初等学部の理事長で、幼稚園の園長でもある港先生の熱い想い

理事長・園長のちょっと言わせて

近代史のゴミ

かつて日露戦争の結末で、ロシアが満州に拠点を持っていた遼東半島を日本が占領し(第一次大戦の時のドイツの領土だったかどちらか忘れた)、そのまま日本の領土としたのか無断借用したのかよく知らないけれど、その時三国干渉と言うのがあって日本はそこを即時手放した経緯がある。中国は清と言う国であったが、清国からは何の干渉がなかったのはそこは清国ではなかったことは確かだ。その地はロシアが管理していたり日本が管理していたりで混沌としていてどこの国のものかもはっきりしていなかった。そこを支配していたのは張作霖と言う馬賊と言われているがしっかりとした統治はしていない。張作霖を追い出し、そこに満州国を作ってしまったのは日本の軍部である。

日本はロシアにかったけれども、国は疲弊していて国民も疲れ切っていた。日清日ロと立て続けに戦争をしたものだから、国も兵隊も疲れ切っていた。日ロに勝ったとは言えどもこれ以上戦争を続けられないと言うところまで追い詰められていて、和平交渉を何とかアメリカにお願いした。日露戦争のときに英国に義理があって第一次世界大戦に参加してしまった。その戦利品である格納庫が右籾の補給所にある。ヨーロッパから戦争は始まっているけれど、そのヨーロッパやアメリカが一番恐れていたのが、その当時世界一の陸軍力と恐れられていたロシアであった。

そのロシアに勝ってしまった日本を欧州の列強国やフィリピンに手を出したアメリカなどが日本を放っておくはずがなく、何とか日本の軍事力を縮小させ弱体化させるということを秘密のうちに暗黙の了解事項となってしまった。露骨に手を出してきたのは軍事力の削減である。しかしこれに日本は従ったのである。日本は世界の策略にまんまと引っ掛かって戦争への道を選んでしまった。日本には世界戦略もなければ、情報の蓄積もないから負けるべくして負けてしまった。今は戦争もなければ平和な国になった。

しかし今こそ情報戦には予算をふんだんに使い、二度と戦争はしないという覚悟を新たにするべきだ。国連のどこかの部署から日本のテロ防止法についていちゃもんが入って、政府がそれに反論を加えているらしい。これは中国や韓国のロビーが動いていると見るべきだろう。これも露骨な内政干渉だろうが、思わぬ味方ができたとこ踊りしている野党はもう一度冷静に考えて戴きたい。どこの国の国会議員をしているのかと。この法律ができて困る国はどこの国なのか。日本ではあるまい。

幼稚園教諭や保育士のこと

あおば台幼稚園は認定子ども園になっているから保育所的な役割をも持っている。だから幼稚園教師の免許状と保育士の免許状保持者が混在している。両方の免許を持っている教師が多いのである。第二幼稚園は認定子ども園と言う保育所機能を持った幼稚園ではなく、あくまでも幼稚園であるが、幼児施設の在り方が少しずつ変化している。あおば台で幼稚園が認定子ども園を取得して一体何が変わったのだろうか。第一に保育所機能が追加されたので、保育料の換算が大きく変わってとても複雑になった。第二に保護者の立場が一律ではなくなった。

共働きの夫婦にとっては、奥さんの働き方にもよるけれどもほとんどの方が2号認定と言う認定を受けられることになる。そうすると保育所と全く同じ扱いになって、預かり保育なども無料になったりする。でも保育所よりも保育寮が幼稚園のほうが安いと言う現象も現れてきて、制度としてはよくなったのではないかと思っている。ただ2号認定の保護者は10人しか預かっていないけれども、これで十分だと思っている。その理由は、原形が幼稚園なのだから幼児教育をあおば台のメソッド通りに追求していくには、保育所の形態ではやりにくいということがある。

幼稚園に認定子ども園が誕生したからと言って保育士の数が足りなくなったわけではなく、政府の方針である働き方改革や、経済界全体が人手不足になったことが大きな原因である。建設業界やIT産業界でも人が足りないと言っている。そのうちAI産業が盛んになってくると人余りが現象が起きて、働けるものとそうではない者との格差が大きくクローズアップされる世の中になるだろう。幼児教育はロボットの入る余地はないので、何が何でも人力に頼らなくてはならない。それまで待つことができれば、この業界は将来性のある仕事である。あと10年でそのような社会になるだろう。

どうする幼児教育

保育者の数が足りないという。保育園数の4園に一つの園は保育者不足であるらしい。そうなれば幼稚園教諭の数も減って行くのではないか。今保育所を建てているけれども、保育士が来るかどうかも分からない。多分こないだろうしいないのだろう。養成大学を卒業してもその50パーセントは乳幼児教育に就職しないといわれている。その大きな要因は給料が少ないからだと言われているが、一般の会社の女子社員の給与と比べると30代全般で10万円ぐらいの差があるといわれている。

一般のと言われているけれども、その一般の女子社員はどもの会社を言うのだろうか。一部上場会社のOLの話ではないのか。そんなことを言うなら他の職業でも同じことが言えるだろう。確かに保育界はよく分からないけれども、幼稚園教諭は確かに安い給与であった。国にも県にも現在幼稚園として存続できるのは教師たちの安い給与の犠牲の上にあるということを訴え続けてきた。それでも幼稚園教諭と言うのは保育者になりたいという人であふれていた。採用に困るというのは殆どなかった。

ところが待機児童の問題が膨らみ保育所の数が足りないとなると、当然のことながら保育士需要が増え、派遣業界がそこへ触手を伸ばし、卒業する学生の就職先を迷わす結果になっている。派遣業界の人たちが卒業する学生に登録させてその学生を各幼稚園あるいは保育所に売り込むわけだ。派遣業界はそうして売り込んだ教師あるいは保育士の年収の10から20%の報酬を得ることになる。しかも学生は登録しておくだけで1万円ぐらいの報酬を戴けるらしい。こんなことで幼児教育に磨きがかかるわけがない。

保育者や幼児教育者が『子どもが好きだ』という一念だけで就職してくる時代は遠くに後ずさりしてしまう。教育に拝金主義を計らずも導入してしまうのは、行政の対症療法の結果で先見性が全くない。お金を多くもらいたいというのは否定するものではないけれども、それではいくら欲しいのか。金色夜叉ではないけれど、人間の美徳が薄れてくると、後から来るものは愛憎劇と言う醜い人間の不徳の羞恥に見舞われることになる。そんな世の中つまらないと思いませんか。

田んぼ

毎日のように通る学校への通学路に借りた田んぼがある。田植え時期になると田んぼにある井戸から水をポンプアップして田植えの準備をする。トラックターは畑を耕すのに自前の物として購入した。そうでなければこんなに広い畑を維持することは困難だ。小中ともに人数が満杯であれば人海戦術でもって開拓者のように開墾して畑を整備することができるだろうけれど、仮にそんなことをしていたのでは、社会主義の国の国民のようになってしまう。学校ではなくて収容所のようで気持ちが悪い。

田植えは近所で田植え時期になると活躍するおじさんがいて、田植え機でもって600坪の田んぼに田植えをしてもらう。勿論有料である。しかしトラックターがあるので田植え以前に田んぼの代かきができるので楽である。自分たちの決めた時間にやることができて、田植え前には田んぼの中で運動会みたいなことをして泥んこになって遊ぶ。まるで幼稚園みたいだなどと言う人がいたが、幼児期から義務教育時代の子どもたちにとっては、泥んこは精神的な靄を除去するのにはとても優れた教材である。むしろ都会の子どもたちは、このような自然を得ることができないので不憫である。

田んぼの脇を通るたびに隣の田んぼと違って私の頭髪に似て隙間が目立つ。普通の田植えの時期よりも3週間ぐらい遅いので仕方がないと思いながらも、どうも気になって仕方がない。親が子の成長を願うのと同じことかなと思ったりする。しかしながら稲刈りが近づいたりするとほとんど同じ成長を遂げ、天日で乾かすうちのコメの方がおいしいだろうと思っている。稲刈りの時期になるとまたコンバインを借りなければなるまい。何かと大変だが、衣食住の『食』についての今年のテーマが『米』だから性根を据えてやらなければならない。

リヤカー祭り

あおば台では年長の保育参観で『リヤカー祭り』を行った。年長がリヤカーの免許を取ったので、そのお祝いみたいなものだ。以前はバスから降りてくる年中さんや年少さんをクラスの前までリヤカーで送っていくということをしていたけれど、現在では一つの活動を長々とひきづらないで、活動にメリハリをつけて行こうと言うので、一つのお祭りにして打ち上げとしている。だからと言って、まったくやめてしまうわけではなく、子ども達の中で『やりたい』という声が上がれば、リヤカーは保育者が必ず付いていることを条件に自在に利用できるようにしてある。

