というように国の管轄も違うが保育所に関わる行政側の視点は常に母親に向けられたものであり、幼稚園は子ども側に向けられたものである。以前の保育所は保育を要する子ども達を収容し、国庫によって措置されたものであった。保育を要するとは、乳幼児期に親が見ることが出来ない子ども達のことで、戦後まもなく保育所が出来たのも頷ける。
保育所は児童福祉法で、幼稚園は学校教育法によってそれぞれ守られている。経済大国世界第2位の日本のこの時代にまだ保育所があるとか、同一国家の中で同じ幼児期を育てているのに、それぞれに異なった育て方がある事や、国の補助金のかけ方が不平等などの不思議や、幼保一元化できない主たる要因は、官僚の縄張り意識の産物であると言うのをどこかで聞いたことがある。
前述した駅前保育や、園庭のない保育所は子どもに良い影響は与えない。子どもを犠牲にして親の利便性を得るかとの二者択一であるが、私は子ども側にいる以上「何故そんなところへ押し込んでしまうのだ!」と言いたい。痛ましい事件がおきている幼児施設を今一度洗いなおさなければなるまい。
乳幼児期には、なるべく家にいて子どものそばにいてやりたいと願っている母親が大半である。誰もがそう願っていると言っても過言ではあるまい。何らかの理由でそうできずに子どもは生まれてからまもなく保育所という他人に預けられることもある。
幼稚園は3歳からであるが、3歳児でさえ親から離れるのには手足をばたつかせ、抱きかかえる教師を引っかいたりたたいたりしながら親から離れまいと精一杯抗い絶叫する。生後6ヶ月や1・2歳児などはどのように抵抗するのだろうか・・・。
生まれてから半年もしくは1・2年で保育所に預けられる。多分火のついたように泣きじゃくっているだろう。保育者があやし、上の子が泣きじゃくっている子を見て頭をなぜにやってくるが、母親がいなくなったショックはそう簡単には収まるはずがない。そのうち親がいなくなることをあきらめなくてはならなくなる。最初に教えなければならないことは、次に母親が迎えに来るまで待たなければならないことである。子どもにとってはあきらめることである。保育者は「お母さんすぐ来るからね」と子どもに何度も何度も伝えるが空しい。そのような悲しい積み重ねが徐々にその子の内面にインプットされていくのだ。それがストレスになるか、または脳のニューロンに組み込まれるかは定かではないが、子どもにとって良い体験ではないことは確かである。

幼児期に母親が家にいないことが幼児の成長とは無関係とはまったくの的外れである。発達心理学を学んだものや、脳の仕組みや大脳生理学を学んだもの、あるいは京都大学で霊長類を研究なさっている学者の著書などを拝読すると、幼児期の心の支えの重要な部分は殆ど母親の会話とぬくもりである事は自明の理である。またそれが将来に大きな影響を及ぼすのである。脳の発達も、幼児期の経験を土台にして人間としての性格や学力なども8歳までに出来上がってしまうと言われている。
では何らかの理由があって、保育所に預けることは子どもにとって悪いことなのかと問われればノーである。子どもと向き合って入れば心配はない。この場合の向き合うとは、母親のいない寂しさを母親がフォローしなければならないことだ。また他人に任せるのはいけないことだ。
幼稚園でも保育所でもどちらに通うのでもあまりこれと言った大差はないが、乳児期に子どもを放さなければならない母親は、その子に注がなければならない愛情を必ずどこかで取り戻さなければならない。

養育や保育の原点は、生まれてから間もない子ども達に、何も辛い思いをさせたり悲しい思いをさせる必要があるまいと言うことである。生まれてきてよかったと、言葉にうまく表せなくとも身体いっぱいに表現したりできる子どもが全てに勝るのだ。

子どもが自ら成長していく力に、どれだけ大人が上手にサポートしていけるのか、自分自身の評価も交えながら子ども達を見守っていこう。
もうひとつ言っておかなければならないことがある。世の中を騒がせている非行少年、非行少女、あるいは凶悪な犯罪を起こす者の幼児期の生活はどうだったのか、全てに共通しているものは親の無関心である。幼児期の寂しさである。我が子の顔を両手にはさんで今一度まじまじと眺めてほしい。そして「今幸せか…」と聞いてほしい。

