初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

入園式が終わった

幼稚園の入園式が終わった。年々泣く子が少なくなっている。20年前は母親から離れられない子が普通であったが、そのような子は見られない。もっともあおば台の入園式は、隣に母親が座るようになっているので、不安がる子はいないのかもしれない。

 

親が見えない場所にあっては、不安を通り越してかなりの恐怖感を持つ。動物の中でこれほど弱弱しく生まれてくるのは人をおいて他にあるのだろうか。だからこそ、そばにいて常に安心安全の生活をして、人を信頼できる人に育って欲しい。「優しい人に育って欲しい」と願っていても安定した温もりの中でしかそのような情緒は育たない。是非心に留めて欲しい。

 

待機児童の解消と言うのがもっともらしく叫ばれているが、正しくはその対象となっているのは乳幼児である。3歳児未満の乳幼児が対象である。実態の分からないものが懸命になって保育所を沢山造れといっている。保育所は乳幼児期から入所でき、保育時間も長い。働く母親にはとても都合の良いものであるが、子ども側からみたらどうだろうか。乳児期に他人に育児を任せてしまうのは、個体発生の発達に合わない。うまくいった例を挙げて言う人もいるけれど、うまくいかないことのほうが大半を占める。

 

一方では母親が安心して子どもを産み育てることが出来る環境を作ると言いながら、保育所の増築だけでは本末転倒な話。母親の要求は経済的なことだけではないと思う。一番に必要なのは、子育てに対する社会の理解である。産まれてから1年ぐらいは、赤ちゃんの夜泣きなどで眠りにつくことができないで、悶々とした毎日を送っている母親に、優しくねぎらう社会が必要なのだ。家庭で安心して親が子どものそばにいてあげられる社会を作るのが本当の話で、保育所を沢山造って、親子を切り離すことを奨励しているような国策はまったくもって愚策である。

 

とにかく今日は、新入園児が始めて親元を離れて幼稚園に来る日である。朝一番に初等学部で子どもたちを出迎えて、そのあとは二つの幼稚園に行って、新しい子どもの様子を見るのと大きな声で挨拶をしに行った。「安心して楽しみに元気に来て下さい!」と言って歩いた。やはり泣いている子がいた。「ママー!ママー!」と保育者の背中にいても呼び続けている。「パパー!」といって泣く子は見たことがない。

 

母親がこういった状況を目の当たりにしたら、きっと子どもと一緒に泣いているのだろうなと思う。親も子もそういったことを経て成長していくのだから、思い出のアルバムの1ページにそっとしまっておけばいい。

 

偉そうなことを散々言ってきたけれど、保護者のご協力がなければ私たちは手も足も出ない。共に手を携えていくことを重ねてお願いをしたいと思う。これから、幼稚園の保育者ともどもよろしくお願いします。きっと素晴らしいお子さんになってお返しすることができます。

授業が面白い

昨日、英語の教師のゾルタンの出身地のハンガリーについて2年生の前で話した。その首都についてどのようにしてできたのかと言うことを話していたら、子どもたちは興味津々。それでは日本の首都はどこかと言う問いに全員が「東京!」と答えた。こんなことって・・・・?2年生で首都をやるの・・・・?少し驚いたが気を取り直して「東京ってなぜ名前ができたか知ってる?」と聞いたら、みんな黙って首を横に振り、困ったように私の顔を見る。その顔がうっとりするほどいい顔をしている。

 

2年生相手に勝ち誇ったようにしていたわけではないけれど、少しばかり言わせて頂くと気持ち良かった。それでしばらく2年生に会うと「先生東京の話してよ!」と言うことになった。今日はあの感激の入学式だけれども、午後の時間に2年生からオファーがあって授業をすることになった。例の「東京」の話だ。ひとしきり奈良、京都、東京の順に話を進め、そして子どもから「北京もあるよ!」の声。

 

