初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

幼稚園児と小学生

幼稚園の中を歩いていると年長さんは『おはよう!』と元気な声で挨拶をしてくれる。年中少さんは大体まつわりついて来る。そして一方的に話しかけて来て、その話は取り留めもなく続く。主語を言わない話だから、何を言っているのか分からない。それでもしっかりと目を見て話を聞いてやらないとと思ってじっとしていると、話が終わらないうちに「バイバーイ」とか言って離れていく。一生懸命話すことを楽しんで、話し方を獲得する学習をしているのだ。聞いてやらないと話はしなくなる。

年少さんがダンボールでお部屋作りをしていて、出来上がったお部屋で楽しそうに遊んでいる。楽しそうと言っても、入口らしいところから出たり入ったりしているだけで「キャッ!キャッ!」している。そんなものだけれども、とろけるような顔をして、いかにも満足そうに笑っている。不惑の世界の天使たちだ。そんな子ども達を観ながらほほ笑んでいると、そこへ男の子が割り込んできた。思わずどうなるのかとかたずを呑んでみていると、女の子から猛烈な抗議の嵐で、それでも平気な顔をしている男の子は、女の子の実力行使にあって、足を引きずり出されてしまった。

その時に顔を少しこすってしまったらしく、痛そうにして泣きながら私の方を見ている。女の子たちは『大丈夫?』と心配そうに頭をなでてあげているが、気が入ってない。だから男の子は泣きやむ気配がない。まだ私の方を見ているが、私は何も言わずにその結果を見ようとしていたら、女の子たちは全く無視して次の部屋へ移ってしまった。まだ男の子が泣いているので、肩を抱き寄せて言ってあげた。「女の子は強いんだ、お前も強くならなくちゃ・・・なっ!」。男の子は泣きやんだ。

芦田愛菜ちゃんは何故可愛いのか。あのままじっとしていたのでは、いくら可愛い顔をしていてもやがて飽きが来る。あの顔と動きがうまくセットになっているから、可愛さが無尽に果てしなく広がっているのである。幼稚園での子どもたちの動きで、それが確かなものであることを確信した。つぶらな瞳で懸命に動き回る様子は、見ていて飽きないしうっとりするものがある。そのうちじっと見ていると、ひっくり返りたくもなる。男の子はあちこちと破壊し回っていて、うっとりと見られることはこの先もないだろう。可哀そうな一面もあるのだ。同性としては、ただひたすら励ますのみである。

そんなことがあって初等学部に来ると、野球場で子どもたちが遊んでいる。馬小屋の方から見ると、子どもたちが小さくしか見えなくて、ごちゃごちゃと交差しながら飛びまわっているのしか見えない。やがてその子どもたちが教室へ戻ってきた。やんちゃな1年生である。私がクラスに入ると、結構静かに席に着くことができる。そして一人の男の子が「野球場楽しかった人手を挙げて!」と立ちあがって言う。良くある風景である。すると男の子たちが「はーい!」と相談でもしたかのように手を挙げる。女の子はそんなことには無視。幼稚園も1年生男子もあまり変わらない。

学校説明会と入園考査

幼稚園では平成24年度入園考査が行われ、初等学部では今年度最後の入学説明会が行われた。午前中に両園を見てと思っていたけれども、右の耳が全然聞こえないので近くの耳鼻科に行ってきた。そんなことであおば台幼稚園だけを見ることができたが、第二には行けなかった。耳は小さいころ中耳炎をやったことがあるので、それが原因しているという。もう半世紀も前のことだ。どうも水が溜まっていたらしくて、それをプシュッ!と抜いたら少し聞こえるようになった。治療を続けたらもう少し聞こえるようになるらしい。なんだかとってもありがたい先生だ。

学校説明会は、もう何度かやっているので、そのたびに目先を変えたお話を心掛けてはいるものの、引き出しの中が空っぽになると恐怖を感じる。どうせ自分はこれしかないと言い聞かせても、保護者の圧力は凄いモノがある。昨日の説明会で、私の35年の幼稚園園長生活を振り返って、多くの保護者との懇談会や、話し合いから抽出してほとんどの話し合いが母親の悩みの解決であった。そこから、本来母子は向き合って、微笑み返しをしながら、幸せ感を持ったり人生の充実感を持つはずなのに、苦労や苦痛の話ではだめじゃないか。母親が幸せにならなくちゃ・・・・と思った。

