初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

お詫びが見えない?

終戦後進駐軍が日本統治をするために、場所ははっきりとしないが、保険会社か今のホテルになったいるところにGHQを置いた。教育部門とか、憲法を改正する部署とか、治安を維持する部署とか、一刻を統治するのだから様々な部署が出来上がって、マッカーサー元帥がその頂点に立った。東京裁判の日本側の裁判記録と、連合国側の記録が著しく違っていることに、日本の文化人たちはその検証をしないでいる。日本側の言い分として、日本の当時の弁護団長たちの分厚い記録があるから、読んでみると情けないほどずさんな裁判であったことがはっきりする。

戦犯の重光葵の弁護をしたアメリカの弁護士が、『戦勝国が敗戦国を裁くこと事態公平な裁判ではない』とか『一般市民への無差別攻撃はしてはならない、という戦争犯罪を問うならば、私は広島や長崎に原爆を落とせと命令した人物を知っている』ということを発言した、アメリカの陸軍中尉がいた。日本の弁護士ではない米国の弁護士である。その時に法廷は一時通訳が切れてしまって、日本語通訳がされていない。そして居並ぶ判事の中から(キーナンだと思う)『我々は日本の言い訳を聞きに来ているのではなく、彼らを裁くために来たのだ』と、私は戦勝国の思い上がった言葉を知っている。だから日本人が自ら東京裁判の結果に従順になる必要なんて全くない。戦後70年も経過しているのだから。

今度の安倍総理の米国訪問に中国は不快感を示しているという。米国の腐心した日本人の心の解体の一つに、永久に罪意識を刷り込むことと言うのがある。韓国も一緒になってやっているけれども、今回の訪問でも記者会見の中で一番最初に出て来たのが慰安婦問題である。韓国政府が米国広告会社と月ぎめ契約で、日本たたきを依頼している結果である。韓国はベトナム戦争で米国と一緒に戦い、現地では韓国軍は一般市民に平気で危害を加えるなど軍規がたるんでいて、青鬼と呼ばれて最も市民に恐れられていた。そんな国にとやかく言われる筋合いはない。米国ジャーナリズムも二三流の金目当ての記者もいるし、正義は米国司法の専売特許ではない。『お詫びが見えない』など、日本人のくせに外国の思うつぼのような意見を言うことのないようにしていただきたいものだ。

学校の教務は順調にいっている。昼食作りなど教務外では、このようになればいいのにな思うこともある。昼食は学内で作ると、人事などで余計な心配を増やしているようなもので、仕出し屋に頼んだらいいのにと思うことがある。一度仕出し屋に頼んだ給食を出したことがあったけれども、何らかの理由でやめた。学校で作った方が安上がりだと思っている人がいたら大間違いで、仕出し屋の方が安上がりになる。現状ではどちらでやったからと言って、どちらがよいということもない。現在は学年で食べているようだけれども、ファミリアで食べる様な提案がなされればよいのにと思っている。

保護者会総会

新しい年度になって新しい役員が選出された。総会のあり方については、いろいろなやり方があるだろうから、これがベストだというものはないだろう。

役員をやっていると、有形無形色々な人から突っつかれもするでしょうから、大変なことだ。みんなが協力してて役員を支えるという度量がないと、役員になる人がいなくなってしまうだろう。とにかく今までの役員さんの労をねぎらうことにしよう。『大変な時にご苦労様でした』。また新しい役員の皆様に『よろしくお願いいたします』。とにかく子どもたちを中心に据え、争いのない穏やかな、そして出会った人たちがみんな幸せになれるような学校にするために邁進してまいりますので、しっかりとサポートしていただきたいと思います。

総会の後に保護者有志による『あおば祭り』が開催された。弓矢があったり、吹き屋があったり皿回しがあったり、ゴム銃もあった。子どもたちは夢中になって遊んでいる。難しそうな皿回しなどに何度も挑戦して、少しうまく行くと黙っていても次の困難なものへ挑戦して行くものだ。子どもの眼がいいではないか。生き生きとして輝いている。いや子どもたちばかりではない。一緒にやっていた大人の顔も生き生きとしていて、しばし童心に帰ったのではないか。保護者との立ち話ではあったけれど、ファミリアに期待しているということを聞いた。俄然やる気になったというか、子どもを見ていれば子どもが変わっていくのがよく見えるではないか。

実践的なフロー教育と言うのが始まったが、子どもたちは戸惑いもあるだろうが、バーチャルではない本物の教育をやって行くので、そのことだけは子どもたちにも伝わっているようだ。今にもっともっとフロー状態にしていくから、期待してもらってもよい。もともとその原点は幼児教育にあるのだから、そのやり方は本を読み読みやらなくても体の中に染み付いているので、先手を取れるのが強みだ。これから楽しくなるぞ!。

歴史認識

私たちが戦前戦後を通して歴史を教える時に、中国や韓国が言っているような日本の『歴史認識』とは一体何なのだ。日本の歴史の教科書では、戦後の出来事をあいまいにしている事柄が多く、野党や他国を必要以上に意識していることがうかがえる。中国とは田中角栄のときに周恩来との間で国交を樹立し『過去を問わない』『戦後補償はこれを問わない』という覚書がある。しかしODAで膨大な補償というか中国のインフラ整備をした。しかしこれを中国は、『当然のことだ』と言って、あたかも戦後補償を露骨に要求してきた。韓国と言えば、今の朴大統領の父親のときに、戦後補償はすでに解決済みということになった。

そもそも現中国共産党と戦ったわけではなく、当時の相手は台湾に逃げた蒋介石の国民党である。国民党と日本が戦っている隙をついて、中国共産党は勢力を拡大していったのである。戦勝70周年だなんてチャンチャラおかしな話だ。日本は彼らと戦ってはいないし、彼らだって戦った覚えはないだろう。蒋介石が生きていたら何と言うだろうか。もっとも生きていたら言えない。韓国は日本と共に連合国と戦ったのであるのに、戦後保障とは何事だろうか。先代の朴大統領の時に、ソウル市内の地下鉄について日本の経済援助でこれができたわけだが、韓国ではそれが汚職が噂されていて、今の娘の大統領は日本のおかげで大学へ行けたともいわれている。

もう一つ言わなければ気が済まないことがある。朝鮮併合のことである。当時の朝鮮は国家として世界地図に記されている中では、地球上では最貧国であった。だから日本では併合することに慎重であったし、立憲政治の初代首相の伊藤博文などはかなり反対したらしいが押し切られたといわれている。余談だが韓国では伊藤を暗殺した安重根は英雄とされているが、北朝鮮では思慮に欠けた大ばかものとなっている。また朝鮮併合は、米国との約束の上でなされたとも聞いたことがある。米国はフィリピンを奪還するためにスペインと戦っている最中である。戦力を移動できない米国が日本に頼んだということだ。それは南下してくるロシアの脅威である。その裏を知っていた伊藤が猛反対したのだろう。

それに現在行われているインドネシアでの『バンドン会議』である。これはアジア・アフリカ会議と呼ばれていたものだと認識している。先進国に対して後進国が団結した会議で、スカルノとかネールとかが活躍していた時だ。ここで日本の首相から『お詫びの言葉が聞かれない』とまたもやクレ-ムをつけた国がある。韓国だ。アジアの国々を侵略したということを言わせたいようだが、これは事実だろうか。当時ここを統治していたのはアジアの民ではなくヨーロッパや米国と言った帝国主義の国家であって、彼らこそ何故侵略したと言わないのだろうか。そしてなぜ言わせないのだろうか。侵略国がその国に謝罪を入れるなどの、欧米にはこのような習慣がないのである。だから米国が日本に対して注文を出すのはお門違いである。

子どもたちと向き合う

これは幼稚園でも初等学部でも一緒であるが、子どもたちを上目線でも下目線でもいけない。教員はややもすると子どもたちより上だという意識がある。だから教えなければならないという感覚。上なのは年齢ぐらいなものだ。年齢だけは死ぬまで追いつけられることはないから、上であると思っても良いけれど、人間的に人間力などはどうだ。それに知識の量はどうだと問われれば、人間力については、子どもたちに追い越される可能性が大である。知識などは最も顕著に追い越されるだろう。その分彼らは覚えなければならないことや、身につけなければならない知識の量が、我々よりはるかに多い。

教師にとって一番大切なことは子ども達から慕われることだ。基本的にこれが機能しないといくら知識を伝えようとしても子どもたちから拒絶されてしまう。そうなっては悲惨だ。子どもたちから慕われるようになると、子どもたちの生活は能動的になり、脳が活性化されるから、子ども自らのやる気という内燃機関が動き出すので、放っておいても子どもたちの知識は蓄積される。だから教えようとしなくても、子どもから好かれる教師になることが先決である。そのような状況が、教師自らが作りだせたとしたら、教師として至福である。だから内発的動機付けには色々と試された研究があるけれども、人的信頼が一番身近にある。

建設委員長の高橋さんが、小中学校の連結の話を書いているけれど、これは文科省で決定したことなのだろう。私は知事が中央教育審議会に知事として出席して、そのような議論が昨年からあったと言うことを垣間聞いていたので、このことなんだなと言うことが理解できた。小中学校の件については、この初等学部を作る時から話をしていたので大変興味がある。そうなるともう一度私が考えたことを、振り出しに戻してやれるということだ。

3歳児

就園まえに公園デヴューをしっかりとやってきたのか、3歳児が新しい場所に来たことにそれほどの違和感がない。初めて接触するのでも、抵抗を感じさせない。不安定な子がいるというのが定説で、必ず何人か入るものである。どうなっているのだろうか。2歳児教室に通っていたという人が多いのだろうか。今はまだ慣れるまで午前保育であるけれど、帰る頃になると疲れてしまうのか保育者に抱かれている子をちらほらと見る程度で、ギャーギャーと泣く子が見当たらない。分からずやがいないというか、よくなついている。

母親の頑張りが、こんなにも子どもたちを幼稚園に近付けてくれたのだろうか。幼児期というのは自然体が一番良いけれども、もし自然体で今のような状況になっているならば、発達段階において、かなり大きな示唆を与えられる状況だ。そのくらい大きな変化である。

初等学部では初めてファミリア開きがあった。それぞれのファミリアに移動した子どもたちは、まず最初にリーダーを決めようと言うことになったらしい。リーダーはほとんどが自薦で決まるが、手を挙げることが大切である。手を挙げられるような子どもたちを作って行こう。子どもたち中心でがファミリアが行われていくけれども、何かと口を出したくなるものだけれども、少し我慢して動き出すのを見てみよう。動き出したら、多くの欠陥に気付くことになる。

子どもたちのやる気というのはすごいエネルギーである。今日は雨だと言うのに、食べること大好きファミリアは、畑を耕したいと言ってきたり、建物ファミリアは、何階建ての家を作ろうかなどと話している。劇団も、まだ何も決まっていないのに劇は何回公演しようかなどと話をしている。まずは脚本を誰が書くのかだろうな。全員が書いてもいいし、自薦でもいいのだが今日は時間が足りなくなってしまった。

初めて幼稚園で遊ぶ

もーりの、3歳になる前に幼稚園で遊ぶことができた何人かを除いては、初めて幼稚園で遊ぶことができた。あおば台の入園式が終わった後に、今日初めて幼稚園に登園してくる3歳児の様子が見たくて第二幼稚園へ行ってみた。保育者の第一声は『泣く子がいない』『とにかく遊びたくて、泣いている暇がない』と弾んだ声で言ってきた。バスに乗るときには何人かの子が泣いたと聞いているけれども、バスに乗ってしまえばそのあとは楽しいことばかりだ。バスに乗るときに泣いた子はこの次もなくだろうか。休みが間にあるから、泣くかもしれないがそれほど長くはないだろう。

バスに乗せるときに子どもが泣き始めてお母さんから離れないということがあるけれども、そんな時には強引にでもお母さんの手から離す。まるで人さらいのようだけれども、保育者も足でけられたりして、必死の思いでバスに乗せなければならない。そんな状況は長くたって1週間と続かない。だから来週いっぱいが経過すると、だれも泣きながら登園してくるものはいなくなる。そうなると子ども自身にも自信がついて、少し大きくなったという実感がわいてくる。沢山ほめてあげると次の段階にいきやすい。だから何もなくスーと幼稚園に溶け込むよりは、何か困ったことがあった方がよい。いずれにしても、これからそのようなことにぶつかっていかなければならなくなる。楽しみに成長を見守ってほしい。

初等学部では児童のファミリアのアンケートが出そろった。どのファミリアに自分が所属したいのかということだが、やはり一番多かったのは基地を作ろうといった『建物ファミリア』が多かった。その次はお店を出そうといった『食べること大好きファミリア』が多く、最後は『お芝居大好きファミリア』だった。それぞれに教師が張り付き子どもたちに夢を抱かせるような導入が必要になってくる。建物とか、食べ物とかは目に見えやすく具現化されやすいけれども、芝居の方は創造力がいる。私は三つのファミリアに所属し、何かと助言を与えていきたい、子どもたちの邪魔にならないように。

アンケート調査の結果、多分この子とこの子はいつも一緒にいるから同じファミリアになるだろうなどの予測は見事に打ち破られて、子どもたちの主張が色濃く出ている結果となった。これから学校での活動は自己決定の原則の中で生活することになる。寄宿舎があれば夜遅くまでもやりたいことに没頭できるのにと思う。フロー教育は時間の制限があってはなかなか到達することは困難だ。だからファミリアなどということが生まれたのだけれども、寄宿舎は絶対に必要だ。何と思われようが必要なものは必要だ。原則保護者には強制しないということを約束すれば、やり易いのではないか。