子ども達の成長に感極まってしまう母親の姿は見ている者の気持ちも高揚させてしまう。思い入れが一心同体であるという証拠であろうが、いつかわが子を客観的に見なくてはならない時が来る。その時こそ母親は子離れし、子どもが独立宣言をするときなのだろう。そうして一つ上の教育機関に預けるわけだけれども、大切なことは子どもたちの主体を損なわないことだ。どんなに学校の成績が良くても、人が個として独立していなければ、人間として意味がない。自分を生きなければならないのだ。

何も難しいことではない。物事に対して逃げることなく考える力さえつけば、後は主体的に生きられる。私たちが客観的に評価するのではなく、子どもたちがそれで満足しているのかどうかを探ることだ。他人には何も面白くもないのにと映ることも、本人にとっては至上の喜びだったりすることがままあるではないか。リヤカーの免許は自分を獲得するためのほんの一歩に過ぎないけれど、これがやがて大きな強いステイタスを得ることになるだろう。

国は国民を見ていない

学校法人がつまらない。本来神聖で正義であることを要求されるはずのものなのに、森友の小学校建設が下火になってきたと思ったら、今度は大学の学部建設について加計学園がやり玉に挙がっている。いずれにしても現在の総理が絡んでいる話で、全くの潔白であるならば堂々とその潔白性を国民の前に晒さなくてはなるまい。それが国を預かる者の責任である。そしてその潔白が証明されたら、一連の仕掛けをしたものを国家恥辱罪か何かの法律を作って厳正に罰すればよいと思う。そのジャッジをするのは評論家ではなく国民であることを忘れてはならない。

私は国を預かる政党は今のところ自民党しかないと思っているので、安倍総理のこのようなことが毎日国会で議論されていることが情けないと思っている。早めに幕引きをしようとすれば余計に疑惑が深まるだけで、日本国のために良くない。日本を取り巻く国際情勢などを考えてみれば、こんなことに時間をかけなければならない国会を思うと、日本国民は不幸である。誰でもたたけば埃が立つけれども、自らの身をさらすことによって、国民に納得してもらうか、静かにその場を立ち去るかを選択すべきだ。自民党には人材が豊富にいるではないか。

テロ防止法について、内心を処罰してはならないと言うことを盾に反対している野党は一体何処の国の議員なのかと疑いたくなる。政府も一般の人が対象になることはないなどの苦しい言い訳は不要ではないか。これではテロを未然に防ぐことは出来ないではないか。テロが起こって見なければ一般人なのか或いは内心が顕在化された時点でしか処罰ができないのでは、防止策はとれない。これだけあちこちでテロが頻繁に起こっている現状を考えれば、一般人も内心も一応疑ってみなければなるまい。それをさせない勢力は国民の味方ではあるまい。いかがか。

久し振り

今日は月曜日で半日保育であったが、幼稚園に行ったら保育者が背の高い植木屋の職人が使うような脚立に乗って植木の刈り込みをしている。見ていて申し訳ないなと思いながら、「皆よくやるね」と言ったら『もう何でもやらなくては』と言って、全員が植木の手入れをしているという。明日に子ども達とお楽しみがあると言って園庭整備をしているらしい。一人一人の保育者が、先輩保育者の意気込みに感化されて、汗をかきながら頑張っている。素晴らしい保育者に、そして素晴らしい人間性を持った大人として成長するだろう。幸せになってほしいと願わずにいられない。

小中学校へ行ったら、たまたま帰りの時間に出くわしたのだけれども、上級生3人の女子が私に相談があるという。何事かと耳を澄ませて聞いてみると、夏になってスカートの黒では熱を吸収して暑いという。色を変えたらどうでしょうかと言ってきた。『好きなようにやってみたら』と言ったら多分興味を失ってしまうと思い、色を考えて絵を描いてきてほしい。ついでにデザインもできることなら考えてみたらどうだろうと言っておいた。興味のあることをすぐに声に出して実行するというところがとても良い。楽しみが一つ増えた。

リヤカー運転免許証の魅力

今日は朝から重苦しい雲が垂れこめていて曇天である。9時から登園する子どもたちから順に試験を行うことに決めてあったが、どうも空模様が怪しくて空の雲とにらめっこが続く。大した雨ではなくて、多少濡れても構わないと言うことなら一気にやってしまいたいし、子どもたちもそれを望んでいる。雨もまた仲間で雨の中でやりたいとも思っている。『風邪を引いたら大変』だなどと思っているのは保護者で、今日は保護者が数人幼稚園に来ているので、雨の中でリヤカー試験やっていたとなると大騒ぎになる。それで仕方なく空模様を眺めていた。

雨が降ろうがやりが降ろうが雷が落ちても、今日免許証が貰えるとなると何としても試験をやりたいというのが子どもたちの気持ちであろう。そして帽子につけて年長だけのステイタスを満喫したい。デッキに腰掛けて恨めしそうに空を見上げている様子は何んともかわいい姿である。

すぐに雨がやんで、しばらくリヤカー試験をすることができたが、20人ぐらい終わったところでまた雨が降ってきた。いったん試験をやめて、子どもたちを中に入れたが、待っている子どもたちは、すでに終わって帽子に免許証を付けている仲間の様子を恨めしそうに見ている。そんな時『さあやろう!』と保育者の声がした途端、勢いよく飛び出す姿に子どもたちの何とも言えぬ期待感があふれている。私が『ゴーカク!』と言うたびに、保育者の執拗と思える拍手喝采に、子どもたちのにんまりとした笑顔が拍手喝采に余韻が残る。

小中学校の子どもたちも私にとっては同じだ。高学年の女子の頭をなでると言うことはしないが、時折ふと手が行ってしまう時がある。男の子は5年生にもなるのに頭をなでてやると、隣の子が頭を出してくる。男の子は単純にして明快だから分かりやすい。何と言っても青葉台の自主的委員会である『お替わり委員会』の存在がとてもユニークで、それを認めた高学年の子どもたちの寛容さが素晴らしいと、学校で食事をするたびに思っている。子どもたちの育ちの良さであろうなきっと。

世界に一つしかないリヤカーの免許

リヤカーの免許取得は年長さんのステイタスだ。リヤカーと言えども運転者とリヤカーの後輪の距離があるので内輪差が生じる。これがどうも子どもたちには難しいようで、何故歩いているようにリヤカーが歩いてくれないのか不思議なようだ。現実にリヤカーを見て後ろのタイヤが中に入って来るのを目撃しても、次やるときには同じことを繰り返してしまう。そんなことを繰り返しながら、出発点まで帰ってくると最後に待っているのは車庫入れだ。コースはS型やクランクがあって歩道では一時停止をしなければならない。ないのはサイド発進ぐらいなものだ。

車庫入れが終了すると、試験官の私のところへ来て、私が大声を出して名前を呼び『ゴーカク!』とやる。そして本人の前で印鑑を押す。そして隣の教師のところへ行ってラミネートしてもらうと、周りにいるみんなが『おめでとう』と言い、帽子のところへつける。これでめでたく免許証が自分のものになるのだけれど、まったく子供だましのようなことだけど、子どもたちも私も真剣にやる。だから見ている年長さんも真剣に応援してくれる。これで一つ年長さんのステイタスが上がった。

マンチェスターの大きなホールで若い歌手のコンサートに来ていた子どもたちがテロにあった。そして22名の尊い命が失われた。このようにテロと言うのは予見できない突然やってくるのだから、それを未然に防ぐのには多くの網を張らなくてはならない。

憲法に保障されている『表現の自由』に抵触するから駄目だと言っている人がいる。自分の身内が犠牲になったらそうは言うまい。日本の法律は何故にこんなにも犯罪者をかばうようにできているのか不思議であるが、それこそ自由と言っても周りを思い諮り自分を抑制しなければなるまい。このように権利ばかりを主張する輩は、自分勝手で幼稚な人が多い。どれだけの知識を持っていようがである。

断じて容認できない

断じて容認できないと言う言葉は、北のカリアゲ君がミサイル実験をする度に政府高官が発する言葉である。そんなことはもう何度も聞いているので、カリアゲ君は何事もなかったように何度もミサイル実験をしている。そしてまた『断じて容認できない』と言う。総理の発言もうつろに響く。日本には力がないと言うことを何度も確認させられた。だからどうするのかと言うアクションがないし、国民も同じように政府を突き上げるようなことはしない。

誰が何を言おうが危機管理システムの構築を急がなければならない。それどころか共謀罪の成立に反対をして、テロを未然に防ぐ法律を通そうとしない。一般人をも巻き込むからだというのが理由である。何も起こらないときには誰が一般人で、怪しいのはだれかなど分からないではないか。その一般人の区別はどのようにして決めるのだろうか。そのようなリスクがあろうがテロは未然に防ぐべきであろう。理想主義者や北朝鮮に抗議のできないものに耳を貸してはならない。彼らは日本を落し込めようとする仲間であるから。

危機的な日本と言うのを毎日見せられていながら、その防御についてのアナウンスがないのも不思議であるが、多分それはいたずらに国民を不安にさせてもならないという配慮であろう。いざと言う時のためにある程度の国民の負担は当たり前のことだ。トランプ大統領は、カリアゲ君と同じで予測不可能な人であるので、いつトマホークを打ち上げるか分からない。北朝鮮のミサイルを日本の技術で途中で撃ち落としてくれることを望んでいるけれど、それも難しくなったと言っている。もしもの場合にどうするのだ日本は?