何をやっているのか分からなくなって「今は何の時間?」と聞くと「国語の時間!」と元気に答える。今まで地理と歴史をやっていたのだが、子どもたちは良く黙って聞いてくれた。即座に国語の教科書を出してもらい、子どもたちに順番に本を読んでもらった。ここでまたひっくり返るような驚き!!。きれいな声で声優のような抑揚で見事な読み方だ。手ごわい相手だった。

 

楽しいよ!!初等学部。明日は1年生が来る。幼稚園の入園式もある。生きている実感が十分すぎるほど身体から滲み出しているようだ。

サバイバルが終わった

両園合同で行う初めてのサバイバルが、初等学部校庭で行った。少し風が吹いていて肌寒さがあったが、子供は風の子、この程度では音を上げない。校長は気温が低いのを気にして、未使用のクラスを温めて、そちらで食事をとったらどうだというようなことを言って気にかけてくれましたが、野外で薪を使ってうどんを煮ているのでそうもいかない。

 

ほぼ予定通り進行した。10時40分から50分までの間に到着し、まず校長先生にご挨拶をし、「よろしくお願いします」と元気な声で言うことができた。早速校庭に出て、桜の木の下で両園の子ども達が向かい合い顔合わせをした。そしていよいよサバイバル。

 

1周200メートルのトラックを15周した。今までは片道130メートルの所を10往復で2600メートル走ってきたが、今回は場所も変わったし、今までと同じにする場合はトラック13周となる訳だが、いかにも中途半端。そこで区切りよく15周にした。ルールは歩いてもいいが止まらないこと、おしゃべりをしながら歩かない。手をつないではいけない。それだけ伝えて、鍋がかかっているカマドのところへいって火を付けた。

 

保育者たちは昨日まで10州だと思っていたらしい。私がそう言っていたとのこと。年のせいか言ったこともよく覚えていない。しかし今までより少ない距離を走るのでは、子ども達もそれを知ったらがっかりするだろう。是非とも3キロも走ったことはあおば台始まって以来初めての快挙であると子どもたちに伝えて欲しい。

 

最初から歩く子はいないが、時間が過ぎると徐々に歩いている子が目立つようになる。それでも汗を拭きながら黙々と走り続けている子もいる。鍋の中の湯が沸騰するころには1着の子が「やった!」と私のところへ飛び込んできた。両園合わせての1着は第二幼稚園男子。2着はあおば台の男子。3・4と第二の男子。5着があおば台の女子。女子の1・2着はあおば台だった。1着になった男の子は他の仲間からも「駆け足はいつも速いんだよ」と言われていた。

 

続々と走り終わった子が集合してくると、「馬を見に行こう」とか「触ってきてもいい」などと言ってくる子がいて、次々に遊びを見つけている。しかし誰からともなく「まだ駆けている子がいるから応援に行こう!」という子がいて馬小屋からトラックへ小走りで移動が始まる。誰一人落伍者が出なかった。全員が走り終えた。よくやるよ子ども達。

 

次は「立派な年長」の導入があって、その次に生活発表会の劇遊びが始まる。子ども達のグループ名も劇の役柄になっていた。「泥棒グループさん」「警察グループさん」「忍者グループさん」とか保育者が呼んでいると、違和感もなくごく自然に集まってくる。楽しいな子どもの世界。

 

みんなよくやった。初めての経験の割には臆することもなく、堂々と最後までやり終えた。これからもそのような体験をたくさんしていこう。お家の方もたくさん褒めてやってください。あなたたちのお子さんはしっかりと最後までやり遂げることができる。何度でも頭をなでてやってほしい。

サバイバルの準備はOK

いよいよ3学期最初の年長のハードルが始まります。それは10数年前に始まった年長だけのサバイバル。最初の頃は、我が家の隣にあった背の高い雑草の生い茂る空き地で始まった。自分の身長よりも高い雑草の間を縫ってどこまでもまっすぐ歩くというものだった。仲間がいないと意外と心細いものだ。心細いものだから仲間の手をぎゅっと握って、互いに互いを頼る。ヒヤッとするその空間で、何かを発見してくるというものだが、そんな余裕はなかったかもしれない。大体20分ぐらいの時間だが、子ども達にとってはかなり長い時間に感じたかもしれない。