入園式

小学校の入学式とはちょっと違った雰囲気の幼稚園の入園式があった。大変な思いをしてここまで育ててくれたと言う気がするが、子どもたちにとってはそうしてもらうのが当たり前だから、わがまま言って親を困らせている。それでも親というのは見返りを求めない無償の愛だから、にこにこしてわがままに付き合っている。人間の愛について言えばこれほど高尚な愛はないだろう。かつて高田好胤先生が生前に父母恩重経というお経の話をしてくれたときに、『子が親を思う心に優る親心』という話を聞いたことがある。

その無償の愛も、徐々に子どもたちが大きくなって来ると親子でいい争いが起こったりする。これも子どもが成長する時のセレモニーみたいなもので、通らなければならない関所のようなものだ。何故いい争いが起こったりするかと言うと、ほとんどの場合が親が子どもの成長に追いついて行けない場合が多い。親からして見れば何時までたっても親子関係は消えて無くなるわけではないから、どうしても親権というものを使ってしまう。これは子どもにとっては抗えない禁じ手である。私が産んだ子だから、あなたのことは何でも知っている、ということになる。しかし実際のところ、子どもの年齢とともに子どもの視野が広がってくると、親の知りうることはそれに反比例して知らないことの方が多くなる。

あなたのことは何でもと言えるのはせいぜい3年生までである。それ以後はあまり使わないほうがよい。それは子どもの主体がはっきりしてきて、他者評価も自己評価も不安定ながらできるようになってきているから、大人を評価する時の基準が両親であるから、良い印象を与えておいた方がよい。良い印象というのは、子どもにへつらうことではない。子どもの意見をよく聞き、公平な判断を促すことである。そういったことが大人を信頼し、社会を信頼する大きな要素となって、立派な大人になっていく。

可愛い子どもたちだ。しっかりと手を携えて、ご両親ともどもと歩調を合わせてやっていきたい。卒園するころには『あおば台で良かった!』と言わせしめるよう努力して行くつもりだ。それには互いに一方的な会話はやめて、何かあったらしっかりと話し合える雰囲気を作っていこう。保護者も幼稚園も子どものためには一生懸命なのだから。親子ともども楽しい園生活を過ごせるように、できることは何でもやろう。

寒い日

子どもたちは冬だというのに、素足で幼稚園の室内を駆け回っている。全員ではないけれどもそんな子が結構いる。さすがに3年生以上になると、そのような子は見当たらないが、半袖になって遊んでいる子はいる。寒いというような感覚がないのだろうか。『寒くないのか?』と聞いても舌を出してげらげらと笑っている。子どもらしいといえば子どもらしいけれども、風邪をひいたりして辛いのは本人だから、我慢せずに厚着をしてくれたらいい。

友人が喉頭がんで亡くなった。そのお兄さんには私は名状しがたいほどお世話になった。お兄さんと私は師弟関係といっても過言ではなく、無能な私を開発してくれて、社会に通じる仕事人にしてくれた。幼稚園を始める以前の話だ。そんなものだから当然亡くなった弟さんとは面識がある。それどころか青年会議所で、同じ時期に監事をやらせていただいた経験がある。とても頭の良い方でひとの話を絶対にそらさない。昨年何かの勲章をもらったという話を聞いた。

癌が大きくなって頸動脈を圧迫して、血管が破裂してしまったというようなことを聞いた。死ぬのかもしれないという意識はあったのだろうか。死ぬという覚悟はできていたのだろうか。死ぬという覚悟はどのようなものなのだろうか。どのように自分を設計すればよいのだろうか。どんな気持ちで、死に際を迎えればよいのか。あまりにも身近な人が無くなったので、とても他人ごとではないような気持ちになった。私はまだやることがあるので、生きる覚悟はするけれども、死ぬ覚悟はできないし、それがどんなものかもわからない。

今日から始まった

幼稚園も学校も今日から始まった。幼稚園での挨拶をすると、子どもたちは精いっぱいの大声を張り上げて「おめでとうございます!」という。きらきらと目が輝いていて眩しいくらいだ。とにかく、年長さんはあと3カ月で終わりだから、楽しい思い出をたくさん作ろうということを話した。また年中や年少には、あと少しで年長さんになったり年中さんになったりするから、よく話を聞けるようになろうということを話した。するとさすがに年中さんは、顔を引き締めました。年長になるということは彼らのステイタスなのだということが、はっきりとわかる。

初等学部には昼前に行ったが、ポニーを13時半に迎えるのでその時に外で挨拶をしてくれというので、ポニーが学校に帰ってきてから子どもたちに新年の挨拶をした。幼稚園の子どもたちのように大声を張り上げる子はいなかったが、職員室前での集まりが解散されてからは、低学年の子どもたちが個別に『おめでとうございます』と挨拶に来てくれた。とてもうれしかった。年賀状をもってきてくれた子もいて、読むのが楽しみだ。幼稚園の子も年賀状をかけるけれども、難解なのが多い。小学生は無理やり漢字も書くし、読めるからいい。

今日は賀詞交換会で今から出かけなければならない。賀詞交換会などと言っても地元生まれで地元の育ちだから、知らない人はほとんどいない。知らない人は地元の企業でない人で、いわゆる落下傘部隊だ。ネクタイをしていないけれどこれが仕事着だから許してもらおう。

明日から全開

長い休みはもやもや感があって、どうもすっきりしない。子ども達の前に出れば、すべてすっきりする。子どもたちの癒しの力はすごいものがある。同じ人間でありながら、子ども時代のあの見えない力は一体何なのだろうか。力もなく、考える力も大人には遠く及ばないが、無限の力量があるのは何なのか。口に出してしまうと壊れそうなので、めったやたらと口には出せないが、何か尊いものが潜んでいるのは確かだ。しかもガサツな人間には、絶対に見えぬものだから不思議だ。

子どもの目には、優しさだけではなく、大人を諭すような神々しい光があるではないか。そのもったいないような子どもたちに明日から会える。子どもたちの生きようを、静かに、大切に手のひらで包むように見守り、育んでいってほしいものだ。

幼稚園でも、初等学部でも色々なことを考えて試してやって来ましたが、今年は行動の時、見えるような成果を上げるときにしたい。幼稚園ではそれなりの歴史もあるけれども、旧態依然とし過去の保育力にすがっていたのではならないでしょう。一人一人が現状から脱皮し、新しい自分を感じられるような生き生きとした保育者になっていきましょう。

保護者の皆様へ
あけましておめでとうございます。
子ども達の『幸せ』を追求して、今年も燃え尽きるごとく力いっぱい汗をかきます。よろしくご支援のほどをお願いいたします。また皆様のご家族が、お健やかにお幸せに過ごされますよう、心からお祈りいたします。

月刊青葉

『月刊青葉』という月刊新聞のようなものが、子どもたちの手によって発刊されることになった。その第一号のゲラができたと言って、広報係の子が見せに来てくれた。それがUSBの中に保存されていて、私の机にあるパソコンを手際よく作動して、そのゲラを取り出してくれた。私にしてみれば、目を疑うような出来事だ。なぜこんなに上手に動かせるのか。しかも原稿には、低学年でも読めるようにルビが振られてある。私にはこんな技術はないし、子どもがとても頼もしくなって、とても気分がよかった。

出来上がった委員会の報告だけれども、マンガがあり、物語がありでとても楽しんでやっている様子が伝わってくる。文章を作ったり校正したり添削したりという作業は、なかなか好きでないとできないだろう。何人かいる委員会のメンバーがどのようなローテンションを組んでやっていくのか、とても興味があり役割分担が上手にできるのかどうかが問題である。まあ基本は楽しくやれる人がやればいいのだけれど、このようなことが苦手だとか、苦手意識を持っている子がいるとしたらこの機会に興味や好奇心に火を点けてくれたら幸いだ。

土曜日はいつもの学校ミーティングがある日で、10時からの始まりに参加してきたけれど、子どもたちは熱っぽく真剣にやっているのは痛いほど伝わって来るけれども、なかなか問題解決まで進めないでいる。仕方がないと思うけれども、会議の原則なるものを教えてあげないと、堂々巡りで主催者側が行き詰ってきてしまうのではないかという懸念がある。大人でも議事法など学んだ人は少ないだろうが、これを委員会のメンバーにだけでも伝えようと思う。きっと子どもたちは吸収力があるから、簡単に理解してくれるだろう。

委員会のメンバーで決められた仕事を一生懸命にやっている子と、上手に逃げ回っている子がいるということで、委員長が涙ながらに訴えてきた。それで月曜日の5・6時間目を使って集会をしたいので時間を下さいと言ってきた。何を始めるのだかわからないけれども、会議にかけずに独断で快くOKを出した。子どもたち同士で感じる心がぶつかり合って、動き出した。こういったことを真剣に考え、勉強ばかりやっていればよいと言うということを自ら打ち消して、大切なことに気付いたことは何よりの財産になる。頑張れ皆!

顔が見えない

昔でもないが、インターネットに書きこむ2チャンネルというのがあった。今もあるのかどうかは分からないけれども、初等学部が始まった時にこの2チャンネルに散々な目にあったようだ。私はその2チャンネルそのものがよく分からないし、どのように作動して見られるのかもわからないので、周りの保護者が『散々な目に遭ったね』という言い方をしていたので、きっと散々な目に遭っていたのだと思う。誰かがそれをコピーして私にくれたものだ。悪意に満ちた悪魔のなせる技だと言って、そのままにして置いたら、保護者会があってその場で書きこんだ主が糾弾された。誰が書いたのか、どうしてわかるのかは分からない。

1年目で私は校長でなかったが、何かがあると引っ張り出されていたものだ。黎明期だから何があってもおかしくはなかった。だから覚悟の上であったけれども、保護者の意見は辛らつなもので、子を思う母心なのかそれとも自我の業なのかは定かではなかった。しかも顔の見える場で行われているのだ。私から見ると、気がふれたのかと思うほどの修羅場であった。修羅場とは人間界の話ではないということだから、その時の熱気と罵詈雑言の交錯する中で、じっとしていることが辛かった。耐えるということではない。そのような人たちとその場にいることが嫌だったのだ。幼稚園とは勝手が違う。

何を話しても無駄という気がした。あまりのひどさに『黙れ!』と一言言ったきりだ。でもそれは顔が見えているから、気持ちもわかる。困るのは顔の見えない中傷である。2チャンネルと同じように、言い放しというのは卑怯千万である。役所が私に確かに伝えたということを、証明するために書いているようなものだが、役所は教育者ではないので私に突っ込まれたら言葉に詰まってしまうから、仕事だからとはいえ大変な役回りだ。よく説明して下さいと言われても、顔が見えない。私は1月31日にこれからの学校について話をするといっている。

そして学校が変わる、変わってもらっては困るという風なことを言っている人もいるし、きのくにのようになっては困るという人もいる。きの国の堀先生とは2回ほどしかお会いしていないが、簡単にきの国を批判するのは慎むべきだろう。あの先生に負けない論陣を張ってから堂々と激論すればよい。彼は彼の手法で命がけで子どもを育てているし、その学校への応募する保護者が絶えることがない。一つ断っておくことがある。私は初等学部を屈指の有名中学校進学校にするなどと、おこがましいことを約束したことはない。私が中学校を建てたらどうなるのか。

私はそもそも教科書を丸暗記して成績が良いというのは一つの特技ではあるが、人間の成長の一部であるとしか思っていない。そんなことだけで10年・15年後の子どもたちが、社会で通用する大人になるとは思っていないし、信じてはいない。まずわが子をどのような子ども像をもって期待しているのか。わが子を自分の思うように育てたいなら、どこの学校へ行っても満足はしないだろうから、自分で思うようなカリキュラムを立てて頑張るしかないではないか。

幼小中の発達

幼少中とここまでできればしっかりとした人間像を構築することができるだろう。しっかりとしたというのは、自分のことは自分で決めるという人間としての自立のことだ。あと20年足らずで現在の職業の65%が無くなり、新しい職業になっているというのがアメリカの経済学者の言うところだ。多くはベンチャー企業だろうが、コンピューターを自在に扱えることは絶対に大きな強みとなる。パソコンを駆使し、新しい発見をしたりする人は重要に扱われる。どこの大学がどうかなどの話は全く聞こえなくなるだろう。時代が変わるのだ。

目まぐるしく変わっていく世の中に突入することは間違いがない。乗り遅れないように、アンテナを高く維持していなくてはならない。私はワープロが出てきたときにいたく感激し、その便利さに絶句するような文明のショックを得た。しかしワープロを習い図面まで書けるようになり、ほとんど自在に使えるようになったのだが、それに慢心したところがあって、そのあとに出てきたパソコンに見向きもしなかった。それどころか無視していたのだから始末が悪かった。全く乗り遅れたのだ。だからパソコンに入っていくのにとても苦労した。

ワープロができれば簡単に覚えられるよと言ってくれるけれども、キーボードは同じだけれども、内容が全く違う。これを覚えられれば、すごく便利で、USBメモリーなどというのが会って、簡単に保存もできる。これで図形や絵も書けるなんて夢のような道具ではないか。乗り遅れたおかげで習う気にもなれない。全く悔しい話だ。今さら習うより、若い先生方は結構自在に利用できるので、彼らにお願いしたほうが早い。とはいっても内心は自分でできれば楽しいだろうと思っているが、覚えようとする気力がない。