あおば台プレイデイ

雨で1週間延期になったプレイデイだが、今日はさわやかな5月晴れである。それは良いとしても、市内の小学校の運動会と重なって、小学校へ参加する保護者が1クラス以上いた。それは仕方のないことだとあきらめて、大多数の保護者と子どもたちで伸び伸びと遊ばせて戴いた。最初の予定のときに休みを取ってしまって、延期されてしまった今日は取れなかったというお父さんもいる。気にしないでその分休みのときに遊んでやってほしい。子どもたちはきっとわかっているから。

きらきらした子どもの顔が素晴らしかった。いつも私のところでギャーギャーと騒いでいる子も、今日は音沙汰なしだ。私など路傍の石の存在である。それはそれで素晴らしいご家庭であろう。子どものいる風景とは緩やかなそよ風に似ている。

厭なニュースがあった。仙台の中2の自殺問題を、学校と教育委員会で隠蔽していたという。この問題だけではなく、学校と教育委員会の姿勢は許せないことが多い。多分泣き寝入りしているご家庭もあるだろうが、これでは教育機関の信用は地に落ちてしまうのは当然である。仙台と言えば東日本大震災で大変な目にあったところで、心の中にその傷跡もあったかもしれない。世の中に恨みを持つだろうな。そもそも教育委員会は、子ども達の味方ではなく学校の教員の味方で、そんなところに真相究明なんて頼んでも真実は出てこない。総理大臣以下真剣になって子どもを守ってほしいものだ。とにかく大人のウソは駄目だ。

暴力を伴う教師

愛のある暴力というのが本当に実在するのか。一番自分に近い親でも、殴るときには『お前を愛しているから』と言って殴りつける親がいるのだろうか。殴る行為そのものが常軌を失っているのではないか。殴り合いでも最高に高揚していて、冷静さとは全く逆のほうに自分の感情がある。憎悪があってやるものとそうではないものに区別ができるかもしれないが、それにしてもやはり人間はそんな野蛮なことをしてはなるまい。

私はどうだったかと言うと、20歳ぐらいまでは喧嘩三昧で、いつも顔にあざをつけられていた。今から考えると、自分の感情の逃避にしかならないけれど、自分の生き方が分からないのと、優秀な仲間を見ていてコンプレックスと焦りがあって、自分に対して怒りを持っていた。本を読んで何とか自分を変えようと努力はするものの、意志が弱かった。私を見ていて心配してくれていた仲間がいたことによって、何とか軌道修正ができた。野蛮で全く獣道であったように思う。恥ずかしい限りだ。だからそんな子供たちをつくってはならないと強く思っている。

小中学校時代は教師によく殴られた。殴られなくて教師に覚えめでたい子もいたのだから、私は教師からすると余程手に負えなかったのであろう。今だからはっきりと言うことができるけど、殴って人は育つわけがない。強制はできるだろうけれど、人を育てる手法ではない。兵隊のように自分の考え方を主張できない状況におかれなければ規律を保てない社会なら、それもひとつの考え方であるけれど、教育の現場では、絶対あってはならないことだ。時には熱血教師などと持てはやされるけれど、殴られている生徒の身になれば『これが先生か?』と大人を不信に追いやるだけだ。信頼関係こそが唯一子どもを救う道であると思っている。

私は家に帰ってくれば父親に殴られ、まったく身の置き場がない。それでも何とかまともに生きられたのは、最後まで私を信じてくれていた母親の存在であろうと思う。それによい仲間がいたからだ。親子の間では、殴られてもいつか忘れて強い愛情だけが残っていると言うことがあるけれども、感情的になれば憎しみだけが残ってしまう。修正不可能になってしまうようなことだけは絶対に避けるべきだ。教師の場合は、場面が沢山あるから、ふざけて頭をこつんとやるだけならまだしも、殴ってしまったら教師の負けだ。自己否定と同じことになる。

あおば台に保育所ができる

作っている私自身があまり興味がない。これから結婚をして子どもを産む先生たちにとっては朗報だろう。働いている先生たちが、安心して子育てができて仕事にも専念することができるように願って保育所を建てることにした。興味がないというのには理由がある。そもそも幼稚園から初めて、日本一の幼稚園を作ろうと、幼児教育の文献を漁り、筑波大の故杉原一昭先生や、幼年教育研究所の故久保田浩先生に学び、机上の空論を是正しながらあおば台の幼児教育を作ってきた。

保育所の『子どもを預ける』と言う概念とは一線を画し、発達心理や小児科医の小林登先生の本などに傾倒し、徐々に保育所的な施設は、子どもをしっかり育てることはできないという結論に達し、保育所イコール虐待ではないかという極論にいたった経緯がある。確かに保育所は子どものための施設と言うよりは、働く母親の利便性に焦点を置いている。これにどうにも納得がいかなかった。多くの保育者仲間と議論をし、目の前に困っている母親がいるのだから一概に保育所はだめだと言えないのではないか、と言う仲間がいる。多いに反発をし、今でも幼児教育について語りあっている。

保育所には生後3カ月から入所できる。乳幼児施設で死亡事故が起こるのは、0歳児が一番多い。子どもへの愛情がどうのと言うより、利便性だけを考えて保育所選びをした結果である。政府の後押しも働く母親の利便性ばかりを考えているようで、設置基準による安全性などは声を大きくして叫んだりはしない。設置基準のハードルを高くすれば、保育所が建たなくなってしまうからだ。その上大阪の方では保育所設置に反対する大人たちがいる。彼らは自分もかつて子どもであったということを忘れている。老後を静かに暮らしたいというのが理由だそうだ。静かになんてできやしない。そのあとで閻魔さまに大声で怒鳴られるだろうから。

そのような経緯があって、保育所施設はそれほど身を乗り出してまで作ることに意欲が乏しい。0歳児は母親が責任を持って育てなければだめだ。その後のことは、私どものスタッフで何とかするように、保育室を建てる。1歳児でも2歳児でもいればいたで、可愛くてどうにもならなくなって、作ってよかったなどと言うにきまっているから、私の理論上の拒否と感情の受け入れは、まったくベクトルが違う。

プレイデイ

今日はあおば台のプレイデイだったが、朝から本降りに近い雨音で昨日のうちに延期を決定しておいてよかった。何か行事があるときには、いつも天候が気になる。私個人としては、その時勝負でも仕方がないと思っているけれど、保護者の中にはその日に休みを取るなどと会社と相談しなければならない人もいるから、なるべく全員参加でやりたいので、空模様を気にしなければならない。保護者と子どもたちと保育者が一緒になって遊ぶという企画だから、子どもたちばかりではなく、保育者もまた楽しみに期待している日なのだ。明日は第二だけれども空模様は大丈夫だろう。

人の成長と言うのは、(教育と言うのは)自立を持って終息すると言う考え方があるけれど、だからと言って早く自立を促せばよいというものではないだろう。年齢的な発達理解が大切だし、人によって発達と言うのは一様ではない。自立と言うのにも何を持って自立と言うのか、自分の力で飯が食えるようになればそれで自立と言うのか。そうでは決してあるまい。もっと細かに分析すれば、エリクソンのアイデンテティの概念のステイタスが、どの程度まで本人が認知しているのかであろう。

以前にも書いたように、10歳ごろから子どもたちは大人になる訓練を自ら非認知の中で習得していくように感じる。子どもが反抗するのもこの頃からで、12歳から16歳までの間に正常な反抗期は終了するように思われる。その間に親も子育てには苦労するけれども、子どもが反抗するのは、自分がどうにもならないというサインを出しているのだから、成長過程の一コマと思い、子どもと一緒になって熱くならないで『よく育ってくれた』と自分に言い聞かせ冷静になりましょう。子どもも辛いのだから。

芸術家のいる風景

音楽家にしても画家や彫刻家あるいは焼き物をやる人や工芸家など、何かを作り出す人に私は憧れを持っている。芸術家というのは自分の作品に絶対的な自信を持っている。他の作品に対して批判的な意見をすぐに述べられるという特技も持っていることも特徴的だろう。彼らには天上天下唯我独尊的な要素がないと、自分に嫌になってしまうだろうから、常に感性を磨くために時間を惜しまない。そんな性格であっても、何食わぬ顔で堂々としていられる神経が私を魅了してやまない。自分を何かに没頭することができるということに人として尊敬することができる。それは老若男女年齢差に関係なく、素晴らしいことは素晴らしいのだ。

例えば校内のアトリエ(大倉庫)を使って、長内先生が彫刻をしているところへ、子どもたちが集まって来て、その様子をじっと見ているなどの光景は素晴らしいではないか。東山魁夷のような日本画家がここから生まれるかもしれない。そんなことより教科書のテストの成績が上がった方がいいですか。そんなこと長い人生からすると小さいひとコマだ。