幼稚園でも「子育ての基本は何ですか」と問われたときに、私は即座に「母親が幸せになること」と応えている。しかし日本の母親の多くは「私が犠牲になってもこの子だけは」と、野口英世の母親の残像に重なり合わせる。それで野口英世は幸せだったのだろうか。彼は母親の葬儀にも研究で忙しくて出席していない。彼は多分母親に感謝こそすれ、自分が幸せだったなど感じたこともないだろう。

母親の苦労や苦痛な表情を見て、どれだけ大金を積まれても幸せになれる子はいない。母親の笑顔こそ子どもの生きる希望であるし励ましなのだ。もともと日本には「犠牲になる」という概念は存在しなかった。つつましい生活態度の中から、自然に助け合う心があった。「犠牲こそ究極の愛の証である」と言ったのはフランスの詩人。いかにもキリスト教的な発想であるが、私はそうは思わない。人は助け合い、励ましあい、共鳴し、共に手を携えて同じ方向を向いて歩いて行けることこそ、究極の愛の姿だと思っている。「犠牲」はやめよう、周りを困惑させるだけだ。

今日は初等学部の子どもたちは行方郡へハンドボールの試合に行っている。彼らは非常に燃えている。この前の試合で初めて勝ったので、その勢いもある。三島由紀夫の書いた『葉隠れ』に、「死に物狂いという狂い方がある」という文節がある。この時期こそ彼らはそれに没頭できるのであろう。私は幼稚園で事務の仕事だ。これから長い道のりだから勝敗はどちらでもよいが、何か一つでも閃くことがあれば、それこそが大切だ。

TPPに一言。尊王攘夷ならぬ尊農攘夷である。かつて開国派の幕府と尊王攘夷派が戦い、結局幕府は大政奉還を強いられ、事実上攘夷派が実権を握ったが、その展開は思いもかけぬ速さで開国へと向かった。今は平成の開国騒動である。この問題の意見は、この紙面ではとても書ききれない。

ファミリア

ファミリアとは家族と言う意味だけれども、ファミリアで食べる5年生が作る自炊給食は実にうまい。おかわりの列が長蛇の列だ。全児童合わせてもたいした数ではないから長蛇といってもたいしたことはないけれど、1・2年生を気遣う3年生5年生の姿にうっとりする。確かに家族と言う気がする。優しさが育たなければ本物の強さは育たないから、とても良い傾向にある。

昨日1年生と2年生に泥んこパンツの購入を勧めたが、2年生の女児については家族の判断に任せますので強制はしません。大きなユンボがあるので田んぼを造ったり、泥んこプールを作ったりします。

幼少期はなぜ泥んこが好きなのかとのお尋ねがありました。
別に好き嫌いというジャンルでくくることではなく、内面にあるもやを吹き消すには泥遊びは最適です。しかも泥につかって周りを気にすることなくそれに没頭できることは、自己を開放することであります。それは夏にしかやりません。泥のぬくもりと母親のぬくもりを一緒に感じられるのでしょう。そうして気持ちを安定させていくのでしょう。もうひとつ、泥は子ども達の身近にある科学的な道具であるのです。水の加減によってどうにでも変化するとても感動的なものであります。

気持ちを安定させるだけのものなら、泥遊びに限りません。新聞破きや何でもいいから破壊的行動など、塗ったくり。全てストレス解消になるけれども、泥んこプールなどは最高にいいだろう。これは何も幼稚園の専売特許ではない。小学校低学年でも必要なことなのだ。「もう小学生なのだから服は汚さないで!!」などと無理解なことは言わないで。汚してくる服を洗える幸せをかみしめて欲しい。

内面の育ちはその年齢に応じた育ちを大切にしよう。能力はいくら磨き上げても良い。しかし年齢にあった言葉遣いが必要だし、遊びが必要だ。

初等学部のことばかり書いているようですが、幼稚園が基本ですから二つの幼稚園に行って気がついたことがあると、保育者を呼んで耳打ちをします。幼稚園も小学校も大切なことは子ども達が明るい笑顔を保っていること。気になることは一人で寂しい顔をしている子はいないかということです。今楽しいと感じていることの持続こそが幸せになる道です。私達は皆ファミリアですから。力を合わせて楽しく生きてまいりましょう。

やることがまだ残っている

脳梗塞と言う私には無縁だと思っていた病気にかかってしまった。病院に入る10日前頃からこのブログを書いていて変換すると、めちゃくちゃな文字に変換されていて、打ち方を間違えたと思い何度も打ち直しをしてみても同じ結果しか出なかった。多分パソコンが壊れたと思ってそのままにしておいた。