これは自分自身が世の中の動きに無頓着で、アンテナをしまっておいたことが原因で、取り返しがつかない。とても情けない話だ。幼少中と子どもたちを見るとなると、よくよくアンテナを巡らせておかないと、子どもたちの行く末を誤ってしまうだろう。コピーも三次元のものが作れる時代になってしまった。昔の人が見たら全く信じられないような出来事だ。コンピューターの画像解析などは最先端技術となって、パソコン一つでモノが作れるようになってしまう。沢山の冒険の経験を積んでほしいものだ。それが何よりの学習だろう。

4年生の収穫祭

ご近所の中山さんのおばあちゃんに子どもたちはよく可愛がられている。そのおばあちゃんに教えていただいた田植えから稲ができて、ご飯として食べられるまでの工程を左上の図に示されている。右上の写真はそのお米をおにぎりにしてお客さんに配っているところ。
      
熊谷さんも事務長も、いつも畑の作物づくりを教えて下さっている坂本さんも、勿論中山さんのおばあちゃんもご招待された。私もしっかりとご招待にあずかっている。左上の写真はみんなで上手におにぎりにしたのをお客さんに配っている様子で、右上の写真は招待された3年生がもみを脱穀しているところである。
      
左上の写真は脱穀されたコメをすり鉢の中にいれて籾殻を取り除いているところである。4年生の可愛いお姉ちゃんが、これまた可愛い3年生の女の子にに説明したり方法を教えているところである。右上の写真はやんちゃな3年生の男の子に、少し賢そうな4年生のお兄ちゃんが、瓶の中にいれた玄米を上手に精米することを説明したり実演したりしているところである。

余談になるがおにぎりが今年食べたお米の中で最高においしかった。おだかけして天日に干した米だそうで、毎年このような米を食べたいものだ。それに今日の子どもたちは、3年生も4年生も生き生きしていて、とても楽しそうだった。こんな授業の連続がいいのだろうな。生き生きと楽しくなければ学校なんてつまらないだろう。だから4年生は特別演出なんてことを考えて、アトラクションまで用意してくれた。何やら仮面をかぶって、なんだか分からなかったが。

卒業生にあってきた

昨年卒業した中学一年生に会ってきた。ビックボーイへ行ってたらふく食べてきた。私が沢山食べないと、みんな遠慮して食べないのではないかと、ダイエット中だけれどすごい開放感があって沢山食べてしまった。4人しか卒業していないから、私の乗用車にちょうど乗れるので手軽に連れて歩ける。彼らが初等学部にいたときには、赤坂御所の中まで連れて行って、お亡くなりになられた三笠宮寛仁親王邸に上がらせて頂いたこともある。ちょうど皇太子殿下のお子様と同じ年の子だったので、話も弾んだ。ここは東京見物に来ても、そのコースにはなっていないので、御所の中に入ることは普段ではなかなかできない。

前回あったのが中学校に入ってちょうど疲れてくるのではないかと思われる6月1日の日曜日にあった。だからかれこれ半年が経過しているが、仲間同士というのは屈託がなくて話の内容も遠慮がない。皆よく勉強も出来て、表彰されたという子もいる。今やっている彼らの勉強は基礎学だから、途中で下りるわけにはいかない。どこかで何日も休んでしまったらもうお手上げだから、少しづつでも続けていくことが大切だ。まじめな子どもたちだから授業が面白いと言っていた。徐々に専門的な学習に入るともっと面白くなるだろう。

一人は家族旅行に行ってしまって参加することができなかったが、次回会う日を決めてきた。彼らは大人のような会話ができるので、こちらもいらぬ遠慮はしなくて済むし、初等学部の6年生といえども、会話の先は読めるものだが、中学生になると読めないから面白い。それだけ視野が広まっているのだろうなと思う。それから彼らは6年生の進路について、気になるのか一人一人の名前を挙げて、私に尋ねていた。そして6年生全員の名前を挙げて予想などしていたが、なぜかよく当たっている。

今日は衆議院と県議会の投票日である。卒業生と昼食を済ませて家にたどりつき、楽しい浮いた気持で投票に行って来た。今年は投票時間が短縮されて夕方6時までである。差し迫った浮ついた政局でもないし、少数政党の惨敗に終わるのではないか。政権与党側は絶対安定多数を確保しないと思いきったことができないだろうから、大勝利を得なければならないだろう。もう絶対に民主党政権に戻すなどと愚かな選択をしてはだめだ。政権の変化は面白いけれど、素人政権はこりごりだ。

しばらく見なかった風景

家の庭にあるもみじがいつの間にか散ってしまっている。何日か前は真っ赤に燃えるような色をつけていたのに、もっとゆっくり見ておくべきだった。家の裏にある大きな土山に、山の下につながれているヤギがその山の中腹まで登って行って草を食べている。ヤギは何を考えているのか、いつも食べることだけしか考えていないのか、土山を登るときは、こちら側がよいとかこちらは危険だとかの考えはないのだろうか。それでも幸せなのだろうか。いやそのような意識は持てないのだろう。そのような意識が持てないほうが幸せなのか、それとも意識をはっきりと持てる人間のほうか幸せなのか。

あおば台幼稚園の周りの風景も少しずつ変わっていっている。南の道を挟んだ近くには住宅が建っているし、今日はその一角で住宅展示会か見学会をやっている。東側正面玄関の前は、少し前まで田んぼであったけれど、そこを埋め立てて空手道場が建った。これからは、道場に通う彼らが、幼稚園の警備を担当してくれるだろう。工事に来ている職人さんが自分たちが施工した側溝のところに座って、みんなでタバコをふかしている。ずいぶんとうまそうに煙を吸い込んでは吐き出している。物を作り上げるという自負心が、年老いた親父たちの顔ににじみ出ていて、力強い頼もしさを感じる。

私ももっともっと若かった時に同じような土方仕事をしていた経験がある。一日の日当が1600円だった。腕の良い職人さんは3000円。親方格になると3500円だった。日当が少なくても、それがどのような意味かをよく理解していたから不満など全くなかった。給料をもらって、ガソリン代を払うとあまり手もとに残らない。それでも意気揚々としていて、朝方まで飲み歩き、あくる日はしゃきっとして仕事へ出て行ったものだった。今のように土曜日曜が休みだなどと言われると、食えなくなってしまって日干しになってしまう。それでもなんだか、毎日が幸せだったような気がする。

あの時のことを思うと、今のほうが経済的には楽にはなった。いや、私の資産の話をすると結婚前より全く乏しくなって、話せるようなものではないが、生活そのものは文明とともに楽になっている。仕事にも恵まれ、子どもとともにいられる仕事は最高に素晴らしい仕事である。しかも運もよく小学校まで作らせて頂いた。何も不満はない、何か不満でもあるのかと自分自身を問い詰めてみると、都合のよいことを言ってのらりくらりと逃げてしまう。子どもと一緒にいられることは何事にも代えがたいことだが、それ以外はだれかにやってもらってもいいなんて、情けなくも逃げ出そうとする自分がいる。

今日は仲間の認定子ども園の認可になった建物の竣工式で、招待されて挨拶をしてきた。早稲田の応援団にいた凄い先輩だけど、彼も大変な時があったのだと思うと少し重荷が取れたような気にもなった。私も人生つきまくっているようだけれども、彼もつきまくっている。本人がそう言っていたから間違いないだろう。

 
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2014/12/12
アベノミクス
| by:塚原 港
安倍首相の唱えた経済政策で三本の矢にたとえられているものだ。デフレが進行し景気を何とか回復させるべく、日銀と協力して円安に持って行ったけれど、その間に消費税率を今までの5%から8%に上げたためにまた景気が落ち込んだ。消費税を上げないと、掲げた政策がうまく行かないこともあって、政策遂行のために円高是正をしたようなものだが、意外とうまくいかないものだ。野党が政権を取ったところで自民党よりうまくいくことはない。もっと混乱を招くだけだ。この際、圧勝して安倍さんには腰を据えて経済政策に取り組んでほしい。

円安で史上空前の莫大な利益を得た大手の自動車会社などは、為替で得た利益は為替で損もするという理屈で、その利益を下請けに回そうとしない。お金が大会社でだぶついているだけでなかなか下請まで下りて来ないのも、景気が停滞している所以でもある。大会社ばかりが潤っていて、中小企業までお金が巡回して来ないのだから、零細企業などはおこぼれもない。私たちの事業所などは経常費補助金が頼りで、まったくの他力本願であるので力の出しようがない。景気のよくなったという実感がないどころか、みんなは物価が高くなったから、実質給与が目減りしていると言っている。

以前の消費税から5%上がるわけだから、5%以上の給与を上げなければみんなの暮らしは良くならないではないか。まず所得が上がってから消費税をやったら良かったのではないか。まず塊より始めよで、公務員から給与を上げていくのはいかがなものだろうか。経常費は今年度はすでに決定していてこれから増額されるということもないから、昇給はどうしたら良いのか。私たちの仕事はブラック企業になってしまうではないか。新採の初任給をどうするかではなく、今いる教師の次年度の昇給について思い切ったことをしなければ、いつまでも彼らの犠牲に頼ってはいられないだろう。

私立学校の教師は公務員の教師と所得を比べられる。教育内容は私立独自のものがあるから、断然私立の方が選択余地があると思うけれども、学校教員になりたいというより公務員になりたいという人の方が多い。また私立の幼稚園教諭は公立の学校教員から比べると、情けないほど低給である。学校教員も仕事は良くするけれども、幼稚園教諭はそれと比べて優るとも決して劣ることはない。しかも私立の学校というのは、常に競争の中に晒されていて自己研さんを怠るとすぐにお払い箱になる。なのに公立より給与が低いのは納得がいかない。いつの日か、学校教諭も幼稚園教諭も同格の給与になることを夢見ている。

今日の餅つきはあおば台で行われた。仕事を休んでお手伝いに来てくれたお父様ありがとうございます。昨日からもち米を冷やしておいてくれたりして、またおいしいけんちん汁を作ってくれたお母様ありがとうございます。おかげで子どもたちは大喜びです。心から感謝いたします。

アベノミクス

安倍首相の唱えた経済政策で三本の矢にたとえられているものだ。デフレが進行し景気を何とか回復させるべく、日銀と協力して円安に持って行ったけれど、その間に消費税率を今までの5%から8%に上げたためにまた景気が落ち込んだ。消費税を上げないと、掲げた政策がうまく行かないこともあって、政策遂行のために円高是正をしたようなものだが、意外とうまくいかないものだ。野党が政権を取ったところで自民党よりうまくいくことはない。もっと混乱を招くだけだ。この際、圧勝して安倍さんには腰を据えて経済政策に取り組んでほしい。

円安で史上空前の莫大な利益を得た大手の自動車会社などは、為替で得た利益は為替で損もするという理屈で、その利益を下請けに回そうとしない。お金が大会社でだぶついているだけでなかなか下請まで下りて来ないのも、景気が停滞している所以でもある。大会社ばかりが潤っていて、中小企業までお金が巡回して来ないのだから、零細企業などはおこぼれもない。私たちの事業所などは経常費補助金が頼りで、まったくの他力本願であるので力の出しようがない。景気のよくなったという実感がないどころか、みんなは物価が高くなったから、実質給与が目減りしていると言っている。

以前の消費税から5%上がるわけだから、5%以上の給与を上げなければみんなの暮らしは良くならないではないか。まず所得が上がってから消費税をやったら良かったのではないか。まず塊より始めよで、公務員から給与を上げていくのはいかがなものだろうか。経常費は今年度はすでに決定していてこれから増額されるということもないから、昇給はどうしたら良いのか。私たちの仕事はブラック企業になってしまうではないか。新採の初任給をどうするかではなく、今いる教師の次年度の昇給について思い切ったことをしなければ、いつまでも彼らの犠牲に頼ってはいられないだろう。

私立学校の教師は公務員の教師と所得を比べられる。教育内容は私立独自のものがあるから、断然私立の方が選択余地があると思うけれども、学校教員になりたいというより公務員になりたいという人の方が多い。また私立の幼稚園教諭は公立の学校教員から比べると、情けないほど低給である。学校教員も仕事は良くするけれども、幼稚園教諭はそれと比べて優るとも決して劣ることはない。しかも私立の学校というのは、常に競争の中に晒されていて自己研さんを怠るとすぐにお払い箱になる。なのに公立より給与が低いのは納得がいかない。いつの日か、学校教諭も幼稚園教諭も同格の給与になることを夢見ている。

今日の餅つきはあおば台で行われた。仕事を休んでお手伝いに来てくれたお父様ありがとうございます。昨日からもち米を冷やしておいてくれたりして、またおいしいけんちん汁を作ってくれたお母様ありがとうございます。おかげで子どもたちは大喜びです。心から感謝いたします。

海外語学研修の経過

月曜日にグアムのセントジョンスクールへ向かった子どもたちの様子を、現地からK先生が報告してくれた。K先生の感想が私と同じような感覚であったのがうれしかった。私も現地報告とまではいかないけれども、帰ってきてから感想をこの欄に書かせてもらった。K先生の現地での報告を読んで、その時の自分の気持ちがよみがえってきた。あのような教育の主体では、それが正しいやり方だろうなと思っても、日本では受け入れられないだろうと残念に思う。