 

本来飽食時代に育った子達が、ちょっと厳しい、辛そうな活動をしたあと粗食に耐えるというものだったが、しばらくやってみたら、粗食が珍しく「こんなうまいものはない」ということになってしまった。いつの間にかサバイバルの後の食事が、とても楽しみになってしまっている。そうなると食事を用意する側もその気になって、少しばかりのバリエーションを加えるなどのことも無意識のうちにやってしまうものだ。

 

今年は青葉台初等学部で行う。初等学部の校長以下全員が快く迎えてくれる。あおば台幼稚園で保育者をしていた貴大先生が仲間に入ってくれる。どのようなことをするのかは私の頭の中だけにあります。ご期待を頂きたい。

 

昨日、私の友人が勤める大学で、保育者になろうとしている学生に話しをしてきた。講義と言って何かの教科を教えるというのは一切やめることにした。あの学生達が私から何を学び取りたいのかというと、レアな保育現場の出来事。質問の中に、仕事を速く覚えるのに何か秘策みたいなものはあるのかというのがあった。男子学生の質問であったが、真摯な態度でとても気持ちのよいものであった。

 

男女共にみんな優しい眼をしている。もっともっと伝えてやりたかったこともある。彼らが何も心配することなく保育者になって、いつも明るく子ども達と向かい合って毎日を過ごして欲しい。保育者になることに大きな夢を持ち、豊かな希望が持てただろうか。私にできることがもっとあったのではないかと省みる。私を呼んでくれた先生に感謝しながら、又一つ学ぶことができたことに「ありがとう」。

年長の役割

両園共に子ども達の弾んだ声が園舎一杯にこだましている。やはり幼稚園はこれでなくてはならない。子ども達のいない幼稚園はどでかい不気味な倉庫でしかない。いいな・・・子ども達の屈託のない笑顔。今の大人たちもそんな時代があったのに、どこかに置き忘れてしまった。いつの頃、どこに置き忘れてしまったのか。久遠返してみれば、どこかにぶち当たるはず。戻りたいとは思わないが、子ども達を前にすると自分が恥ずかしい。

 

年長はこの3学期で卒園してしまう。第2幼稚園で年長の合同集会があるというので、そこで「立派な年長」の話をさせていただいた。年長の保育者と前もって約束したわけではないが、タイミングがよかった。

 

3学期は特に年長さんに力を出してもらわなくてはならない。これからすぐに「サバイバル」がある。今年はあおば台と合同で初等学部でやる。自分の力をよく知って、まだやれると思ったら、力を出し切るのだ。そしてお友達を応援できる優しい心を持つ。

 

「生活発表会」がある。これはみんなが力を合わせないとできない。仲間のすごいところをみよう。そして一人でも多くの仲間の応援をしよう。仲間もきっと自分のことを精いっぱい応援してくれる。

年長さんのやることを、年中や年少さんが見ている。カッコの悪いことをしないようにして欲しい。幼稚園は年長さんという皆がいないとやっていけないのだ。皆の素晴らしい心がこの幼稚園を作っている。よろしく頼むよ。・・・・・このような話をした。皆の目は一直線にわたしのほうを見ている。目に力があって真剣そのものだ。

 

他人の口に戸を立てられない。ごちゃごちゃと外野が騒がしいようだ。理事の皆さんからも「おい、随分頑張っているな!」と連絡をいただく。私に何度も言わせないでほしい。私は子どもたちの幸せを見守るために初等学部を始めたのだ。思い違いをしている親の強引な欲求を満たすために始めたのではない。この先どのようなことがあっても不動不惑である。「子どもたちと共に生きる」。

 

建設委員長の高橋さん。かつて不動産鑑定士の国家試験を全国最年少で合格した秀才だ。つい最近まで破られなかったが、2~3年前に灘高の高校生に破られたということを聞いた。この人は法文を熟読しているから、文章に無駄がなくけれんみがない。人当たりも良く豪快で彼のファンも多い。私と苦難をともにした人だ。彼の意見を120%支持する。