たかが弁当されど弁当

 わが園は創立以来(昭和52年)ずっと弁当持ちで、給食にするなど考えたこともなかった。創立当時はまだ、幼稚園はお弁当持ちみたいな暗黙の了解のようなところがあって、弁当がいいか給食がいいかなど問題視されていなかった。3歳児入園にしても2年保育が主流で非常に珍しかった。
 九州のある地方の話である。夫婦と1.3.5年生になる男の子ばっかりの兄弟との5人家族の一家が、マイホームを建てごく普通の幸せな生活をしていたが、ある日一家の柱でもある父親が交通事故を起こし、しばらくの間意識不明のまま入院していたが、とうとう亡くなられてしまった。
 事故の後始末に対人補償などの思いもかけなかった借金が出来てしまった。住宅ローンと重ねると大変な負担である。それでも3人の小学生の子を持つ母親は、夫の形見でもある家を絶対に離すまいと決心し仕事に就くことになった。
 昼間は保険の外交をし、昼休みにはレストランの皿洗いに、夜はビル掃除にと。しかし女の細腕では世間の風は冷たく、借金の元金はおろか利息さえも遅れ気味となってしまった。情け容赦ない社会のシステムに心身ともに疲れ果て、いつの頃か家を手放そうと決心する。昔主人がお世話になっていた大きな家の主に「軒先でも倉庫でも結構ですから」とこれから住む家を何とか確保できたが、家を売ったからといって借金が消えたわけではなく、暮らしが少しでも楽になるということではなかった。気丈な母親であったが、家を手放した頃から生きる力が徐々に失せていった。そして長男の首に手を回そうと妄念がちらつくようになった。
 小学校の運動会。昼休みに少々照れくさいけれど家族で食事をするのが、至福の喜びである。誰もが幸せを感じるときだ。5年生担任の女の先生が、余計なことかもしれないが多分お母さんは忙しくてこれないだろうと思い、3人の男の子の分までお弁当を作ってきてくれた。それはそれは立派なお弁当で、重箱いっぱいに花を敷き詰めたような、見るからにおいしそうなお弁当である。心を込めて時間をかけて一生懸命つくったに違いない。
 食事の時間がきた。先生が3人の男の子を呼び寄せる。「さあ召し上がれ」と、半ば歓喜で迎えてくれることをひそかに期待しながら。しかし彼らはせっかく時間をかけ工夫しながら作ってくれた先生の弁当には目もくれなかった。彼らが寡黙に食べていたのは、母親が作ってくれた白いご飯の上に紅生姜で?ガンバッテ?とただ書いてある弁当だった。彼らはそれを崩さないように大事そうに食べている。教師は初めて教師である限界を感じたと後に述懐している。
 そんなことがあったことを知ってか知らずか、とうとう母親は今晩長男の首に手を回すことを決心する。最後の夜になるという日に母親は初めてお酒に酔った。子どもたちが寝付く頃を見計らい重い足を家路に向ける。
 裸電球のスイッチをひねり、3人の子どもの寝顔にひるむまいと覚悟を決めて長男の首に手を回すと、枕もとに?おかあさんへ?という手紙があった。その手紙に手をやってあけてみると、

  おかあさんへ
  毎日ぼくたちのためにお仕事ありがとうございます。
  今日学校から帰ってからお母さんに教えてもらったお り豆をにました。弟たちは「こんなまずいものは食えねえや」と言って先にねてしまいました。今度はきっと上手ににるからもう一度教えてください。なべの中に豆があります一粒でもいいから食べてください。お願いします。

と書いてあった。そして母親は言うに及ばず、もう一度生きていく決心をしたのだ。

私が弁当に拘るのには、私の経験からくるものだがこのような実話があることも大きな要因になっている。現実主義者や理屈っぽい人から、「だからなんだ」と言われればみもふたもない。
懐古趣味みたいに、セピア色になったものを後生大事にしていると、もっと大切なものに目が行かなくなるぞとも言われる。
 生まれたときから、電化製品で氾濫している時代に育ったお母さんたちに、たらいと洗濯板を渡したって無意味なことだとも言う。反面弁当持ちで3年間過ごしてきた母親のすべてが、この時代だからこそ子育てに自信がついたと異口同音に話している。しかしそれは入園してからの話で、ほとんどは入園前に弁当を作ることに抵抗を感じていることは事実だ。
 絶対に弁当持ちがいいことは自明であるが、作ることが面倒なのだろうし、なるべくいやなことはしないでうまく育ってくれたらいいと思っているのが本音だろう。弁当がもたらす教育的意義は、親子の絆を深めることばかりではない。名状しがたい無量の価値がある。弁当が全てだとは言わないが、弁当の大切さを改めて認識して欲しいものである。