しかし私は残念に思うだけではとどまらないのが私の性格だから、必要だと感じたことは、特に3年生以上の子どもたちにはそれを試したりもする。それに偉人伝を読みその感想を書いて来るなどと言うのは、子どもたちの目標の支えを作るのにとても大切なことだと思っている。それが科学者とかだと、理科だの算数だのと教科に結び付けて考えてしまうのが日本の教育にいやらしいところである。そんなことよりその子の人生において大きなインパクトになればすごいことではないのかと思うけれども、教科にして作文の評価を考えてしまうのには悲しい。

アメリカの授業がすべて良いとは思わないけれども、自分がどう考えるのかと言う問題が多いことは確かだ。論文形式が多いのでそれに論評を加えるのにはそれだけの知識と哲学を持たないと、子どもたちを説得できない。まあどこの国でも立派な教師ばかりがいるとは限らないだろうけれども、できれば子どもの気持ちのわかる教師の集団にしたいものだ。勉強はどうするのだといつものようにたずねてくる人もいるだろうけれども、学習というのは子ども自身が内発的動機づけに従って机に向かうものだ。

幼稚園ではリヤカーの試験が終わった。子どもたちには生まれて初めての試験で、リヤカーの免許証いなんて世界にあおば台にしかない。年長を持つご家庭では、子どもたちがどのようなことをお話していたのか、記憶に止まっていることがあったら連絡長でお願いしたいと思います。車の免許と同じように、クランク、S型、横断歩道、車庫入れと大変難しいのがあります。自分の歩いている位置とリヤカーのタイヤの位置が理解できないと脱線してしまいます。今日の私は厳しい試験官であります。

もっとレアな話

1・2年生はつくばローズガーデンへ行った。イギリスやフランス生まれの種類のバラもあり、300種2500本のバラが植えられている。かつてはつくば市の市長をなさっていた藤澤さんも、今ではローズ爺と呼ばれているそうな。上の左側の写真はローズ爺から説明を受けている子どもたち。右側和ガーデン中央で集合写真。
      
ファミリアに別れて自分たちが気に入ったところで写生をしたり観察している様子であるが、バラに囲まれて気分がいいだろうなと思う。とても挨拶がよく、『この辺の子ではないね』などと来ている大人に言われていたけれども、子どもたちが私の顔を見て『校長先生!』なんて大きな声で呼ぶものだから、『この辺の子なの?』と周りの大人たちは方向転換してしまった。それはどうゆうこと?。
      
 幼稚園の子どもたちが食事をしようとしているところ。4年前は初等学部の子どもたちが次々と熱中症で倒れてしまって、このローズガーデンに救急車が何台も来たことがあった。
同じように来ていたあおば台幼稚園の子は誰一人として倒れる者はいなかった。
        
 逞しいあおば台幼稚園の子どもたち。幼稚園の時にペアだったお兄ちゃんが初等学部にいて挨拶に行ったりしていたけれど、小学生のお兄ちゃんは『悪いけど忙しいから』と恥ずかしそうにしていた。

ちょっと寒い日で雨

今日は雨で昨日のように半袖でいると肌寒い。けれども半袖のまま外に出て、雨の中を楽しんでいる子どもたちがいる。いつでも子どもたちは普通でないことをしたがる。それが子どもの特権なんだろう。だからそういったことを理解している大人は、そのような子どもの姿を微笑ましく見ている。そして子どもは大きくなっていくのだ。大人たちも実はそのように育てられていたはずである。多くの大人たちから寛容に許されながら育てられた。でも忘れてしまった。

雨に濡れて寒くなれば、濡れた物を乾いたものに取り替えたくなる。それを要領良くやれるのが小学生だ。どんなに濡れていても立ったまま動かないのが幼稚園の子たち。だから保育者はどんな天候の日でも四方八方に気を配り、広角レンズのように目を光らしていなければならない。初等学部の今日の保健室は、めまぐるしく児童の往来が激しかった。そこで親がいれば、親が何かと口を出して手を出すだろうが、いないということが幸いして、自分の力で何とかしなければならない。

子どもはみんな素直な子に育てたい。素直というのは、ただ大人に迎合し、服従を誓い従順に育てるということではない。それではロボットか奴隷であって人間として育たない。私の言う素直と言うことは、事にあたって損得を考えずに精いっぱいの力を発揮することだ。だから家庭教育の中で、損得の話を多く持ちだすと、素直な子は育ちにくいことになる。その上で男子は荒々しく勇気のある子に、女子は頭がよくて思いやりのある子に育てたい。

私は発達のプロで、それなりにアクションプランも立てることができるし、何人かの6年生を卒業させてきた。たまたま素直な子どもたちだったので運が良かったこともあるけれども、卒業した子どもたちはみんな素晴らしい。彼らは根が真面目であるということもあるけれども、きっと幸せになれるだろう。素晴らしい子を育てるために、絶対にしてはならないことがある。『お前はだめな子だ』『何故これが解らないのだ』というやっつける否定語である。

子どもの前で他を批判することも素直な人間を作るのには邪魔で、却って非社会的な子を作ることになる。大人の考える社会正義と子ども社会での社会正義は違う場合もあるから、自分が正しいと思っていることだけを押しつけるのは間違っている。なぜなら子どもは親の前で反論できないから、そのまま子どもが親の意見をコピーしてしまうと子ども社会で異端児になってしまう恐れがある。拘りを持たずに(刷り込みをせずに)意見を聞くべきであろう。

親は親としてプロだが、それがそのまま子育てのプロであるとは限らないので、プロの意見を取り入れるようにお勧めする。しかし断っておくけれども、子どもは最後には親元に帰さなければならないので、子どもへの責任は親が取るべし。しかし私たちもまた『子供への責任』から逃れることはできないことは当然のことだと理解している。

給食の時間

ファミリアの責任感の強い5年生から直訴があった。毎日給食の食べ終わるのが遅くて、休み時間がなくなってしまうので、週のうちに何回か学年別に給食を食べさせてください。というものであった。代案を持ってくるなどはしっかりしたインテリジェンスが働いている。早速給食の時間の食事の前に、全員が集まったところで話をした。『5年生から校長に食事の時間のことで直訴があった』『ファミリアの中で食事が遅くて遊び時間がなくなってしまうということだ』

この話は以前にも聞いたことがあった。毎年のことであるけれども、いつも食事の遅い子がいると、面倒見の良い子が残ってその子のそばにいて、まるで母親のように接しているということを見たことがある。面倒見の良い子だけ残して遊びに行ってしまうのは要領がよすぎる。直訴してきた子はあくまでもファミリアの責任ということを考えていたようだ。しかし食べるのが遅いという子の責任だけではあるまい。『いただきます!』をする時間の、集まる時間が不徹底であることも問題であるだろう。

自分たちに直結した話なので、全員がしっかりと話を聞いていた。それで今日はどうなったのかというと、十分に遊び時間がとれるほど食事の時間の流れがよかった。ということは、毎日ゆっくり食べている人は何だったのか。それでも残飯を出さないと言うのは見事という以外にない。残飯が出る時には必ずと言って私が作るときだ。量が計算できないというのと、足らなかったら可哀そうだという意識が働く。なんてったって戦後間もなく育ったのだから。

それからもう一つ。ファミリアオリンピックとオアシス開きについて6年生のある女の子からの直訴があった。ファミリアオリンピックの練習期間にオアシス開きがあるので、ファミリアの練習に支障をきたすから、オアシス開きを少しずらしてファミリアオリンピックが終わってからオアシス開きをしようというものである。これは6年生の提案なので、全員が納得して校長のところへ話を持ってきてください。学校として変更してもかまわないということを伝えた。最近子供からの直訴ばやりである。とても良いことだと感心している。

泣けてきた

17日は大変忙しい日だった。学校では今年第1回目の学校説明会があり、加えて第二幼稚園のプレイディがあり、親父主催の懇親会があり、そのあとで私の仲間の会議があった。この日は朝早くから出勤し、職員室の自分の席に座っていると、第二幼稚園の保育者たちが忙しそうにプレイディの準備をしているのが見える。さすがにてきぱきと動いている。

スクールバスが到着して、にわかに子どもたちの活気のある声が校舎中に響き渡り、今日の一日が始まる。相変わらず私は自席から校庭に目をやって、第二幼稚園の先生たちの動きを追っている。すると職員室から外に出る出入り口のところで、女の子と男の子が私と同じように幼稚園の先生を目で追っている。誰なのかなと思って出入り口の戸を開けて外に出てみると、第二幼稚園を年中のときに退園して外国へ行ってしまった子で、今年日本に帰ってきて3年生に転入してきた子だ。

1年生の妹が兄に寄り添うようにじっとしている。そして手には、年中で退園するときに担任が書いてくれた色紙をしっかりと持っている。それを無言で私に渡す。その色紙には担任の写真が写っていたので、すぐさま当時の担任を大声で呼んで、私たちがいるところまで来てもらった。息を切らせながらそばに来た担任が、その瞬間『○○君だよね!』と声をかけた。担任はそばにいる妹の名前まで覚えていて、彼女の名前も呼んだ。

男の子は3年間の空間を埋め尽くすかのように担任の顔を静止したままじっと見ている。幼稚園であったことを担任を通して思い出しているのだろうか。どんな気持ちで色紙を持ってきたのだろうか。担任の顔を視線を外さずに、じっと見つめていたのは、どんな思いで何を考えていたのだろうか。担任に会えて思いは通じたのだろうか。小さな胸の中で、何を感じ何を思ったのだろうか、そう考えていると無邪気な愛らしさに泣けてきた。

子どもたち

マララを読んだ後の感想で、6年生はマララが『女の子にも教育を!』と放送局へ行った年齢とそれほど違わない頃の話だから、『自分たちはできない』という声が聞かれた。しかしそんなことはないということを話してあげた。パキスタンという社会背景を話し、きっとみんなもそこで生まれ育ったら立ち上がったかもしれないと。勇気がないということではない。必要であれば立ち上がれる勇気はあるはずだ。もっと知識が沢山あれば、何とかしなくてはならないと思うはずだ。

5年生は『驚いた!』『すごいな!』ということを異口同音に言っていた。何か感じればいいし、このような積み重ねが自分自身の人間としての思いを作っていくものだ。みんな読み終わった後に一瞬静まり返っていたけれど、勉強をしたくてもできない人がいるということが信じられない様子だった。そこでマララのように勉強をするな!と言われたほうがいいのか、それとも自由に勉強はさせてもらったほうがいいのかを聞いたところ、全員が勉強したいということだった。それはそうだろう、ご両親が何のために初等学部に入れてくれたのか意味がなくなってしまうと言ったら、神妙にしていた。

        
とても面白い写真である。 左の写真は年中からこの前年長になったばかりの頼もしくなった顔の写真である。右側は無心に土木工学の基礎を学んでいる年少の姿であるが、だれが生徒か先生かというめだかの学校である。
         
 初等学部の児童たち。初等学部の人たちにはどちらが1年生で2年生だかすぐにわかるでしょうが、全く関係のない人にはわからないと思う。全員が私服になったら幼稚園の年長さんと変わりがない。   
      
左側は新入園児。3歳児である。右側は初等学部の新入園児(幼稚園の子どもたちと同じ)の姿である。共に共通なのは『かわいい』というところか。幼稚園では何をしていても学校で言うところの授業中であるから、年少はくたびれるはずだ。こんな面白い恰好をする子どもたちだが、6年生にもなると大人に近くなってくる。ゆっくりと育てたいものだ。

タリバンに撃たれた少女

教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女『わたしはマララ』という本を読んだ。彼女はパキスタンの北部にあるスワート渓谷で生まれ育った。父は教師だが母親はほとんど教育を受けていないという。男尊女卑が根強く残っていて、今でも女性は家事の仕事と子育てだけでよい。教育を受けるなんてもってのほかであるという風潮がある。スワートという地域はタリバンの支配地域にあり、イスラム原理主義による宗教支配が強いところでもある。

マララは父親に『女の子が勉強してはいけないと、コーランのどこに書いてあるの?』と何度か聞くたびに父親は、『コーランのどこにも書いてないよ』『勉強したい子はいくらでもしてもいいんだよ』と優しく答えていた。しかしタリバンの放送では、相変わらず女の子は学校へ行ってはいけない、学校へ行くようなことがあればその学校を爆破するという脅迫が続いている。身の危険を感じた周囲の人たちが、父親にマララを学校へ行かないように忠告するが、それどころかマララは地域の放送局へ行って『女の子にも教育を!』と訴え続ける。

そんなことをするものだからタリバンにも挑戦的であるように映り、名指しで脅迫を受けるようになる。スワートの住民は、マララが狙われるというより父親が狙われているとだれもが思っていた。ところがある日いつものように帰りのスクールバスに乗り込む。白のトヨタのダイナでワンボックスカーであるが、これに20人も乗るからこれ以上は乗れないというくらいすし詰めだ。後ろにはドアがないというから危険極まりない車だ。そのドアのない後ろからある男が乗り込んできた。その男は『マララは誰だ!』と言って手に持った拳銃から3発撃った。

マララ15歳であった。そのことによってマララは瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に助かった。そして回復した後に彼女は国連で演説をした。その演説の内容が最後の何ページかに収められているので、それを4年生以上の各クラスへいって読んであげた。4年生以上でないと理解できないだろうとの思いからである。彼女が地域の放送局の電波を使って『女の子にも学校へ行かせてください!』と訴えたのは13歳ぐらいのときだから、それほどみんなと歳は変わらない。