学校の子どもたちも何も芸術家でなくとも、自分が没頭できる何かを探して生きていってほしいものだ。誰が何を言おうとも『自分を生きる』ことができなければ死に体と同じ事だから、強烈にでも辛抱強くでも自己主張して生きてほしい。今『忖度』と言う言葉が流行になりそうだけれど、自己主張には『忖度』できる包容力を持ってできる人格の磨きも大切なことだ。人が好くて、真面目に生きるということは十分にアピールできているのだから、あとは目標に向かってやり抜くという己の力を発揮する時だ。

格好をつけなくてもよい。どうせ人生なんてものは泥まみれになったところに新鮮な新芽が出てくるものだから、汚れることを気にしてはならないと思う。2年生の『進路宣言』が素晴らしかったというのは、彼女たちはしっかりと自分を観ていて、浮ついたところもなく、しっかりと大地を踏みしめているからだ。そのようなことが人間の基本になるのではないか。

子どもはみんな可愛い

昨日六本木にある新国立美術館へ行って、前年度まで美術関係を教えていた非常勤講師の宮崎みどり先生と、今年度より教員として小中学校で子どもたちに教えている長内夏希先生が出品している彫刻を観に行ってきた。国立美術館だから、ここに出品できると言うだけでもすごいなと思うけれども、宮崎先生は上から2番目の賞を戴いたらしい。長内先生がそう言っていた。素晴らしいすごい感性を持っているのだろうな。

その宮崎先生にお会いして会場を案内してして戴いたのだけれども、たまたま宮崎先生が現在教えている都内の中学校の子どもたちの話が出たのだけれども、青葉台の子どもたちの感性に触れ、とても素晴らしいものを一人残らず持っているということはとてもすごいことだと言っておられた。実は私もそう思っていた。今学校には現役の芸術家がいる。そう思っただけでも素晴らしい学校だと思う。

また昨日は中学校2年生の『進路宣言』が行われた。とても堂々として素晴らしかったらしく、ぜひとも見てほしいということなので、今日になって二人の宣言を聞かせて戴いた。確かに堂々としていて内容も地に足がついていて、自分たちの現況をよく把握していて見事なものだ。子どもたちの内面の発露なのだけれど、教師も子どもたちをよく見ているなと感心した。

幼稚園の年少さんの部屋へ行ったら、指を3本立てて『3歳!』と得意になっている。そこで『先生は何歳?』と聞いてきたものだから『68歳』と答えたら『ふーん』と言って、会話が途切れてしまった。同じように年中さんは指をぱっと広げて『5歳!なった』と言う。先生は?と言うので『68歳』と言うと『へー90歳かと思っていた』と言う。会話の中にふんだんに数字が出てきて数唱の練習だ。遊びの中で数の概念を身につけていく。非認知的なことの大切さだ。

学校法人とは何たるか

きのくに子どもの村学園の創始者である堀真一郎氏は学校法人の学校を作るにあたって、寄付を募ったり、他の職業で得た利益で学校を運営するには限界があるので、何としても学校法人を取りたかったと言っていた。私が初めて作った幼稚園は最初から学校法人であったが、これは現在当学園の理事をしていらっしゃる弁護士の風間幹夫先生が県に行って交渉して作ったものだ。だから私には当初のご苦労に対して全く知り得なかった。けれどもその頃は、設置基準は厳しかったけれども、それほど目立って経常費補助も多くはないし、しばらくの間は私は無給どころか教員給与が払えなくて、アルバイトで得た得た賃金を幼稚園に入れていた。これは驚くほど多額ではないから何でもないことだけれど、身内に来て戴いてただ同然で働いてもらっていた。

まあ40年も前の話だけれども、幼稚園経営はそんなに楽なものではなかった。地域の郵便局と同じようにちょっとした資産がある民間の人に頼んでお願いするようなものであった。しかし私には有り余るような資産もなかったし、今の幼稚園が建っているところがかろうじて私の名義のものであった。自分の土地を寄付しなければ幼稚園は建たないし、建設費は自己資金でなければならないことが法人になるための約束事であった。借金漬けになっていた私が何故に学校法人立の幼稚園が出来たのかと言うと、そのような決まりを知らなかったし、勝手に建設をはじめてしまっていたから後戻りできなかった。それに許可を取りに役所と交渉したり書類の提出などは弁護士の風間先生がやっていたから、どうなっていたのか詳細にはわからないうちにできてしまった。

そして昭和51年11月29日に幼稚園は完成し、翌年2月8日に法人認可をもらったがなぜか登記簿謄本には3月31日になっている。幼稚園は設置基準は厳しくて面倒なことであったのは、第二幼稚園を建設する時にしみじみと理解することができた。すでに学校法人があるにもかかわらず、ゼロからの出発である。融通のきかない役所との交渉にはほとほとまいってしまった。都道府県によって設置基準が違うらしいが、森友のようにそんなに簡単なものではないことは確かだ。

そう言えば森友の籠池さん、『けつを割る』という汚い言葉があるけれど、散々世話になった人に対して、『毒をモラワバ皿まで』とばかりに、関係者を道連れにしているようだ。人として絶対にやってはいけないことだ。結局は民進党の楽しい餌にされていて、民進党とは本人の信条とは決して相容れないものなのに、もう自分は終わってしまったのだと言うけじめがしっかりとしていない。この風が止んで風化してしまったら、誰にも相手にされず放り出されるだけだ。政治家と付き合うのは、切れてしまったら政治家を相手にしている方が惨めになるものだ。なぜなら自分を守るためには誰よりも長けているのは政治家だからだ。籠池さんも夢から覚めてしまったのだから、そのあとの夢を追い続けると後は何も残ってはいない。真っ白になるだけだ。

北のカリアゲ君

『蟷螂の斧』の如し。カマキリは象に対しても刃を挙げて向かっていこうとする。その気概は良いにしても、それは一度見せてくれればそれでよし。何度もやっていると、オオカミ少年のように相手にされなくなる。そして最後にはオオカミに食われてしまう。核を持たない国の方が持っている国よりも多いのだから、その国の仲間入りして平穏に暮らし、北朝鮮の国民を飢えから救ってやったらどうだ。核を持っても使えないし、他国への脅しにしかならない。それを維持していくにはまた莫大なお金がかかる。何をそんなに恐怖感を持っているのか。韓国が北へ攻めてくるとでもいうのだろうか。金王朝の瓦解を恐れているのか。

誰か有名人が『日本を巻き込まないでくれ!』といったことを米国向けに行ったそうだが、これもまた社会観と言うか、世界観に乏しい発言ではないか。冷静に考えてみれば、日本が米国を巻き込まなければ朝鮮半島の危機に関してはなす術を持たないではないか。米国の後ろ盾がなければ何も進展を見ない。いつも口先だけの抗議で拉致問題然り手も足も出せない。その上中国に『日本は黙っていてもらいたい』などと高飛車に出られると、しゅんとしてしまう。小笠原付近で、日本のサンゴ礁を根こそぎ持って行ってしまった中国漁船に対しても、取締りの船がないと言ってさせ放題であった。情けないではないか。

日本の法律で縛られてしまっていると言い訳をしているけれど、法律は国民の生活を守るためにあるはずなのに、外国の漁船を守るためではない。駄目なら法律を作ればよいけれども、中国をあまり刺激しないほうがよいなどと、どこの国の議員なのかわからないうつけ議員がいることも不幸なことだ。

新入生歓迎餅つき大会

あまり派手さはないけれど、毎年のことながら新入生歓迎餅つき大会をしている。みんなが餅が好きと言うのもある。中学生の男の子がいるから、つき手はあまりある。しかも若くて力があるから、出来上がった餅はすべすべしていて見るからにおいしそうである。つき手も上手だし、愛の手を入れる子どもたちも上手だ。小学生全国餅つき大会なんていうのがあると、多分わが校は県で勝ち残り全国大会に出ても日本一がとれるのではないかと思うくらい見事だ。

けんちん汁があるけれど、これの味付けは私がやることに決まっているようで、子どもたちが調味料とかを持ってきて『よろしくお願いいたします』などと言って柄杓を片手に頼みに来る。本当はだれがやってもいいのだけれど、私にわざわざ出番を作ってくれているようだ。幼稚園の餅つきのときには、保護者が40人以上来るので、大人の姿がよく目に入るけれども、学校では子どもたちが中心だ。だから応援団がいたりと役割ができていて、餅つきは活気がある。

いつの間にか大きくなってしまった子どもたちだ。頼もしい限りだ。これからがどのように生きていくのか、慎重によく見ていかなくてはならないだろう。

のんきな日本

水面下では在韓邦人の救出作戦などシュミレーションを行っていると思うけれども、国内にいる日本人はどのような覚悟で、どのような対応をすればよいのか、用意をする分には行き過ぎはない。何と言っても命がけなのだから。性急に避難命令など出してしまうと非難の的になるけれど、とにかくこのような経験は政府の高官でさえ初めてだろうからなかなか難しい。その点韓国などは夜間外出禁止令などつい35年前にはまだ施行されていたので、退避の仕方を知っている国民が多い。