思うがままに

ホームページの威力とその危険性について、少しずつわかってきたような気がする。便利なものが発明されると、それをうまく利用してビジネスに直接転化して一躍脚光を浴びる人。またはそれを悪用して御用になる人。ホームページそのものには何の罪はないけれども、使う人によっては天使にも悪魔にもなりうる。願わくば善良な市民の楽しみの道具であり、企業の会社紹介ぐらいにとどめておきたいものだと思っている。自分の意志を自由自在にパソコンを駆使できる人には物足りなくなるだろうが、是非とも責任ある行動を取ってもらいたいと思う。
 ある友人から「あまり政治的には首を突っ込まないほうがいい」とご忠告を戴いた。かつては民青がどうだったのと学生運動に埋没していた彼であったが時代の変遷を痛感する。 
 樺美智子さん(この字でよかったかな)は60年安保の時に国会突入を謀り、機動隊ともみあって尊い命を奪われた当時東大の女性闘士であった。その手記の中で、会議中に後退的な発言をする仲間に何度も「日和るなっ」と檄を飛ばす場面が見られるけれども、歯切れが良くてうっとりする。勿論私はまだ小学生の頃の話だから、あとになって読んで「女性ってすごいんだー」と妙に感動した自分を思い出す。
 そのときの感動がまだどこかに残っていて、「日和る」ことは命をかけてもしてはいけないものなのかと、痛烈に心の中に刻み込まれている。しかしそれは青年の美学なのかもしれないとも最近では思うようになってきている。それにしても「戦争につながる日米安保絶対反対」は過去40年を振り返れば間違った判断であることが実証されているけれども、「安保反対」を唱えて純真な学生をかりだし、政治的な洗脳をしてその命を奪い、人生を狂わせた先導者は、一体誰でどのような責任を取ったのだろうか。樺美智子さんの人生はなんだったのかと無念さが残る。
 こんなことを書いていると、「幼稚園の園長なんだからそれに付随した物を書いたらどうだ」とお叱りを戴くことになるかもしれない。しかし思うに、保護者の皆さんは保育が、子育てが分からないから幼稚園に通わせているのではないでしょうし、要は私の言葉から安心というお墨付きをどこかで戴きたいと願っているのではないかと思っています。心配することはありません。保護者に勝る保育者など私は見たことも聞いたこともありません。
ご自分で感じたとおりに育てることが一番間違いのない育て方なのに、ある本にはこう書いてあったからと言って、その本のとおりに行ってうまくいかないと悩むなどというのが良く聞く話である。親子の感じあう感性を優先させることが親子の絆を深めることになる。いつでもどんなときでもとは言えないが、年中ぐらいまでは本を頼らないで、自分の感じたものに自信を持ってお子さんを抱きしめてやっていただきたい。
 その幼稚園をみるのには、トップが何を考えているかをみればその幼稚園のすべてが分かる。会社にあっては社長の人物像。家庭にあっては父母の考え方によって家庭の中が見える。最近では、父母というよりは思い切って言えば母親の考え方がとっても大事。
 だから私は、そういったことを踏まえながらも中傷を恐れずに、反論やご意見には謙虚に耳を傾け、自分自身の今頭の中にあることを書いていきたいと思っている。

言ってもいいのかな?