私がこの本を読んであげた時の感想は、各クラス様々であるけれど、『女の子なのに偉い』というのがあった。何故女の子なのにという言葉が出てくるのか。勿論男児のことばであるけれども、無意識のうちに女の子と男の子は違うというのがある。意外と家庭教育の中にはびこっているのかもしれないが、このようにジェンダ意識というのは根が深いものがある。世界の国には私たちが通常考えられないことが平然と行われている。私たちは現状の幸せを認識して、たくさん学び不幸な人たちに少しでも手を差し伸べることができたらいいね。ということを伝えたかった。

ジェンダフリー

ジェンダフリーと英語で言われているけれども、そもそもどこからこのような概念が生まれてきたのだろうか。ある日本の大学ではこの研究会があって、卒論にも採用されているということを聞いたことがある。男女雇用均等法ができたのはこの流れからである。また男女共同参画社会などと銘打って様々な企画がなされるのも、ジェンダフリーを表看板にしたからである。男女という性差をなくして、人間として平等に扱っていこうじゃないかというものだ。

ジェンダフリーなどとことさらに言わなくても、法治国家は法の下に男女は平等であるし、何故この言葉が嵐のように吹き荒れたのかを、私なりにそのもととなることを調べたり考えたりしたことがある。半ば遊び半分で調べたりしたものだから、それほど深くはないということを断ったうえでそのさわりを話してみる。

もとはロシア革命において、男女に別はなく互いに労働者である。という意識からロシア革命は労働者の苦役をなくすための労働者革命とも言われているが、何といっても女性の台所の仕事は、女性に負担を負わせるものであるので男女に差をつけるべきではない、という労働者階級闘争の頂点にいるレーニンが、男女解放をうたったのがどうもジェンダフリーの大本らしい。共産党革命とも言われているけれども、1987年(定かではない)にソ連崩壊とともに消滅した。

男女解放をうたった後の社会は、その結果どうなったのか。男女間のモラルが非常に低くなった。何かどうはき違えたのか、旧共産圏では私生児が多く、その子どもたちは大統領の養子となり将来には大統領の警護につくといわれていた。しかしいったん崩れてしまった社会は元には戻しにくい。共産主義革命と同じように、ソ連の崩壊とという東側の国々に起こったパラダイムシフトによって価値観が変わったかもしれない。

ジェンダフリーはあってもいいけれどもことさらに構える必要はないだろう。強いものが弱者を守ろうとするのは、当たり前の行動だから、そこには男女共同参画社会などといっても入る余地はない。性差がないと強く主張するのには違和感を感じる。人として同じ権利を持つのだからその権利を互いに認め合うことが大切だろう。また同じジェンダの問題だけれども、幼少期の女性の発達の速さをどう説明するのか、その研究はされていない。

毅然とした態度

嫌がらせを受けている子に、嫌がらせをする子を撃退する方法を教えた。絶対にうやむやにせず、大きな声でやめろという。ぼそぼそとした蚊の鳴くような声で拒否しても、それを面白がって続けてやられる。相手には絶対的拒否をされたということを知らしめなければならない。男児も女児も同じことである。声の出ない子はどうするのだなどと言ってはならない。拒絶をするならば勇気をもって、声を打さなけばならない。毅然とした態度が必要なのだ。

それは子どもたちが学校という社会の中で生きていく最初の難関である。しかしよく考えてみると、そのような嫌がらせを個人的に受ける子のほうが極めて少ない。興味のある子に対しての愛着的接触手段なのかもしれないから、絶対的拒否は少し間をおいたほうがよい場合もある。授業中に大きな声を出して授業妨害をするとかいう子がいるが、この子はあまり他人や家族から認められたことがない。自虐的でもあるし、自己顕示欲が強い。しかし自尊感情は非常に低いのではないかと思う。

『包丁を持ってくる』といった子の家庭は崩壊している。学校が両親を呼んで注意をして、このようなことがない様に諭したところで、聞く耳も持たないであろうし上の空であるだろう。子どもがとんでもないことを口走っているけれども、子どもの責任でないから子どもを叱っても何の解決にもならないし、叱ってもこの子が治るわけでもない。両親の子どもへの無責任さに果てしない憤りを感じる。これから生きていくこの子の一生はどうなってしまうのか。

良く『二十歳にもなってこんなことが理解できないのか』と言って警察で取り調べを受けている子をテレビで見たりするけれど、いくつになっても教えられないことはわからないし理解できない。狼に育てられた子はオオカミの生活習慣を学ぶのだ。人として生まれ、人間社会に溶け込めないで反社会的になって、他を傷つけたりして生きている人は違った価値観や生き方を見つけられなかった。親の一方的な優しさだけでは育たない何かがある。

現実にこのような子がいることを考えると、あおば台の両幼稚園や初等学部に居る子どもたちは幸せなものだ。親の愛情をたっぷりとあふれるほど戴き、何不自由なく暮らしている。幸せを実感している人は人に優しくできるし、人を幸せにすることもできる。幸せを感じたことがない人は人に優しくできないし、人を幸せにすることができない。全く当たり前のことだ。だからうちの子たちは、人を幸せにできる素晴らしい人になれるだろうし、なって欲しいものだ。

土曜日の話(1年生の集い)

卒園してから2カ月余りだけれど、両園ともにほとんどの子が遊びに来てくれた。元気という文字が体中から飛び出して、目がきらきらと輝いている。だいたいいつも決まって、小学校で困っていることはないかということと、算数や国語で困っていることはないかということを聞く。授業で困っているということはない様だが、乱暴な子がいて困るということを言っていた。

乱暴な子と言うのは大人から感じると取るに足りないような事柄が多いけれども、小学校低学年ではこれが恐怖だから、丁寧に見てやらなければならない。登校班でも登校のときには上級生がいて、上級生が面倒見の良い優しい人だと救われるけれども、この上級生と合わないと毎日が恐怖だ。集団登校も善し悪しだ。恐怖などと大げさに言っているようだけれども、決して大げさな言いようではない。子どもにとっては気がふれるくらい嫌なものなんだ。

給食の時間が短いという保護者からの話があったが、あおば台の子は最後まで残さないように食べようとする習慣が付いているので、ゆっくりに見えるのかもしれない。牛乳なども飲みたくない人はストローを挿したまま残飯入れに捨ててしまうというのを聞いたが、青葉台初等学部にはそもそも残飯入れがない。幼稚園と同じで食べきることを目標においている。食べたくないということがないのである。食材や量などに神経を使っているし、作っている人たちの愛情がこもっている味が違う。

すぐに宿題が出て、遊ぶ時間がないと嘆いているという。小学校の教師をしていてさえ、子どもの遊びは頭脳の訓練に無駄がないと言うことを知らない。宿題を多く出していればそれで授業の継続を図っているぐらいに思っているようだ。1・2世は宿題はいらないのが私の持論だが、それにはしっかりとした裏付けもあるし理論武装もしている。

教師が怖いというのもあった。新入学児童に対して、まず最初に教師への服従を強いるのは最低だ。物騒な子もいるようで「明日包丁を持ってくる」等といってる子がいるという。学校に連絡して早めに対処するべし。反社会的な言葉を使うにはそれなりの理由があるけれども、この子は必ずやるから今のうちに芽を取らなければだめだ。

劇ごっこ

第二とあおば台幼稚園で発表会と同じような劇を見せてもらった。どちらも共通して言えることは、やらされているということではなく、自分たちの劇を自分たちが中心となってやっているという、非常に積極的な雰囲気が印象的であった。もう少しで発表会ですが、保護者の皆様も楽しみにしていると思います。是非体調を崩さないように、当日には全員の子ども達が出席できますようにお願いいたします。

劇遊びは幼稚園の子どもたちでは大変難しいのではないかというのが、幼児教育に携わる者の共通の認識であります。それは表現の分野でありますが、役に成りきって表情を作るとか、その劇の背景などを消化できないだろうというのが主な理由です。大人の視点が実際の劇場での芝居を見るところにあるから、子どもの劇遊びを難しくしてしまうのです。子ども達は演ずることが大好きです。

ステージに上がったあおば台の子ども達の顔を見れば、劇の楽しさが良く出ていると思う。年長と年中では1年の隔たりしかないけれども、劇遊びの狙いが違うから、発達が見易いのではないかと思う。子どもたちの自信にあふれた、満面ニコニコ顔の素晴らしく輝いた顔を見られるのももう少しです。どうぞご期待下さい。

フィンランドのような

フィンランドの国民が資源のない国家が生き延びていくには、教育に力を入れる以外にないという結論を出して、大体所得の45パーセントから50パーセントの税金を納めることに同意をして今の体制がある。日本でも所得の多い人は50パーセントぐらいの税金を支払う人もいるだろうし、消費税が10%になればさらに税金は多くなる。税金というのは固定資産税や、市民税、社会保険税、源泉税、なじみはないだろうけれども労働保険税などもある。会社を経営している人は世界一高い法人税などがある。

考えてみれば結構税金を支払っている。フィンランドは国家予算の12%を教育費に支出している。それで大学まで無償で進学できるようになっている。勉強の嫌いな人が学歴を取得するために大学へ行こうとしても、高校の卒業試験で大学入試の資格を得なければならないから、それは無理だ。しかし職業を選択する場合でも専門の学校があって、そこから向学心に燃えて再度大学に入ることもできる。良い制度に感じる。

日本の官僚は最高の学歴を持って国の行政を仕切っている訳だが、国民のためにというよりは省内の組織を守るために汲々としているように映る。天下りだとかわたりというものが国民の血税を自分たちのために使ってしまう。それでは頭は良いけれど人が悪いではないか。そんな人ばかりではないけれど、天下りとわたりだけでも相当な予算が付けられていることは確かだ。

そのお金で学校の一クラスの定員を減らすとか、保育所を建てるとかいうように考えられればいいのだけれど。そんなお金で制度の変更などできないという人がいるかもしれないが、一度にやらなくても何年度からやるという風に計画すればできる。なかなかフィンランドのようにはいかないけれども、義務教育の学制を決めたのは日本の方が早いのだから、もっと真剣に考えてもいいのではないか。

今日は豆まき。幼稚園でも初等学部でも子どもたちの歓声と同時に鬼の役になった教師は子ども達から逃げながら、子ども達にとっては楽しい時間であったろうと思う。しかし豆が少ない。初等学部では豆を鷲頭神ではなく指に挟んで鬼にめがけて投げる。投げた後にすぐさま下を向いて『リサイクル・リサイクル』と言って豆を拾う。豆まきだか豆拾いだかわからない。それでも子どもたちが楽しい顔をしていればそれでいい。

小保方さんってすごい!

ⅰPS細胞を作り出した山中教授に続いて新型万能細胞STAPが理研の小保方晴子さんから発表された。30歳の女性と聞いて、二度驚きだ。現代のキューリー夫人のような気がする。英国の科学雑誌に投稿して、生物科学を愚弄するものだと一蹴されたときは、一晩中泣き明かしたという。今彼女にそう言った学者はかなりの負い目と羞恥心で己の心に恥じ入っているに違いない。すごい人がいるものだ。

実験に実験を重ねて、今日駄目だったらもうやめようとか、明日一日経って見て駄目だったらと、悔し涙と共に何度も眠れない日があったと言っていた。そうして5年の歳月が流れたと。あきらめることに成功はないと、あきらめには明日はないということを子ども達に話してきたが、今回のニュースは子どもたちへの良い知らせになる。

何かをなすことは大変なことだ。誰もが分かっている。しかしそれを確かに継続し、どこかで歯ぎしりをしてでもやり通さなければならないことがある。それができるかどうかで人の価値が変わる。忍耐力のない、すぐにあきらめてしまうような人間に育ててしまってはならない。そんなことは分かっているだろうが、ではどうしてそのような子が育ってしまうのか。しっかりとした目標を持てないからだ。

大人に従順な子でなくてもいい。多少言うことを聞かなくてもかまわない。しかし自分の良心と希望には従順に従うべきだ。目標に向かってまっしぐらに進んでいく子どもに育てたい。

フィンランドの学校

フィンランドの学校建築についての講演会が文科省の第一講堂で開かれた。主催は国立教育政策研究所である。誘いのダイレクトメールが来たので興味があったので参加してきた。フィンランドと言えばOECDで調査している、15歳の学習到達度(PISA)でいつも上位にある国である。そんなこともあって教育内容なども聞けるのではないかと思って期待を胸に参加してきたのだが、結果的にはフィンランドの総合学校〈小中学校〉における校舎の工夫が主となっていた。日本からは富山県にある小中連携の学校建築が紹介された。

フィンランドは1年の半分が冬で、夜が長いという大きなハンデがあるにもかかわらず、そこでの教育の質の高さはどんなところにあるのだろうかと、ますます興味がわいてきた。まず国民に平等の教育機会を与えるということが大前提にあるということは魅力だ。誰でも高校へ行けるし大学へもいける。それはすべて無償である。国がすべて面倒をみるのだ。大学入試は高校卒業試験を充てる。

総合教育学校(日本の義務教育にあたる)ではテストがない。生徒の学習到達度は担任の教師が分かっているはずだから、通知表みたいなものに克明に記述される。日本の学校にはテストがないという学校がない。全国統一テストや期末中間テストなるものもない。テストの結果によっては自信を深める子どももいるだろうが、その反対もある。フィンランドのようにテストがなくても、やる気を起こして頑張れる子どもはどうすれば育つのだろうか。

できないことはない。しかし私学では成り立たないことが多い。まず保護者がそのような学校を選ぶだろうか。子ども達にもっと自由な時間を与えて、自然の事象に自ら考え、それをしっかりとサポートできる教師を養成すること。毎日の授業に生き生きと参加することができれば、能力は必ず伸びる。ひとクラスの定員を、少なくとも15人以下にしてきめ細かな指導ができること。この部分だけは何の努力もせずに達成できているが、私学では大変だろう。