じたばたしてもしょうがないと思うのは、私の年齢なら良いけれども、これから生きがいを求めて生きていく人たちには酷な話だろう。何も起こらなければよいけれども、北のカリアゲ君はタナボタで権力を掌握したので国家間の闘争などの経験もない。米国とのやり取りもまるでテレビゲームを楽しんでいるようで危険この上ない。核実験をしたら間違いなく戦争になるだろう。

私が35年前に欧州を旅行したときには、何処に行っても核シェルターがあったことに驚いたものだ。欧州は陸続きだから危機意識が高い。このような状態が続くのであれば、学校にも核シェルターが必要になってくるのではないか。せめて退避場所にする丈夫な防空壕が必要になるかもしれない。サリンを空から落とされたらどうすればよいのか。政府のある機関が防ぎ方を国民に伝えたようだ。サリンは空気より重いから高台に逃げるか風上に逃げる。ゆっくり揮発するのでそばにいると危険。

危険は去ったわけではない

北朝鮮が中距離弾道弾の打ち上げに失敗したと報じられている。実のところ、やるぞと言う意思を見せて置いてわざと失敗させたのではないか。米国のかなりの圧力のある中大陸弾道弾のような長距離ミサイルを発射させることは精神的にも難しい。しかし核武装は北朝鮮の生命線だから、必ずやるだろう。日本のコメントなんか何も気にしてはいない。北朝鮮は必ずやると私は思っている。日本にミサイルが飛んで来なくても日本経済は混乱するし、平和ボケしている日本に脅威の現実を突きつけるだろう。

米国はカールビンソンを派遣して脅しをかけたが、北朝鮮は度重なる脅しにはびくともしないし、例えば米国が本気になって空爆を実施した場合そのリスクは計算されているのだろうか。そのリスクをきちんと計算しているのはむしろ北朝鮮なのではないか。韓国は空爆には反対だろう。そうでなければこれだけ危機をあおっておいて、ソウルの街が普段通りに展開しているというのはあり得ない。空爆が始まってからではソウルの人たちは逃げ切れまい。だから例えば北朝鮮が核実験を仮にしたとしても、米国は手足を縛られたままだ。なすすべがない。空爆を抑えているのは韓国なのだ。

出来ないことを百も承知だから、米国は最後の切り札として中国を揺さぶりにかけた。中国の国家主席はトランプの軍門に落ち、為替操作の件は不問にされた。窮鼠猫を噛むの例えがある通り、このまま危機は通り過ぎたとは言えない。戦争になれば韓国の国民が雪崩を打って日本に助けを求めに来るだろう。韓国の戦争難民である。この分では必ず起こる。桜を観るどころではないのだ。

ところで学校の桜は満開である。桜も学校の歩調に合わせてゆっくりとしているから、近所のソメイヨシノの桜の花が散り終わったころにやっと満開である。何も急ぐことはないじゃないか。『大器晩成』というではないか。また『散る桜残る桜も散る桜』という。世のある姿を桜の花に例えるなんて粋なものだ。

不穏な朝鮮半島

北朝鮮が核実験を行ったら米国が先制攻撃を仕掛けると明言している。カールビンソンの一団が攻撃をするにしても、国内にある第7艦隊が攻撃に加わることにしても、日本との事前協議の対象となるなどと政府は悠長なことを言っている。もしも本当に攻撃することが現実になったら事前協議などの手続きを踏むのかどうかわからない。そんなことは作戦の手の内を相手に伝えるようなものではないか。シリアに放ったトマホークでさえ米国民は事前に知らされてはいないだろう。

サリンが弾頭につけられて、日本や韓国に打ち放されたらどうなるのか。韓国は当事国として戦争のど真ん中にいるのだろうが、日本を攻撃する場合には長距離弾道弾が必要だ。その先にサリンをつけるということだが、サリンを防ぐにはどうしたらよいのか民間防衛も真剣に考えて、国民に用意させることも必要なのではないか。まさかそんなことにはなるまいというような正常性バイアスは危険である。スイスのように率先して平和主義を唱えるなら完ぺきな防衛力が必要である。

私の住んでいるところには自衛隊があるから標的になる可能性も多少はある。米軍が駐留していないから、第一義的に狙われることもないだろうが、何と言っても幼稚園や学校があるから、できることならそんな物騒なことにはならないでほしい。しかし自分の身は自分で守るという鉄則は、いつもどこかに考えておく必要があるだろう。

学校の校庭の真ん中にある桜が咲いた。ソメイヨシノではないので、桜が満開だと世間で騒いでいるころはまだ学校の桜は静かに沈黙を守っている。やっと今日あたりになって、桜が咲いているということに気がついた。多分月曜日には満開になって、そのあと2~3日で散ってしまう。花の命は短くて・・・・・。

動き出した幼小中

小中の入学式はひと足早く始業日を迎えた在校生が工夫を凝らしながら作り上げたものだ。司会から歓迎の挨拶など最後まで子どもたちの脚本だ。唯一教師の紹介は教師が行ったが、新入生を歓迎する心のこもったものであった。特に新入生にお土産を渡す場面が面白かった。うちの子どもたちはマイクを握っても堂々としているから、何かへまをしないだろうかなどの心配は全くいらない。学校を作って本当に良かったと思える瞬間でもある。屈託がなく心が自由だから生き生きとしている。1年生もまるで自宅にいるようで、伸び伸びとしていて気持ちがよい。

そして幼稚園。数年前と比べたら泣く子どもたちがぐっと減った。女児では泣く子が殆ど見当たらないのに対して、泣いている声が聞こえて、そこへ行ってみると保育者の膝の上で泣いているのは殆どが男児である。大人になっても、強そうに見えても影に隠れて泣いているのは男性ではないか。その内容は幼児期とは違っていても、殆どは女性に助けられている。女性は強い!

久しぶりに晴れた日だったので、園庭は子どもたちの花が咲いて満開である。おりしも雨上がりであるので、水溜りがあちこちに出来ている。よせばいいのにその水溜りをめがけて『じゃぼん!』とやる。水しぶきが上がると同時に歓声が上がる。それをあきることもなくやり続けている。だれも注意をしないから思い切りそれを楽しんでいる。親がいたら必ず止めるだろうと眺めていたら、その水溜りに座り込んでしまうものが現れた。そこへ保育者が現れると、今度は『鬼ごっこ』だ。楽しいはずだよ幼稚園は。

始まったぞ!

小中学校は昨日から、幼稚園は今日から新学期が始まった。小中学校は校長を辞任したとはいえ、理事長として子どもたちとの関わりはある。何といっても自分で作った学校だからそれなりに思い入れはある。距離を置いて学校を見て見ると言うのもよいものだ。それに私のように学校をどのようにしたいのかを、命がけで考えられる人はいないから、私が教職員のすぐそばにいると、教職員も委縮してしまうだろう。体をこわしたのはそういったことを解決するにもよい経験であったように思う。

とにかく学校も幼稚園も始まってよかった。子どもたちのいない園舎や校舎に大人がうろうろしていると、どうも似合わない。もっとも最近は幼稚園では『預かり』と言うのがあって、学期休みなど無視して子どもたちは幼稚園に来る。休みの日でも保育者には山積した仕事が沢山ある。そんなことはお構いなしで国の決まりができてしまったようだ。子どもたちにはそんなことは関係ないので、ギャーギャーと騒いでいればそれで大人たちは安心している。

まず幼稚園の園児たちは年中さんと年長さんだけがホールに座って私が話しだすのを待っている。その時の生き生きした目の輝きが何とも言えない。純粋に深海の奥に潜んでいるような瞳で、それでいて食いいる様な炎のような目つきをしている。それは進級したことへの自信と高ぶりなのか。大人には二度と戻ってはこない、これからの決意の瞳だ。子どもたちは四季折々ではなく、心の変化がある時々に新鮮な表情を見せてくれる。楽しきかな子どもたち、素晴らしきかな子どもたち。

校長辞職

まだ子供たちと会っていないので校長を辞職したという実感がわかない。いずれそのうちじわーっと来るだろう。校長という責任から離れるというだけで、その実態としては全体の責任があるわけだが、ちょっとした役割から離れられるというのは、それなりに肩の荷が下りるものだ。今まで仕事の量は増える一方だったけれど、幼稚園を始めて中学校を設立したことを含めて、初めて仕事の量が少し減ることになった。

幼稚園にも園長室と言うのがあり、小中学校にも校長室と言うのがあるが、そこを自分の定位置となったことは今までに一度もない。幼稚園に行けば職員室の中の一つの席にいる。初等学部でもそうだったが、これからは理事長室という部屋にいることになる。職員とは隔離されてしまうので、仕事が見えないし、職員の方でも何かと不便があるだろう。まあそれは一時のことで慣れてくればそれが普通になるだろう。