あくる日に続きを書こうと思って、普段どおりにキーを打ってみるとやはりうまくいかない。きっとこれは脳の仕組みが少し壊れたのかとそのろきはじめて思ったが、しばらく経つと治るのではないかと誰にもそのときのことは話さなかった。今度はパソコンの前に立つのが怖くなってブログもそのままにしておいた。

それから4~5日たって幼稚園で保育者にお茶を出されてそのお茶を飲もうとしたが湯飲みが持てずに、湯飲みを下に落としてしまい、湯飲みを割ってしまった。近くで見ていた保育者数名がすぐに車を用意して私を病院に運んでくれた。半ば強制的に有無を言わさず私を運んでくれた。私もよく素直に従ったと思っているが心から感謝している。

病院で自分の名前を書くときにうまく枡の中に入らなくて、自分自身でも「これじゃほんとに参ったな」と思った。即座に入院となったが、ベットの中で「今はまだやることが残っている。もう少し生かして欲しい」と真剣に祈った。

退院して(ほとんど無理やり)学校に来ると、ある子どもから手紙を貰った。「先生がかかった脳梗塞に良い生活」と不ぞろいの文字を並べて私にくれた。最後に「先生のかかった病名はわからなかったのですが、血管や血流に良いことを調べました」とあった。思い出して書いているだけでも熱いものがこみ上げてくる。「ありがとう」。

書きたいことがあふれている

今日の1年生は幼稚園でも通用するようなすごい動きだ。泥んこプールだと言ってわざわざ蛇口をひねって水溜りを作ってその中に飛び込む。ペットボトルに水を入れて頭からかける。泥水の中に飛び込んでいって水しぶきがあがるのがとても気分がいいようだ。まるで幼稚園の年少さんや年中さんのようだ。結構開放できたのではないかと思う。

2時間ぐらいやっていたけれど、担任も一緒になって泥の中を横断したりして、子ども達に泥水をかけられキャーキャーと言って騒いでいる。担任が一緒になってやってくれるので何も気兼ねせずに没頭して遊びに集中できる。幼稚園を経験している教師だからこそできることだ。ブランコに乗りながら「1時間目遊び」「2時間目遊び」「3時間目も遊び」「4時間目も遊び」と節を付けて歌っている。「オイオイいつ勉強するんだよ!!」と私が言うと、全員が私を無視して「5時間目も遊び」と歌いだした。担任が私の隣でげらげらと笑っている。いい風景だ。

子ども達が緊張感を持たないで堂々とそのような歌を歌っていることはとてもいいことだ。このような生活が学校の中にあるということを体感してくれただけで、これからの授業に集中して取り組むことができるだろう。遊びばかりじゃだめだけれど、教室の中にすし詰めにして机上の授業ばかりしていたのでは、こちらのほうが人間の育ちとして害が大きい。

これからこのようなことを頻繁に取り入れていくので、運動着だけでは着ているものが不足してしまいますので、1・2年生にはあおば台幼稚園で取り入れている泥んこパンツを、全員が購入していただきます。幼稚園と同じ1着1400円です。3年生でも欲しい人は連絡帳でお知らせください。泥んこをやるときにはその泥んこパンツをはいてやります。そうするときれいな制服のままで帰ることができます。

もひとつシャワー室が必要になりました。現在井戸を掘ることで業者の人と交渉中です。井戸ができたら水とお湯の出るシャワーを作ってあげたいと思います。男子の場合は外の馬小屋のところにあります。これはもともと馬のために作ったのではありません。今までそのような遊びがなかったために使われなかったのです。これからは両手両足をびゅんびゅん伸ばして生活できる学校づくりにまい進していきたい。シャワーもどんどん使って、勉強するときは一点集中型で取り組むことが必要です。

大きなユンボ(穴を掘る大型重機)を借りてきました。いよいよ池を掘る作業に入ります。池を掘って、川を作ってそこにカヤックを浮かべ、出てきた土で山を作ってそこで子ども達にマウンテンバイクを走らせる。そんなことを友達に話したら「霞ヶ浦を買っちゃえよ」だって。やるといったらやるんだ。子ども達が私のまねをするんだ。途中で決して投げ出さない。子ども達が描いたアスレチックを頓挫させてはならない。見ていてください。