餅を焼いた

昨年の餅つき大会で大量ののし餅を作ってくれたので、その餅を小さな四角に切って、子ども達の口にちょうど良くしたものを炭火で焼いた。あおば台は山の前で、第二は倉庫の前で焼いた。どちらの園も炭おこしが上手で、私が園に行って焼き始めようと思った時には真っ赤に燃えていて熱くて近寄れないほどであった。ジョイフルで購入したアウトドア用のコンロであるが、その中で燃え盛る炭を均等にならして焼き始めた。

焼いた餅を醤油につけてのりでまいたものを、クラスの数だけそろうと担任が子ども達の先頭にいて、座るところを探して着座すると、皆がそろって『いただきま~す』と言っておいしそうにほおばる。皆とても行儀が良いのには驚いた。こんな時は『しっかりやらなければ』という気持ちが前面に表れてくるようだ。『先生!』『家でもおもちを焼いて食べたけれども園長先生の焼いたお餅は超おいしい』と、涙が出るようなおほめの言葉も頂いた。

次々と焼きあがってくるお餅がトレイの中に並べられるが、それが自分のところへは来ないということが理解できると、何だかんだとお世辞を並べていた子はどこへやら姿を消してしまった。子ども達の他愛のない言葉や、ありったけの賛辞を並べてくれる優しさに、しばし恍惚としていたけれども、ふと次の餅焼はいつにしようかと考える。お雑煮にして食べようかとも考えた。

初等学部でも同じようなことをしたけれども、アウトドアで炭火焼ではなくて、職員室で石油ストーヴを囲んで、私一人がちまちまと餅焼をする。ストーヴも正面に長いこと座っていると、腿のあたりが火傷しそうになる。ぐっとこらえながら焼きあがった餅を大きなお皿に乗せて、クラスごとに配達をする。まるで子ども達のサーヴァントだ。サプライズだからクラスのドアを開けた時から子ども達の歓びの歓喜に満ちた顔が飛び込んでくる。子ども達と一緒にいる歓びの一瞬である。これがたまらない!。

普天間飛行場

世界の飛行場の中でも最も危険な飛行場として名高い。私は沖縄には4回ほど行ったことがあるが、そのうちの2回は宜野湾市に行って、普天間飛行場を見学させて頂いた。近くに小学校や病院があって、一時も早く移設を願っていたのは他でもない沖縄県民でなかったのか。名護市の市長が移設反対派の市長が当選したからと言って、国の計画や県の計画が白紙になるとは考えにくいが、マスコミがこぞって国に反対の手をあげているようだ。

国民投票でそうなったのなら頷けないこともないけれど、たかだか2万票ぐらいの事で国の方向が変えられるとしたら、それこそ独裁政治ではないか。名護市も独善的で、普天間飛行場近隣の危険な状況を何とか回避してあげようという気はないようだ。そもそもあそこに軍の飛行場があること自体がけしからんという気持ちもわからないことではない。が、日本は戦争に負けたのだ。沖縄県民も日本人ではないか。

先の大戦で負けたおかげで沖縄は占領され、返還されたのは佐藤総理の時で、その時のニュースは、日本国中変換一色に染まっていたからまだ記憶にある。沖縄県民は地上戦もあったし、本土よりは言葉に言い尽くせぬような辛く悲しい思いをしたということは理解している。本土にいる人だって、多くの肉親を亡くしたし、その苦しさは比べられるようなものでもなかろう。戦争が悪いんだ。もういい加減に怨讐を超えて、あの危険な飛行場を回避してほしいものである。

過去の戦争は誤ったものであるけれども、誰かれの責任を問えるものではあるまい。戦争に負けたのは私たちの責任ではないし、靖国神社参拝に反対する理由もない。むしろ他国からいちいち干渉される問題ではない。日本人として誇りを持って強く生きていく以外にどのような生き方があるのか。韓国や中国は安重根の記念碑を建てて、日本国民を卑屈ならしめようとしている。昔の事だったらすぐにでも戦争だろう。

歴史認識のないのは彼らだ。伊藤博文は当時世界でも最貧国だった韓国を併合すれば、日本国が疲弊すると言って最後まで併合することに反対であった。異論百出したが、併合した上で、わざわざ朝鮮人民と日本国民は同等であるというおふれまで添付した。お陰で今の韓国は清国やロシアの進駐を防ぐことができた。反対した伊藤博文が朝鮮総統に赴任したことが皮肉だ。日本国民として一番大切なことは、決して卑屈になってはならないということだ。

サバイバル

幼稚園二園の年長さんと初等学部の児童とでサバイバルを行った。10時40分には初等学部の校庭に全員が集合し、まずは対面式を行い、初等学部の児童と幼稚園の園児3~4名で一つのパーティを組み、そのパーティを初等学部の児童が責任を持って遂行するという形で行った。ぽちゃぽちゃ顔の1~2年生も今日の顔は少し力が入った。

コース作りは学校の周囲を回るという案もあったが、陸の孤島のような僻地であってもたまには車も通るので、幼稚園の子ども達と一緒では危険が増加するという心配もあり、校内に作ることにした。手作りの大型滑り台の前から、講堂の裏を通り理科室の前を抜けて、大きな山の山登りをし山を下る。オアシスの前を通りUターンをし、くじら川の橋を渡り、駐車場の前を通り馬小屋の前を通って元のスタートの位置までを1周とした。その距離800メートルを3周する。

幼稚園の子たちは力いっぱい走ることができるが、初等学部高学年児童は幼稚園の子たちを心配しながら走らなければならないので、少し欲求不満が残ったかもしれない。けれどもそんな素振りも言葉も出さずに、食事が終わるまで幼稚園の子どもたちの面倒を見てくれた。食事の熱いうどんを食べる時も、幼稚園の子ども達に先を譲ってくれたし、おつゆを入れるときにも心配そうな顔をしながら見守っていてくれた。幼稚園の子は最後まで伸び伸びと遊ぶことができたし、初等学部の児童の優しさがずいぶんと引きたった一日だった。

最後にこれは書かなくてはなるまい。幼稚園の子が座りこんでしまって、先に進めなくなってしまったが、初等学部の子は先に進むことよりも、懸命にその子の状態の状況判断をしようとしていて、無理に立たせようとせずにずっと待っていた。もう他の子たちは2週目を終わろうとしているときである。私はその子をうっとりとして見ていた。このような子たちに囲まれて育ったら、心の優しい立派な子に育つことは間違いない。

学校を選ぶ

初等学部は私立の中学校へ行こうとする児童が多い。子ども達だけで自分はどこの中学校へ行きたいなどと、誰かの助言や示唆がなければ選びようがないはずだけれども、5年生の全員が、そして4年生の殆どの子が目標としている中学校を選んでいる。私学に通っているからということも大きな要因だと思うが、それはそれで普通の公立に通っていたらそんなことはこの近辺では稀であろう。すごい体験である。

学校を選ぶとなると必然的に学校のランクというのが付いて回る。これは殆どが大人社会のランク付けであるけれども、それを子どもたちが素直に継承してくる。そこまでは良いけれども、必ずと言っていいほどランク上位を狙う子たちは、ランク下位にある学校を何らかの形で蔑んだり侮ったりする傾向がある。これはよくないことだ。受験における学校教育なんて、これからの人生を考えればほんの瞬間に過ぎない。

難関の中学校を合格することは、それなりに評価すべきであるが、それは人生における一過性の出来事であるから、気を引き締めて謙虚に行動することが好ましい。学校をランク付けすることが、それが人間性をランク付ける事ではないということを、両親が子ども達に言い聞かせねばならない。そんな思いあがった傲慢不遜な子どもに育ててはならない。もしそういった子どもがこの学校で育ってしまうようなことがあれば、学校としての意味をなさない。ご両親は、よくよく気を付けてほしい。

大学を卒業して、社会に出てどのように勝負できるかということが究極のプロセスである。どれだけ素晴らしい大学を出て、優秀な成績を収めても、その人間性に欠陥があれば一流企業の人事部では採用してはくれない。意見を持たないと一人前の社会人として扱ってくれないが、独りよがりな独善的な意見では話にならない。精神的貴族の卵をしっかりと温めて育ってくれることを心から望んでいる。

賀詞交歓会・病院・昨日の続き

賀詞交歓会に少し早目に行ったつもりでいたけれども、受付にはかなりの人出で混雑していた。一時間にわたるセレモニーの後にようやく乾杯があって、セレモニーの間にもううんざりして、何度もあくびをしている者もいた。私の座っている目の前にはレンコンの天ぷらが並べられていて、学校で食べたレンコンを思い出しながら挨拶を聞いていた。乾杯の後に早速レンコンに手を伸ばしたけれども、学校で食べたレンコンの方が素材が良かったのか数倍おいしかった。賀詞交歓会の感想はこんなもの。

久し振りに検査のために病院へ行ってきた。急患の出入り口から入り一般受付までの通りの両脇に、長椅子が置いてある。そこに腰を曲げて座っている人たちは、平均年齢がかなり高い人ばかりだ。血色も良くないし、会話もなくシーンと静まり返っているが、大勢の人が座っている。何とも不気味な通りだ。病院だから活気にあふれているというわけにはいかないけれども、会話だけなら活きの良い会話ぐらいできそうなものだが。

一番活気がある?のは採血室だ。看護婦さんの患者の名前を呼ぶ声に力がある。しかし何故そのようになってしまうのかというと、名前を呼ばれても返事をしない人が殆どだからである。何度も呼ばれているのに、明後日の方を向いていて、挙句の果てに動きはスローモーションだ。看護婦さんの声も徐々に高まってしまうのは当然である。ああ~私もいつかは誰かにそのように見られてしまうときが来るのだろうなと、少ししょんぼり。

これからは昨日の続き。ゆとり教育の発想は決して間違ってはいないということを昨日書いた。現場の理解がなかったということと、現場の力量不足ということも書いた。また「ゆとり」というネーミングも、日本人には緩いとか遊びとかいう風に短絡的に理解されてしまうのではないか。生活化の導入も、最初は教師の裁量で授業を組み立ててもよいということだったが、情けないことに教科書がないと授業ができないということになった。

『ゆとり教育』は押し付ける授業から、能動的に自分たちが考える授業を目指していたものなのだ。ところがあてがわれて授業を受けてきた者たちが教師になって、どうしてよいものか現場は混乱してしまったのだ。このようなアメリカ型の自由で主体的な授業というのは日本には馴染まないけれども、その授業こそがノーベル賞受賞者を沢山輩出する授業なのだ。

日本の授業では、たとえば自由研究などの選択授業を提案したら、子ども達は困惑してしまう。なぜなら自分たちで考えるという授業に慣れていないし、誰かの規格に合ったものでしか学習できないように訓練されてしまっているからだ。初等学部で2年生まで宿題を出さないのは、もっと人と絡み合って対人関係でも、自然現象からも『自分で考える』というプロセスを大切に考えているからなのです。

教育改革が始まる

安倍総理が誕生して総理自身がやり遂げたかった教育改革がある。道徳教育の導入・ゆとり教育の廃止・英語教育の小学校導入などである。今年初めの通常国会に法案が提出されることになる。この三つはすべてが初等教育のものだ。その中で特にゆとり教育の廃止については、かなりの誤解があるのではないかと思っている。

文科省の役人がこの教育方針を打ち出したことについて、何ら間違ったことではない。ゆとり教育の廃止の原因となったのは、OECDの学力調査で、算数も文章の読解能力も年々下降している事が原因である。前にも書いた事があるけれど、30か国中日本は大体10位以内にいたがそれが面白くないらしい。しかし世界でノーベル賞受賞者1位のアメリカなどはいつも15位のところをうろうろしている。なのに教育改革などの話は出てこない。

アメリカの教育改革で有名なのは、スプートニクだかボストーク2号だか定かではないけれどもガガーリン少佐が『地球は青かった』とか言って、ソビエト連邦に宇宙科学で先を越された時に『ヘッドスタート』という教育方針を打ち出したことだ。その後も何かがあったかもしれないが、それほどセンセーショナルなもの見当たらない。学力第一主義になって、机上の空論に時間を費やしてしまっても、日本国民の人間形成にはあまり意味を持たないのではないか。

ゆとり教育の理念と方向性は理解できるし、決して間違っているものではない。ただ文科省官僚と現場の教師や社会に対しての広報活動など理解不足であった。それに導入の時に現場の教師の力量を推し量ることもできなかった。

時間が来てしまった。今日は賀詞交歓会があるのでこれから出かける。この後の事は明日書くことにする。

筑波大幼心研終わる

あおば台幼稚園が名実ともにお世話になった筑波大幼心研が幕を閉じることになった。思えば27年前に杉原一昭先生のところへ飛び込んで行った時から幼心研が始まった。その当時研究生だった桜井茂男先生は、奈良教育大学へ赴任したものの、すぐに筑波大に戻ってきて教授となって現在も活躍中だ。その間大勢の研究生が各地に赴き大学の先生となっている。そんな素晴らしい先生たちに、ご教授いただいたことにただ感謝あるのみである。

徹底的に発達心理を学ばせてもらったと同時に、かわるがわる発表する院生や、研究生たちの内容は、私たちが多分必要だろうと思われる事柄を、興味深く説明してくれた。頭の良い人たちだから、問題点を整理して分かりやすく話しかけるようにして私たちに話をしてくれた。単純な安易な質問でも、懇切丁寧にあきらめずに話をしてくれるので、あおば台の教師たちはその人柄にうっとりとしてしまったものだ。