居心地の悪いのは私の方で、幼稚園でも今までの初等学部でも園庭や校庭が見え、子どもたちの躍動する姿がすぐ前で見ることができた。でもほかに座るところがない。職員室に新しく自分の机を持っていくのも、少しいやらしい。

せっかく6号バイパスの片側2車線の工事が3月27日に終了し市内の全線が開通したというのに、自分が役職から外れるのは工事をしてくれた人たちに申し訳がなく感じるけれど、子どもたちは多分新しい風を感じてくれて、今までと違った『やる気』を感じてくれるような気がする。私はいつでも子どもたちの味方だから、いつでも話をしに来れば良い。喜んで応えるよ。

インフルエンザ

インフルエンザという小さな悪魔がわたしの体内を侵している。31日の夕方近くであっただろうか。急に頭が重くなって意識が朦朧としてきた。女房が何度か耳元でお医者さんへ行こうと囁いていたけれど、自分ではどうして良いものか判断がつかなかった。 結局1日の昼過ぎごろ女房が病院と連絡を取り合って、診察してもらうことになった。

半分気を失っている状態で車に乗り込んだが、車に乗り込むときにも女房が私を抱き上げようとするのだが、私の体重が重くて、あっちへフラフラこっちへフラフラと女房にしては大変な思いで あったろう。私を車に乗せるときも、車の中にいるときも絶えず女房が「大丈夫だからね」「心配いらないからね。ずっと一緒についているからね」と声をかけてくれていた。

到着して主治医の前に行ったときに、すぐさま入院させてくれるように頼んだけれど、願いは聞き入れてもらえなかったので、そのまま気を失ってしまった。気を失ったと言ってもところどころは覚えていて、うまく情景がつながらないだけだ。ちょっとベットへ横になって点滴を打ってもらう事になったが、その際も女房がわたしを支えようとして私の背中に手を回すのだが、どうにも私を支える体力がない。それを見かねた主治医が急いで車椅子を用意してくれた。

点滴を途中でやめ、薬局の薬を飲んだほうが良いと主治医の究極の判断なのか、すぐに処方箋を出してもらい近くの山口薬局に飛び込んだ。起き上がることもできず立ち上がることもできず、重心を失った黒い物体が待合室の長椅子のところで横たわっている。女房が私のそばに寄り添って「いま薬を出してくれるからね。それを飲むとすぐに治るからね、心配いらないからね、すぐ帰れるからね」と言っていた。

係の薬剤師が私のそばに寄り添い真新しい白衣も気にせず私のそばにひざまづき「すうすう吸って、ずっと吸って下さい。それを4回やります」と言って丁寧に対応してくれた。なんだかその優しさに涙が出てきた。その人の名前は健太郎と名札に書いてあった。

家に帰る途中でも「あしたになればもう全て終わっているから、大丈夫だからね」と言っていたけれど、次の日までまで眠ってしまっていてよく覚えていない。目覚めたときにはすごく爽やかで純白の風が部屋の中を通り過ぎて行って、そこには尖ったものがなく、全てが柔らかく包まれていて、いま自分は臨死体験をしているのではないかと思ったくらいだ。何も考えなくても、何を知らなくても時間はすぎて行く。死ぬときってこんなものなら何も恐れることはないな。

がっかりした!

宇都宮さんが都知事選を撤退した。野党統一候補を一つに絞って戦いたいと言うのが思惑だろうが、やはり宇都宮さんは共産党の党員だったのではないか。党派に縛られていなかったら問題なく出馬することが出来る。党派に縛られない都民党などで出馬することは難しいのだろう。鳥越さんなんかはかなりの知名度があるし、野党統一候補にならなくても戦えるのではないかと思うけれども、素人の浅い考えなんだな。考えてみれば全くの無所属で何処の党派にも属さないで支援を受けない知事などは日本にはいない。茨城県の橋本知事は、前回は自民党の反対を押し切って勝てた。数少ない知事だろう。無党派だけれど現存する野党とはくみしない。

私は宇都宮さんの政策の演説を聞いたことがないので一度聞いてみたかった。勿論私が都民であっても一票を投じることはないけれども、どんな戦い方をするのか楽しみにしていた。これで三つ巴戦になったけれども、増田さんと鳥越さんの一騎討ちと言うのが大方の予想だろう。自民党が謙虚であれば勝てる気がする。もっとも政治の中で謙虚であると言うことはどのようなことかというと、反対派の意見も取り入れて政策を推し進めるということだろうが、それでは民主主義の大前提である多数決の原理から遠のいてしまう。私も政治家にあこがれた時代もあったが、よほどの体力と図々しさがないと務まらない。頭もよくないとだめだ。

これはたんに東京都の問題ではなく、日本の首都の長を決めることだから『私には関係ない』とうそぶいていても、オリンピックを控えているということもあって無関心を決め込むことの方が難しい。華美にはならない実力のある人になってほしいものだ。いずれにしても31日には結果が出る。体に気をつけて健闘を祈るとしか言いようがない。皆さんこの暑いさなかに、大声張り上げてぺこぺこと頭を下げて、体がもつのだろうか。

今日はとっても暑いようで、初等学部の子どもたちに会うたびに、『かき氷が欲しい!』という挨拶ばかり聞かされている。そんなもの用意されているわけではないから、知らん顔していたけれど。草取りをしている先生も汗びっしょりで、子どもたちも先生たちも本当に頑張っているようなので、近くのスーパーに言ってソフトクリームを買ってきた。子どもたちはギャーギャーと歓喜の声。これがまた嬉しい。

色々あるな

鳥越さんが東京都知事選挙に出馬すると言うことが正式に決まったようだ。野党四党の枠組みの中で出ると言うことだが、出馬と同時に古賀さんと言う経産省出身の人が鳥越さんの記者会見に現れて鳥越さんに出馬をお願いしたという。古賀さんはそれ以前に野党四党の枠組みの中から出馬を打診されていた人だ。あまりにもでき過ぎな選挙戦だ。出来レースをあたかも突然起きたようなやり方は大人げないし、恥ずかしいことだ。鳥越さんはニュ-スキャスターを長らくやっていて知名度もあるけれど、リベラルではない左翼である。

同じ左翼から出馬する宇都宮さんの方が骨がある。如何にも骨っぽい左翼である。鳥越さんの出馬の弁について納得行かない。彼は参議院選挙の結果をみて大きく世の中が右に傾いているようなことを言って、それに危機意識を持ったから都知事選に出るという。それなら国政に出るべきだろう。自分の年齢も考えて、一つ花を咲かせたかったのだろう。あくまでも彼の言い分には大義はない。かつて競馬を辞めた知事がいたけれど、それはすぐに復活してしまっている。野党四党の枠組みで出るとかいうのは、まったくの戦術であって思想がない。

ファミリアの報告を毎日聞いているけれども、この学校の子はまじめな子が多いからやるときはきちんとやるし、ちょっとでも外れたことをするとみんなでそれを問題にして、しっかりとした自浄作用ができている。ファミリアで学習する子がいなくなったなどと、学校を辞めていった保護者が言っているけれど、とんでもない話だ。中学校も出来たことだし、ここの子の潜在的学力の高さを、これから顕在化して、勉強したいという子はすべて土浦一高へ行かせてやる。そのくらいの力はある。しかし興味を示さない子は何処の子でも無理だ。

寄宿舎が完成する

2016/07/12
寄宿舎が完成する
| by 塚原 港
寄宿舎はほぼ完成した。周りの足場は取ってしまったし、部屋の中の床もきれいにできている。後は家具類などを運ぶだけになった。通水試験も、通電も終わって、引き渡しが8月1日と決まった。これは7月の終わりの週には毎年行っている穂高の研修があるからだ。ちょうど茨城の幼稚園協会の研修と重なってしまったけれども、両方にうまくいけるように手配してほしい。ところで寄宿舎の名前が決定した。『志峰館』という名前にした。

ここで人間を人間らしく育てる。自分だって半人前の人間だけれど、いつもどうあるべきかを教師たちと議論している。みんなで力を合わせて、素晴らしい学校にしていこうというのはいつでも合言葉になっている。幼児期の発達理解がベースになっているので、子どもたちの心を大切にすることができる。何といっても大切なのはその子自身を生かすことだ。勉強だけが良く出来ても駄目だけれど、多くの保護者はとりあえず学業の成績の良い子を求める。案外それも大切なことだけれども、もっとすごい人間になりそうな『芽』が育っているような気がする。

そんな『芽』を見落とさない学校生活を保障してあげたい。それには毎日の子どもの様子をつぶさに報告できる教員の結束が必要だし、子どもを見る着眼点を磨きあげなければならないだろう。毎日の職員会議での報告で、私はそれを聞き逃さないようにしている。

あおば台がオアシスに来た

あおば台の年長さんと年中さんが合同でオアシスに遊びに来た。並び方を教えているわけではないけれど、すぐに整列できるのはどうしたわけか

幼稚園にあるプールより相当大きいから、色々なことができる。オアシスの防水は分厚いラバーでできているから、そこを素足で登ったり降りたり、滑り台にしたり考えられる遊びを工夫しながら遊んでいる。