 「ちょっと言わせて」はなかなかの意味あるタイトルで、使う側にとっては非常に都合のいい言葉だ。だからといって無責任に勝って気ままに書けるというのではなく、どんな事象にも「ちょっと言わせて」と入っていけそうな気がする。
 それでは、すったもんだの政局について「ちょっと言わせて」。
 加藤、山崎両反主流派の党内ちょっとした革命も、本会議欠席、不信任案否決というあっけない幕切れとなって一応の決着を見た。森首相の政策行政に何か失政があったのだろうか。あろうはずがない、スローガンばかりでまだ何も目に見える形での効果がないからだ。そんなヤキモキしている国民の声が加藤さんのHPに飛び込んできたのかもしれない。残念ながら国民は森おろしにそれほど真剣ではなく、実はマスコミの森おろしに実直な小市民の一部が翻弄されていたに過ぎない。何しろマスコミは、売れる記事を作り出すのに時には売国奴のごとく振舞っても何ら羞恥心を持たないことがある。そのような扇動的役割を担っているのがマスコミであるといっても過言ではない。勿論すべてのマスコミがとはいえないが、今やペンは正義ではなく、無法な暴力である。かつて日本を紹介した本「菊と刀」には、日本とアメリカの文化の違いを「恥の文化」と「契約の文化」と置き換えた人がいたが、少年の頃に知ったことでとても新鮮で妙に納得して、侍魂を誇りにさえ思っていたが「恥も外聞もない」と言った日本語の方が、今ではぴったりとくる。 あの本もいくつかの訂正を強いられそうである。
 それにしても加藤さんの幕引きはいただけない。自分についてくる仲間のことを思っての決断であることは解る。しかし、その選択に異議を唱えるのは、私ばかりではあるまい。城盗りの武将としては自ら勢いをつける度量にかけるのではないか。いずれにしても、加藤さんの首は飛んでしまったのだから、速やかに強靭な後継者を指名し潔くすることが肝心だろう。
 情けないことは、同じ派閥の中にこうもりみたいな奴がいて、あっちこっちと情勢を判断し、勝組に狙いを定めたら、あたかも一番槍を仕掛けたのごとくに振舞うやからのいることである。
 主流派も不信任案を否決したら「それが即信任であることだと思わない」と野中さんの言葉。森さんは「激励だと受け止めている」と言う。このやり取りを国民の誰もが立派な国語だとは思っていない。このように分かりにくい曖昧模糊とした言葉を言い放って、なんとも感じない永田町の神経に国民は苛立っているんだということにそろそろ気付いたらよさそうなものだ。
 現在の自民党は公明党抜きでは何も決定できない。政権与党であるけれども、政策を遂行するための与党ではなく、政権を持続するだけの政党に成り下がってしまった。この前の衆議院の選挙でも、惨敗しているにもかかわらず「良く健闘した」とは党幹部のコメントである。他党に必要以上に譲歩するのは、すでに自民党の崩壊を示すものである。案外野党の言っている「自民党の末期的現象」は当っているかも知れない。これから後自民党をだめにした幹部たちを、それこそ歴史が彼らをいたぶることになるであろう。
 不信任案否決後の国会中継を聞いていたら、野党の質問はほとんど政府の追及や個人への攻撃に終始し、国民の代表として互いに手を携えて協力し合ってこの国を何とかしてゆこうという姿勢は微塵も見られなかった。政党政治の中で、党利党略を第1儀に考えない党など存在しないことが良くわかった。
多数議決の議会制民主主義は解るけど、よほどの哲人が現れない限りこの国はだめになってしまうのではないか。多少強引でも衆愚に寄らない政治が出来る人、民衆のために命をかけることをいとわない人。得よりも徳を重んじる人。
首相公選制はどうだろうか。かつて自民党の中曽根さんが提唱していたと思っていたら、自分が首相になってしまったらかどうかは分からないけれど、いつのまにか立ち消えとなってしまったようだ。国会法か何かはわからないが、国民の声が高まれば首相公選制の可能性は大いにあると思う。混迷を極めているときこそがチャンスであるように思う。
政治に興味を持ち意見を持つことがこの国を良くする最大の近道である。私はずっとそう思ってきた。例えば自分の暮らしを今よりももっと良くするには、政治家がどのように動けばいいのか、それは果たして可能なことなのか。友達が困っているときに行政は何が出来るのか。政治を考えるのに、身近に山積している課題は浜の真砂の如く尽きることはない。

そろそろ皆さんに尋ねよう。政府が少子化対策で打ち出した「預かり保育」は、夫婦が子どもを安心して産み育てようとする動機になりうるだろうか。働く母親にとっては便利であることは承知しているが、うまいところだけを取って立派な子どもに育てて欲しいなどという願望は持たないほうがいい。子どもは親がしてくれたことに対して忠実に返してくれる。それは満ち足りても足らずしても、手をかけても手を抜いてもそれなりに返ってくる。世の中や他人の責任にしてはならない。
 あなたの子どもが、社会に出て多くの人から信頼され素晴らしい家庭を築いていくのには、当然のことながら子育ては他人任せであってはならないし、手を抜いてはならない。やっただけは子どもがきっと返してくれる、期待を持って楽しい子育てをしたいものだ。そのための私は、見事なサポーターになれるよう努力することに何物もいとわない。