一昨日行われた幼心研では、私が今までの幼心研に対する感謝の意を50分かけて話をした。院生や研究生に交じって、大学生もいたが、その大学生はあおば台幼稚園の卒園児で、大学の掲示板に私の名前が出ていたのでゼミに出席したと話していた。こんなところで卒園児に会えるなんてとても嬉しかった。帰りには教授と研究生と卒園児と8人で食事をして散会となったが、心に残るゼミであった。名残惜しいけれども、創始者の故杉原先生や桜井先生に重ねて感謝したいと思う。

1年生わくわくランド

昨日から1年生のわくわくランドが始まっているけれども、昨日は幼稚園にいて1年生の部屋を覗くことができなかった。今日は何としても観てみたかったので、5時間目までに間に合うように仕事を片付けてきた。1年生の部屋を覗くと、4年生から上の子たちが交流していて、その様子をじっと見ていたら、皆1年生に気を使いながら、言葉も丁寧に対応していて、ふんわりとした温かい雰囲気を感じた。1年生は何とも得意気である。

上級生の下級生特に1・2年生に対する対応の仕方はとても素晴らしい。優しさというだけでは何とも表現できないものがある。いたわると言うか、仏のように慈愛に満ちた関わり方をする。このような様子を親に見せたらどんな気持ちになるだろうかと想像すると、わが子のところへ飛んで言って抱きしめたくなるだろうと思う。素晴らしい子ども達だ。彼らの目線は上から見るようなことはけしてしない、いつも並行だ。その感覚が素晴らしいではないか。

幼稚園でやっているお店やさんごっこみたいなものだが、中にはゲームコーナーや制作などがあったりして『楽しむ』ということを演出している。幼稚園の年長さんとまったく一緒で満面に笑みを浮かべて楽しんでいる。効果を最大限にかもし出しているのが上級生の存在だろう。彼らの存在がこの学校の特色を充分に出してくれている。

はなしは変わるけれども、小学校の教諭がテストの結果を改ざんして、評価を上げたという話があった。当事者曰く『一生懸命やっている子どもたちの情にほだされた』と。情にほだされてそんなことはしないだろう。一生懸命やっているけれども点数が低ければ自分の教え方に問題があると考えるのが普通だ。申し訳ないと思えば結果を改ざんなどするわけがない。子ども達に『申し訳ない』と謝罪し、子ども達と共に取り組めばよい。

冷凍しておいた餅を焼いた。全員の数だけないので、早く集まった順から3人に1個という風に渡した。3で割るのが難しいけれど、それなりに奮闘して分けて食べていた。不思議なことに分けられた餅の大小にこだわる子が皆無であった。こちらで見ていて『それはちょっと小さいのではないか』と思うものでも、3人でニコニコして食べている。幸か不幸か食に貪欲でない。きっと良いことなのだろう。

文章が長い?

文章は短く簡潔にというのは昔からよく言われている。『娘泣かすな馬肥やせ』とか『おやじ元気で金送れ』的な短文にして明快な文章は、このブログにはそぐわないだろう。幼稚園の子ども達は皆ニコニコ今日も元気、合わせて初等学部もニコニコ元気、全く平和な日であった。では読む人も嫌になってしまうだろう。

私は思ったことや書きたいことを読み手を意識して書くのではなく、自分の気持ちを素直に吐露している。だからたまに身内の者から検閲が入る。時には削除するなど強行にされる場合もあるけれども、私があくまでも拒否すればそのまま掲載されてしまう。ブログは私にとっては滋養強壮剤みたいなもので、楽しみな時もあれば憂鬱な時もある。

私がこの世から去って行ったときに、この学校やら、幼稚園の子ども達にどのような気持で接していたのか。またはどのような思いを持っていたのかなどが参考になる。だからこのブログが、私の後に続く者たちへの道標になれば意を得たりである。保護者は毎年変わるけれども、幼稚園や学校を運営していく者にとっては、ぶれない変わらない信念がないとならないから、たまにこのブログを読まないとならない。

最近動画や漫画に押されて、小説を読むと言う子どもたちが少なくなった。小説だけではなく活字を読み込むと言うことが苦手だと言う子が多い。文章に表れた人の心情とか情景などが、読みながらにして浮かんでくるようでないと、国語の長文の理解は不可能だ。4年生以上になるとこれが結構つまづきになる。算数の問題も『何を言っているのか分からない』ということになるから、読み聞かせは本当に大切だ。

子どもたちと共に暮らせる日々

1・2年生と話をしていると、年長さんとあまり変わりがない。1年生は年長さんよりちょっと口が達者で、2年生はそれよりももっと口が達者である。3年生になるとそれ以上に達者だけれども、精神的にずっと落ち着きが見られる。3年生はものを考えるときに少し立ち止まって考えるようになるが、2年生は考えたことはすぐに口に来るようだ。頭と口がくっついているようだが、3年生になるとそれが少し離れてきて、4年生になると口に出るまでの時間がかなり間がある。だから1・2年生は年長さんの様な可愛さがある。

最近の年少さんは園や保育者に慣れるのが早く、かつてのように泣き声の大合唱で、別世界のような気配は感じられない。まるで猿の子育てのように、保育者の首にしがみついて離れない子や、おんぶしてもらったら絶対に離れないと言う子や、涙を流しながら保育者の手を力一杯握っている子の様子が見られなくなった。それでもまだ母親から離れるのを嫌がる子など、少しは見られるけれども、そちらの方が実は健全である。

少子化になって、子どもを十分に観てあげることができると、幼稚園が初めてのデヴュウとなると、大勢の子ども達の圧力に屈するのは当たり前で、母親から離れられないのが当然である。泣いていることでそれが意気地ないとか考えることなど全く必要ない。むしろ当然の発達であって、しっかりとしたぬくもりの中で育っているのだと考えるべきである。不安でいっぱいなはずの最初の幼稚園だと思うけれども、当人たちは意外と慣れるのが早い。公園デヴューなど、入園前に大変な気を使っていたのだろうと推察している。

あちこちの筋肉がまだ未発達なので、歩き方もなんとなくおぼつかない、駆け足などすると頭が重いせいかまっすぐ走れないでよろよろしている。それが年中になると足腰もしっかりしてきて、話し方もしっかりして語彙も豊富になる。年長になると、考え方も話し方も人間に近くなって面白くなるが、人によっては悪知恵も発達してくる。そうして小学生になるのだが、こんな状況を毎年繰り返し見られるわけだから、こんな人生楽しくて仕方がない。

4年生になると自己内対話がはっきりとできて、他や自己評価を適切にできるようになるから、この時に人生の負の遺産を背負わないように気をつけなければならない。負の遺産とは、「自分にはできないのではないか」と決めつけてしまう、後ろ向きの弱さである。この年齢をうまく通過できれば5年生以降の学校生活は能動的になる。5年生は自分をしっかりと温める時だ。6年生以降は決めた目標に妥協せず進むという意志力を養う時期だ。難しいことではない。側の大人が絶えず『できる』ということを暗示すれば良い。心理学ではこれをピグマリオン効果と言う。是非やってほしいと願っている。

焼津へ市場見学

5年生が焼津へ市場見学へ行っている。昨日筑波登山終了後から、学校に残って夕食を取り、朝2時に学校を出発した。もうそろそろ帰ってくる時間だけれども、まだ帰ってこない。幼稚園で帰る連絡があったけれども、気になって学校へ来てみた。

大人が勢いよく仕事をしている現場を見ることは、畏怖を感じるものがあるだろう。仕事の流れを学んでくるなどの、社会科の勉強も大切なことだろうが、もっと大切なのは心に焼きつくようなことを感じ取ることだろう。それがあれば、旅行気分で早朝よりはしゃいで出かけても大きな意味があるだろう。

社会科の授業はDVDで勉強すると言うのもあるけれども、なるべくならできる事なら現場を見せてあげたいものだ。バスを借り切って運転手を付けていくとなると、大名旅行に成ってしまうから、最小の負担で最大の効果を狙っている。だから教員の負担も大変なことになるけれども、たまたま大型の運転免許を持っている教員がいるのでお願いしている。学校のバスを使うとなると休みの時しか使えないし、しかも土日でない日だから、茨城県民の日はちょうどいい。良かったと思うのはこんなときぐらいだ。

今帰ってきたようだ。お疲れ様でした。だいぶ寒くなってきたので私も帰ることにする。

筑波山に登る

今日は今年一番の冷え込みだと言われている。どのような因果かこの日に筑波登山を決めていた。幼稚園の登山の日は、学校説明会と重なってっしまって、筑波山へは行けなかったが、今日は私の役割もあったので行くことになった。私の役割は、車の運転手と、けがなどの理由で登れない子をケーブルカーで引率することである。ケーブルカーで登るとすぐに着いてしまうので、しばらく時間を遅らせて、乗り場のお土産屋さんの椅子に座って時間を過ごした。子ども達は、黙って私の言うことに従っていたが少々退屈そうであった。

登山に皆が出発してから30分遅れでケーブルカーに乗り込んだが、その間心配そうにちらちらとこちらを向いて私の顔をうかがっていたけれども、何も言わずに従順に私に従うと言う態度だ。子を持つ親の心境に成って、この子たちを守るという気にさせるものだ。売店がいっぱい並んでいる頂上付近に到着すると、風が強く冷たかった。するとリュックを下ろし、中から予備の衣服を取り出し、重ね着をしている。低学年の子だけれども、衣服の調節など主体的にやれる様子を見てすっかり感心してしまった。

じっとしていると寒いので体を動かしていたけれど、にわかにやり始めてもすぐには温かくならない。『あったかい甘酒でも飲みたいな』というと『甘酒ってお酒なの』と聞くから『お酒ではないよ。子どもも飲めるものだよ』と答えると、ずらっと並んでいるお店を一軒一軒見て回って、『先生!ここに甘酒って書いてあるよ!』と教えてくれる。しかし一向に私がお店に入る気配を示さないものだから、そのうちお店のお土産品を手にとって見ながら、長椅子に座りこんでしまった。土産品に興味を示しながら『ほしい!』などと言わないのもいい。

そうこうしているうちに全員が登り終えて、男体山に登るものと、ここで景色を見るものとに分かれたが、男体山に登ると答えたのは3分の1ぐらいで後はゆっくりしたいという意見であった。そこで私が『どうして筑波山ができたのか、詳しく書いてある自然館があるよ』とそちらの方へ水を向けたが、4・5人の子が駆け出してそちらへ飛んで行ったが、残りの子は無関心のようである。せめて4年生以上の子は関心を向けてほしかったが、もう喉までいっぱいで強制されて学習はしたくないと言った抵抗にも思えたので何も言わなかった。

強制されやらされていると感じている学習では、この先続かないだろうと思うが、いかがだろうか。学習しなければならない期間は、この先の方がはるかに長い。もしも私が感じたことが当たっているならば、心を解きほぐしてあげて、自らのエンジンに点火して自走してほしいと強く思う。危惧だけで終わればそれでいい。そんなことを想いながら子どもたちの中に入って弁当を広げ昼食となった。

同じように山登りに来たどこかの幼稚園の子どもたちが、土産屋で買ったおもちゃのピストルを出して、食事をしている初等学部の男の子のところへ『バンバン』とやってきた。するとそこにいた男の子全員が箸を持ったまま両手をあげた。幼稚園の子は満足してそこを去って行った。私の弁当は野菜サラダとおにぎり一つである。1年生の子が『先生僕のあげようか』と言ってくれる。鳥の唐揚げと厚巻き卵である。何故こんなに優しいのか。

帰りのケーブルカーはこども7名になった。登りだけでも何とか頑張ろうとして登った子たちである。昨日医者に言って『無理しないように』と言われたけれども、何としても登ると根性のあるところを披露してくれた。登りの途中でねん挫してしまったという子がいたけれども、私には言ってこないので教師が伝えに来てくれた。ケーブルカー組は発着所からつつじヶ丘まで車で移動したが、車内では『家を建てると結構かかるから大変だよ』という男の子の話があって苦笑せずには居られなかった。楽しい一日をありがとう。

勉強は何のためにするのか?

筑波大心理学教授だった故杉原一昭先生が、退官時に『生きることと死ぬことと』という議題でさよなら講演を行った。私はその話の中で、あるユダヤの青年がアウシュビッツに送られていく汽車の中で『どうしても読みたい本がある』と言って、途中の駅で一泊した時に、汽車を抜け出し友人とともにその街の中で図書館を探し、読みたい本を漁り、汽車に戻ったという話を聞きました。今死にに行く汽車の中で、なおも『読みたい』という本を読もうとする行動に彼を動かしているものは、一体何なのか。

私はその話を聞いて講堂を出た時に、どうしても涙があふれてきて仕方がなかった。はっきりとは言葉に表せない感動が、全身を稲妻が走ったように通り過ぎて行って、体が震えていた。私はものを識ると言うことにあまりにも無頓着であった。知識に対して甘く見ていたのだ。自分が生きていくのに不自由のない知識で十分であるという狭い領域でしかものを捉えていなかった。何とあまりにも低俗な生き方ではないか。自分の情けなさに涙したのだ。

それ以来専門分野は勿論のこと、それ以外についても学ばなければならない事に気がついた。色々なことを学ぼうとすればするほど、自分の底の浅い知識を自覚する。そうなるとますます貪欲にはなるけれども、あまりにも知らないことが多すぎて、自分自身にあきれ返ってしまうこともしばしばであった。杉原先生の最後の講義で教えて頂いたことは、様々な生き方があるけれども、人生は知的に生きることの素晴らしさである。

私が目指している『精神的貴族』像は、まずそれなりの知識を得なければならないではないか。しかもその知識は個人所有のものではなく、多くの人々に分け与えていくことでなければならない。その結果として自分も飯の食える人間にならなければならないのだ。勉強はそのような人間になるためにやるのだ。勉強はやりたくないとか、ずっと遊んでいたいなどの話は聞いていられない。皆で困っている人を救っていかなければならない、ということを自覚しなければならない。

医者に成りたいと言っている子が結構な数いる。ままごと遊びではないから、願望だけでは夢物語である。何故なりたいのか、正しい意識がしっかりしていれば必ずなれる。それがお父さんやお母さんのためでは絶対にうまくいかない。なぜなら途中下車しても親なら甘いから、それに責任を感じないだろう。内発的動機が社会のためなら責任はいつも自分にあるという意識をもつものだ。しっかりと子ども達に伝えなければならない。

ハンドボール・低学年優勝!