オアシスが一杯そうなので、溢れた子たちはカヤックに挑戦している。オールを出して子どもたちに任せてみたらどうするのかやってみればよかった。カヤックで遊んだのはクジラ川というところ。壁をよじ登って川岸にたどりつくのは滑って大変だった。

ひたち海浜公園遠足

学校の子どもたち全員で楽しもうということで近くの海浜公園に行くことにした。大型バス1台で教員を含めて全員で行くことができる。片道1時間ぐらいだからちょうどよいところにある。普段から子どもたちが一生懸命生活をしているので、今日はみんなにご褒美と言う形で行くことにした。1100円分の乗り物チケットを配られたので、子どもたちと一緒に乗り物を楽しむことにしたのだが、子どもたちは『わーわーキャーキャー』と奇声を上げて楽しんでいるようだが、何が楽しくてあのような奇声が飛び出すのか、じっくり考えてみた。何のことはない危険を楽しんでいるのだ。危険ほど楽しいことはない。

危険と言うことだけで片付けてはならないが、、彼らにとってはこの乗り物に乗って見ようと決断するときには、少なからず楽しいと言うことだけでは決断はしない。未知への冒険的要素があるはずだ。『親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない』と言う諺があるけれども、子どもたちの遊びにもそれが言えるような気がする。幼稚園の子どもたちの砂遊びや泥遊びにしても一心不乱に集中して遊んでいるけれど、言葉に出してまとめ上げることはできないけれども、かなり多くの気付きがあったりしているのだろうなと思う。

それと同じように子どもたちが夢中になるものには、それなりに得るものが沢山あるのではないか。抽象的な感じ方かもしれないけれども、やがてそれらが具現化されて論文発表なんてことになる礎になっているのが子どもの遊びなんだろうと確信を持って言える。だいたい偉大な発見や発明などと言うのは、ひょんなことから、普段の人では通り過ぎて行ってしまうような事柄から奇跡的なことが生まれている。だから遊びを深める子ども(集中する)は洞察力が鋭いので将来有望である。

子どもと一緒に遊ぶのはとても疲れる。ついその気になってしまって、足腰にすぐ張りがきてしまう。若くはないのは分かっているけれども、今日の遊びの種類の中に65歳以上の方は乗れませんと言うのが何台かあって、もっとも65歳以下であっても乗る気になれないものであったけれども、少しずつ一般社会から特別扱いされるような年齢になってしまった。覚悟はしていたけれど、もう戻れない。子どもたちと一緒にいられる毎日の生活があるというのが、私の誇れる唯一のものだ。

園長設置者研修会

昨日は朝早くから現役の青年会議所のメンバーが幼稚園まで迎えに来てくれて、赤坂御所にある故三笠宮寛仁親王殿下の宮邸に行って来た。寛仁親王がお元気であったころ、土浦青年会議所と親交があり、殿下を交えてウエルフェアーゴルフをを開催させて戴いた。ウエルフェアーも殿下の提案で、障害を持った人たちの施設へウエルフェアー基金を寄付すると言う活動が来年で30年になる。継続はまさに力となるので、来年の30周年のウエルフェアー大会には、殿下のお嬢様である女王様がお出まし下さるそうだ。

午後1時ごろには幼稚園に帰ってきて、そのあとから水戸三の丸ホテルで茨城県私立幼稚園協会の主催する園長設置者研修会へ向かった。殿下のところへ行くことも研修もどちらも大切なことなので、かぶってしまったけれどもどちらにも顔を出すことができてよかった。研修の内容は社会労務士による雇用における注意事項などと、保育者の確保とか、幼稚園教育要領の改定とか、小中学校の教育内容の見直しなどの話があった。小中学校の話は殆どなく、もっぱら幼稚園のことだけだったのだけれど、文科省の役人が出した資料の中にあったのでそれを読んでいた。

泊まりがけの研修なので、さすがに今日はくたびれた。泊まりがけだと、きちんとご飯を食べるので太ってしまうのではないかと心配である。

ザリガニ釣り

ザリガニというのは戦前の日本には小さなものしかいなかったそうだ。戦後日本の食糧事情が悪くて、アメリカの兵隊さんが日本に持って来たそうだ。日本に持ち込んだエビガニをアメリカザリガニと言うらしい。そのアメリカザリガニをあおば台の保護者が2年前だったか定かではないけれど、バケツいっぱい持ってきて『子どもたちにあげてくれ』という。子どもたちにあげるのには少ないし、どうしたものか考えあぐねていたところへ私に相談があった。私は即座に『ゆでて食べよう』と提案した。しかしそのような経験のある教師がだれ一人いなかったので、賛成する者はいなかった。少しばかり孤独になったがさっさとゆでる用意をした。

そのアメリカザリガニを1・2年生を連れて釣りに行ったのだ。半世紀ぶりに釣りなどをした。しかもザリガニ釣りは、小学校低学年の時に近くの用水路やため池で、カエルを掴まえて、ちょっと残酷だが、胴体と足を引きぬいて足を餌にして釣りをしたという経験だ。糸はタコ糸で、おもりは魚釣りと同じように鉛を使った。私は魚釣りやザリガニ釣りは良くしたものだ。また霞ヶ浦では淡貝をよく取りに行った。

淡貝というのは淡水に棲む大きな黒い貝のことで、大きいのになると30cmぐらいのもある。これを佃煮にして食べるととてもおいしい。私はそういった遊びのようなものを、まったくの遊びとして捉えたことがない。ザリガニでも魚でも淡貝にしても、少しでも家族のためになるというような気持ちでいるから、何も捕れなかった時には悲嘆にくれる。

そのザリガニを子どもたちと一緒に釣りに言ったのだが、初めてだと言う子もいて子どもたちも私も興味津々である。甲高い声で気勢を上げるものだからザリガニも逃げ足が早い、それでも全員が釣り上げた。少し要領を覚えると立て続けに何匹も釣り上げる子もいる。ザリガニを触れなかった子も、背中の方から掴むことを覚えて、他人の分まで取ってあげたりしていた。最初の計画では1匹づつ持って帰るとなっていたけれども、無制限にして小さいものだけ戻して、あとは持って帰ってきた。どうするかって?。ゆでて食べようと思っている。子どもたちは絶句して言葉を失っている。生まれて初めて食べるザリガニの味はいかがかな。

お泊り会

金曜日に幼稚園に来て一泊して土曜日に帰るというお泊まり会である。何日か前からお泊まり会の導入をして今日に至ったわけだけれども、変わったイベントなので子どもたちは喜びと不安を会い半ば持っていて、顔だけはにこにこしている。不安がないと言ったら嘘になる。親から離れて泊まったことがあると言う子は別として,初めてのお泊まりであれば小さな心を突き抜けるような不安があるはずだ。それでも健気に楽しいとか面白いとか言っている。みんなでお泊まり会を盛り上げようなどと言ってはいるけど、どこかうつろである。

お泊まり会の係があるから、これだけはみんなで協力しないと先へは進まないから、飯盒のご飯を炊いたり、レストラン係があったり、デザート係があったりと、必ず何かの係を誰もが負担することになっている。夕食を食べて、お楽しみ会をやったりしているうちは楽しいけれど、肝試しになるとその様子が一変する。いつも元気でいる男の子がどうにも手がつけられないほど泣きじゃくったりして、興奮のるつぼにはまったりしてしまう。第二ではそれほどのことはなかったらしいが。もっともかつては第二幼稚園ではあまりにも面白がって子どもたちを脅かすものだから、反省会で、もっと楽しいものにしようとなったいきさつがある。

幼稚園の行事というのは、一つ超える度に子どもたちの成長が見えるので、教師たちも楽しみにしている。一晩経って、たかだか一晩だけれども、朝の子どもたちの顔は一様に輝いている。自分自信が超えたと言う自信が体中にみなぎっているようだ。そうではあるけれども、お帰りの時間になって、ご両親が迎えに来ると、りりしく見えた顔もふにゃとなってもとの甘えん坊の顔に戻ってしまう。全くそれでいいのだけれども、だからと言って今日の『自信』がなくなってしまうのかというとそうではない。体験したものが積み重なって経験となり、それは自分の血肉となって自分自身のものとなっていくものだ。

甘くはない

早速EU委員会や英国抜きの27のEU参加国の首脳会議があったが、英国に対しては冷たい意見が相次いだ。それは離脱ドミノを防ぐためでもあろうが、次の英国首相が決まるまでは離脱のための事前交渉は一切しないなどの申し合わせがあったり、離脱後の展望が英国にはまったくないとは一体どういうことだ、というような厳しい意見があった。英国の大使が『今まで通りのお付き合い』と日本に言っているけれど、英国がそう思っていても、EUは英国抜きで結束を固め英国からのものを締め出しにかかっている。日本の商社は英国を基点としてEUに商品を送り込んでいるから、そういったものにすべて関税がかかってくることになるので英国にいてもメリットが無くなってしまうことになる。