昨日の試合終了後にK先生から第一報が入った。思えば3年前に初めての試合に出場した時には、殆どの子が低学年の部であったけれども、高学年のメンバーが足りずに低学年から出場した経験がある。まったく試合にならず、試合中に審判から注意を受けることは再三あって、審判も意を決したのか、試合中にルールを教えながらの試合で、それが相手チームも寛容に見守っていたことがあって楽しい雰囲気であった。そんな試合であったのに、相手チームから何のブーイングもなかったのが温かい雰囲気を作ってくれた。

そんな状況であってもめげない子ども達だから、優勝できたのだろうと思う。ハンドボールのルールを知らなくてハンドボールの試合に出るなどということは、大人の感覚ではとても恥ずかしくて出場そのものにまずつまづいて、拒否反応が出てくるのが当たり前だろう。竹刀を持ったことのない人が大勢の前で剣道の試合に出るようなものだ。だから当然打ちのめされて、見る影もないほどにやられてくる。最初から何が何だか分からないのだから、打ちのめされようがどうされようが本人たちの知ったことではない。それでも立ち上がれるという力があったということは称賛されるべきことだろうと思う。

それが今回の結果なのだ。スポーツの面白いところは、必ず結果として近い将来に表れることと言えるだろう。優勝したということで、4年生以下の出場した子どもたちが大挙して賞状とともに私のところへ報告に来た。皆の目が光っていて、顔が輝いていて眩しかった。得意そうな面持ちが、次のステップへの意欲となってみなぎっているように感じた。大きな自信となっただろう。

昼食後にミュージックフェスタの会議をしていて、予定より長引いたので全学年を見ることになった。とはいえ1・2年生は外で思い切り全力で遊ぶこと。3年生はボルタリングをすること。4年生から上は全員が5年生の部屋に集まることというように振り分けた。4年生から上の子には特に私から話さなければならないことがあった。それは自分自身の事についてである。この話は3年生以下には難しいので、4年生以上になったわけだけれども、なぜ勉強をするのかということと、なぜ成績に差がついてしまうのかということ。

担任にも話はできるだろうが、私が話した方が与える刺激が違うので効果はある。毎日家で勉強していると答えたのは半分にも満たなかった。家ではなく塾へ行って勉強しているので、家に帰ってからはしないと言う子もいる。学習の仕方が学校と塾に任せ放しである。いつもいつも塾任せにはできない。家庭学習は自分のテーマを探究したりするには絶好の場である。どこどこの学校へ入学させたいと言う願望が先走っていて、どのように生きたいのか考えるゆとりがないではないか。これで子どもはいいのかな。

幸せの追求

『幸せの価値観』は子ども達にもある。大人のように色々と理屈を述べたりはしないけれども、体で感じているものがある。それは何かというと、『楽しさ』『嬉しさ』である。だから幼児期はご両親と一緒にいるときが幸せなのだ。そうして『幸せの原点』ともいうべき生活を続けていくうちに、幸せを感じられるようになる。そういったことによって、主体的で豊かで、意欲的な生活ができるようになるのだ。だから『嬉しい』『楽しい』幼稚園や学校生活を送らなければならない。それ以外は取るに足らない小さな事柄だ。

何故そう言えるのか。そんな質問が飛びこんできそうだ。良く考えてみるが良い。『嬉しがる』『楽しがる』状態にするにはどうしたら良いのか。そこにはおのずと約束事や、秩序というものが存在するはずだ。そういったことを主体的に議論し、自分たちの生活を作っていく。やらせられてその日を過ごすのではなく、能動的に自分を生きることだ。それは、幼稚園生活でも小学校生活でも、そのように生きられることは可能である。本来子ども達は知識欲に飢えているから、意欲的な生活が保障されれば学習意欲も増大する。

お金の量が幸せを決定すると思ったら、それは空しい。経済的豊かさは幸せを測る物差しではない。ただ手段にはなりうるけれども、使い方を間違えれば奈落の底に突き落とされることになる。まったく幸せとは真逆の境涯となることは周知の事実だ。幸せの価値だのと、幸せをふんだんに使って書いているけれど、実際問題として幸せを追求して毎日を過ごしている人はいないだろう。幸せは求めるものではないのであって、真実を生きる者についてくるものだ。鉛筆一本で喜び、幸せに浸る子どももいるのだ。

私の頭の中で幸せとは何だとイメージしてみると、自分の力で決めた目標を持ち、その目標に自分が着実に進んでいるという実感を持ち、希望に満ちて次のステップに踏み出そうとしている状況などは、まさに幸せだろう。与えられる物によって幸せを感じるのは、ほんの一瞬である。そんなもので子どもの心を釣り上げては、程度の低い子どもに育っていく。そのような子どもは、いじめの格好の的にもなる。

久遠返せばⅢ

人生には節目節目があって、青春時代と同じようにその時はその状況がわからない。いつでも振り返って、通り過ぎ去ってから思うものである。まだまだ人生が終わりに近づいているとは思わないけれど、振り返ってみれば、あの時にこうすれば良かったとか、馬鹿なことをしたものだと言うことが次々と思い返す。その反対に、これはうまくいったとかいう成功事例というものが思い出せない。失敗例は山ほどあるから、思い起こせば赤面のしっぱなしになる。しかし、人生なんてこんなものだなどと、解ったようなことは言いたくない。

長らく書いてきたけれど、結局何が言いたかったのかというと、有形無形に私を支えてくれた人たちに何かで感謝したいという気持ちの表れである。感謝はしているけれど、それに報いるお返しができないと言うのがはがいいものだ。多分生涯お返しができないというものが多々ある。

経済的に苦しくなったときに、死んだ方がよっぽど楽だと瞬間頭の中をよぎったことがあった。それではあまりにも無責任だと思い、まずは高額な生命保険に入ることにしたけれども、それでもまだ足りない。そこまで来たら当って砕けろ!っだ。そしてある先輩のところへ当ってみた。ところが当たっても砕けずに事が運んでしまった。命拾いをした。それはまだ第二幼稚園設立の前の話だ。そんなところへ第二幼稚園設立の許可が出たものだから、大変なことになってしまった。

第二幼稚園の設立申請を、3年間連続して提出したけれども許可が下りないので、半ばあきらめて、設立資金を流用し、あおば台幼稚園を鉄筋で新築してしまった。それで、手持ち資金が全く底をついてしまっていた。学校法人立幼稚園を新設する時には、銀行借り入れはできない。勿論小学校も学校法人の名のある学校は、借金では建てられないようになっている。個人の資産を寄付しなければ設立できないようになっているので、財産のない私には不可能である。苦しみもがいていた時代だ。

何かをやろうと決心した時が節目である。初等学部の子は中学受験をしようと決心した時が節目である。人生の節目と発達の節目は違う。発達で言えば、3歳・4歳・5歳という発達の差は毎年訪れてそれぞれが節目である。そして小学校では3年生と4年生という発達の節目がある。人生の節目を今子どもたちが越えようとしているのだから、私が支えられてきたように私は全力で子ども達を支えていく。何かを越えようとしているのだ時から、泣き言は一切漏らしてはならない。泣きごとに手を貸してもならない。

始まった!

初等学部の新学期が始まった。それぞれの顔を早く見たかったが、思った通りはちきれんばかりのエネルギーを蓄えた顔が勢ぞろいした。クラス担任の紹介をし、新しくなるファミリアの仲間を決めて、新しい1年生をどのように迎えるかをみんなで考えているようだった。私たち年寄りと違って、この時代の1年と言うのは歓びに比例して大きなものである。許されることも増えてくるけれど、果さなければならない義務や使命もあるはずだ。自分を振り返りながら着実に前に進んでいこう。

それにしても、何ときれいな顔をした子どもたちだろうか。男の子は見るように見ればりりしくもあるし、坊ちゃんとしているようにも見える。知的で聡明な雰囲気は男女ともにある。このような雰囲気を壊さないで、自由に大きく羽ばたいていってほしい。それにはまず、何よりも冒険を沢山しなければならない。冒険は何も未知の探検ばかりではない。例えば、創造的なものを創作したり、多くのものに挑戦し、失敗を重ねることが必要だろう。

とにかく今日は、元気な笑顔が見れてそれだけで満足。

新学期

いよいよ新学期が始まる。明日からは初等学部で、次の日からは幼稚園が始まる。初等学部も幼稚園も万全の用意をして子ども達を待っている。皆それぞれに進級して、一年大きくなって新しい自分の立場に挑戦していくことになる。喜びと不安と期待に満ちた初日になるだろう。そんな心の中を大切にして、私たちが彼らの重要かつ素晴らしいサポーターであることを自覚して、ともに楽しい生活を作っていってあげたい。春休みの間、先生たちはずいぶん忙しく動いていたようだったけれど、私には長かった。

この期間を利用して、グアムのセントジョンスクールに行き、昨年の6年生がお世話になったお礼をしてきた。それに来年度のお願いを含めてきたのだが、快く承知をして頂いた。このように書いていると、なかなか外国語も達者に聞こえるけれども、実は、私の言いたいことを単語を連ねて話して、後は聞いているだけのこと。聞いているけれども相手が何を話しているのかは全く理解できない。時々分かる単語が出てくると、ニコニコして頷く。これだけのことだけれども、交渉は100パーセントうまくいっている。

終始ニコニコしていたのが良かったのかもしれないが、ああいう場合はそうするしか他に手段がなかった。一緒に食事もしましたが、例のごとくビーフ定食見たいのを頼んだけれども、ケリー先生のと私のとが違う。同じものを頼んだつもりだったのに、指を指したところが一段違っていたようだ。少し残念だったけれどもそれでもニコニコして、何だかわからない話にも時々頷く。そんな光景を、私のことを分かっていて誰かがビデオにでもとっていたら、全くの笑い話だ。来年泊まるホテルはここがいいと、そこへ案内してくれたがなかなか立派なところで、そこは少し無理かなと思う。

斎藤隆氏が現代語訳に直した「学問のすすめ」を全部読み終わった。福沢諭吉には興味があったので、抵抗もなくすらすらと読むことができた。さすがに一万円の肖像になるだけのことはあると、つくづく思う。あの当時には国家を憂うものが山ほどいたろうに、私心なく大局的に見通す眼力のある人間はそれほどいなかった。諭吉は、なるほど聖徳太子と肩を並べるだけの凄い人物である。慶應義塾も大変な苦労をなさって立ち上げたけれども、経営に行き詰まり、ときには呆然としたこともあったらしい。私なんぞはまだまだヒヨコだ。

初等学部の終業日

幼稚園と同じように昨日終業日だった。2年生の男女一人ずつ私の処へ挨拶に来た。2年生の代表と言うのではなく、全くの個人的だと思うが、「1年間ありがとうございました」「また4月からお願いします」と礼儀正しく礼をして帰って行った。終業日なので、全校生徒の前で「礼儀と言うのはその人の人格を示すものだ」と言う話をしたのだが、そのせいではなく、いつもきちんとした挨拶のできる子である。

担任に話を聞くと、どの子も帰りの時にかばんをしょいながら「先生ありがとうございました」と言って行ったらしい。素晴らしい子どもたちだ。同じ子どもたちだが、一方では台車を使って遊んでいて、思い切り壁にぶつけてしまい壁に穴をあけてしまった。神妙な顔をして職員室まで謝りにきた。なかなか潔い。「ごめんなさい」「本当にごめんなさい」「もうやりません」と謝りながら泣き出してしまった。「これは直せない」と言ったことで事の重大さに気がついたようだ。

それで何度も泣きながら謝っていたのだ。しかしふと思ったことだが、子ども達の謝り方は今も昔も変わらないようだ。私自身を思い出して「よく言ってきた」と頭をなでて返してあげた。そこでまた思い出したのだが、謝ったってまたすぐに忘れてしまうんだと。しかしこんな子がやるようになったんだと思うと、学校の子どもたちの社会は全く伸びやかなんだなと思う。

幼稚園では大掃除が始まった。それが終わると指導要録の清書がある。そして3学期総括の研修資料の印刷と、なかなか今学期が終わりそうもない。新学期の用意は4月に入ってからになるだろう。毎年この繰り返しだけど、気を抜かずに頑張ってほしい。初等学部は3月いっぱいはスプリングスクールがあって、新年度の用意はまさに新年度になってから、頑張ってやる。みんな気合が入っていて楽しい。