ピューリタン革命から逃れて、アメリカ東海岸に到着したメリーフラワー号に乗っていた英国の人が米国本土に根を下ろしたころには、米国原住民は9000万人ほどいたとされているが、それから2.3百年のうちに原住民は350万に激減してしまったといわれている。それはヨーロッパから移住してきた人たちの奴隷になったりして過酷な労働を強いられて、体力の消耗や病気が蔓延したりして減っていったらしい。それで足らなくてアフリカへ行って人間狩りをしたのだ。今さら移民問題を出すだけの資格は英国にはないだろう。

英国には連邦国家というのが53カ国ぐらいあるといわれている。かつて英国が植民地としていた国だ。コモンウエルズと言うらしいが、そのコモンウエルズがあるからEUと協定を組んで彼らに従う必要はないと言うことを真剣に言っている人がいた。大英帝国の懐古趣味である。とにかく英国がどうなってしまうのかしばらくは目が離せないだろう。EUのニュースが毎日報じられるが、あちらの人の名前は面白い。EUにはユンケル委員長という人がいる。殆ど風邪は引かないだろう。

朝から第二幼稚園で役員会があるというので顔を出した。議題はバザーについてだそうで、役員のほかにお手伝いさんもお願をして、毎年盛大に行っている。子どものためだと言え、頭の下がる思いだ。そのついでにというとおかしな話になってしまうが、明日からお泊まり会が始まるのでお家の人も心配しているだろうから、お家の人には「プーピータンシン!」と言えばよいと言ってきた。北京語で『心配いらない』という意味。昨年から私が楽しんでやっている。勿論ドントウオーリと英語でも教えた。みんな喜んで暗誦していた。七夕が各クラスに飾ってあって、「ドラえもんに会いたい」「空を飛んでみたい」など可愛いのが目に付いた。

英国離脱で何が変わるのか

日本の教育が変わるわけではないけれど、経済行為については激震に違いはないだろう。英国の議会制民主主義を倣ったのは日本の議会だけれども、国民投票というのは議会で結論を得ることが出来ないから、もう一度国民に問いかけようと言うもので、議会人の怠慢でもある。国民投票に訴えるのら、議会人が要をたさないのだから、議会の定数削減と言うことも視野に入れなければならない。もっともキャメロン首相はまさかEU離脱派が勝とは夢夢思っていなかった節があり、また離脱派の演説には被害妄想的な誇大主張があって、英国国民との約束を反故にするようなこともちらほらと出てきたらしい。

離脱しても今まで通りの恩恵を受けられるように英国代表はEUの会議で交渉をすると言っているけれども、早くもEUの代表格のドイツやフランス、イタリアと言ったところが、『いいとこ取りは出来ない!』と手厳しい発言が相次いでいる。EU委員長に至っては『もともと円満な結婚でもなく、愛し合っていたなかでもない』と露骨に嫌悪感を示している。元の鞘に収まるという気配は今のところない。英国に進出している日本の商社は1000社を超えるという。それはEUへの足掛かりとして英語圏で仕事ができるということであったものだけれども、これからはEU圏内のどこかにハブになるところを探さなければならないだろう。

もともとヨーロッパと言うところは非常にまとまりの悪いところで、第二次世界大戦前などはしょっちゅう戦争ばかりしていたところだ。フランスとイギリスなどはずっといがみ合い、大戦前などは植民地を取ったり取られたりしていた。100年戦争などと歴史にあったのは、フランスとイギリスでなかったか。最初はスペインが太陽の沈む時がないと言われたほど地球上のどこかに植民地を持っていたが、無敵艦隊を誇ったスペインがドーバー海峡で英国艦隊に敗れて大英帝国の始まりとなった。ずっとそれ以前などはオーストリアなどが力を持っていてベネチアの統治権を持っていたり、ロシアなどもちょくちょくと顔を出していた。ドイツはまだドイツ国家として統一されていなくてプロイセンと言われていた時代だ。

プロイセンと言えばビスマルクだ。プロイセンが中心となってドイツ共和国を作ったのは、ビスマルクの功績が大である。ドイツの教育の根幹にあったのがビスマルクの国家主義の思想の教育である。フォルクスシュウレ--はその名残で、これを倣ったのが日本の明治の教育である。

中世には戦争ばかりやってきた歴史の西洋史である。そのような国家の集まりだから欧州統一と言うのは、経済行為だけではなく戦争回避のためにもEUを作るというのは欧州人の夢であったのかもしれない。しかしまたここにきて互いの国をののしるような、中世の国家集合体に逆戻りしそうな気配である。英国EU離脱についてどのように君は思うか。というのが大学の入試論文に出そうな気がする。

保育参観日

あおば台は年少の保育参観日である。何処の幼稚園でも年齢が小さいほど可愛いものだ。保育所での0・1(0歳から1歳)というのは良く分からないけれど、あおば台幼稚園には2歳児もいる。2歳児がうろちょろしている様は実に可愛いものだ。ここまで育てるのには大変なご苦労があっただろうけれど、幼稚園に来てくれて感謝したい。私の心も身体もすべてを癒してくれる。こんなありがたいことはない。2歳児を見ていると、幼児期の発達がよく見えるような気がする。

今日はあいにくの雨でホールで行ったが、天候は関係なく親と一緒に遊ぶことができたのは、子どもにとってこんなに嬉しいことはない。この時期は何かを覚えるなんて言うことよりも、五感に感じさせることがたち説だ。何でも早めにやればよいなんて言うことはない。むしろ学校での教科を学習することによって、考える力を弱めてしまう。考える力と言うのは、感じる力の連続性の先にあるものだから、早めの学習によってその力を失ってしまうという、最悪の場合もありうるから、大切なことはよく遊ばせることである。

あの3歳児が食事の時間になると行儀よく手を膝の上にのせて、『いただきます』を待っているなんて想像できますか。よく幼稚園に行くときはその光景をこのんでみる様にしているが、何とも愛くるしいものがある。子育ては焦らないで、ゆっくりと、他人の子がちょっとばかり先に行こうが気にしないことだ。誰かの子が急いで先に行っていても、その間にわが子は無量のものを感じているはずだ。そのことの方が人間の生きていく力に必ずなるものだ。

初等中等学部では、雨なので1頭残ったポックンが馬小屋の中で外を見ている。私の方を見て入口の戸を足でけっていたので、外へ出してやった。小屋から出るとすぐに隣にいたアオバオーの部屋を覗いてから、中を確認してから振り返って外の広い場所に出て行った。ポックンはこのところよく鳴いているそうだ。教師がそう言っていた。

アオバオーが亡くなった

この学校が建設された年からずっと見守っていてくれたのがアオバオーだ。この名前の名付け親は第1回卒業生の男子である。
   
亡くなったという一報が入ったのは朝6時で、運転手さんが発見してくれた。
     
近所のおばあちゃんからも花が届いたり、在園児の保護者やお坊さんもお経をあげてくれた。
     
横になっているアオバオー。目のところはタオルで覆っている。子どもたちから多くのメッセージがある。急きょ竹を切って作った花挿しも心なしかうつむき加減である。
     
西門のところの塀の工事をしているのは齊藤建設で、偶然だけれどもその社長さんは私の後輩でアオバオーを寄付して下さった方だ。その会社の人たちがとても親切にアオバオーを小屋から出してくれて、お墓をほってくれて埋設までして戴いた。アオバオーは幸せだったろう。
     
ポックンも最後の見送りに参加してくれて、仲間がいなくなったことを感じているようだった。
     
最後のお別れに小さな手を一杯に開いて土を握ってお墓に入れていた。子どもたちはアオバオーがいてくれて楽しかった。天国へ行っても忘れないでねとか、今度は人間に生まれてきて一緒に遊ぼうとか言っていた。今日はこの後卒業生がたくさん来るようだ。勉強ばかりしていたような子のように思っていたけれど、優しさが前面に出てきたので嬉しい。
             

続きの続き

0・1・2歳児までは養育費として各家庭に支給して、母親が子供を育てるというようにすれば子どもは幸せだ。支給額は現在の貨幣価値で18万円。その基準となるのは0歳児保育に対して各市町村が支払っている金額の平均値みたいなものである。これが根拠となる。これは何も強制はされない、母親が仕事に出るかそれとも家庭で子育てをするか選ぶことができる。そのことによって日本の経済が打撃を受けるかどうかは分からないが、経済効果ばかりを追求する国家の在り方には限界があるのではないか。ブータンみたいに幸せの指標を明確にして、そちらに進む道もある。お金があるからと言って幸せだとは限らないではないか。

私が言っていることは少数意見よりも小数点以下の意見で、10年ぐらい前に全日に出向していたときに、この問題をみんなで語ったことがあるけれど、この話が全日の中から出て来ないところをみると、この問題は立ち消えになっているのかもしれない。全日は補助金をより多く取らねばならないということも使命のうちだが、子どもの問題を政府に提言することも大きな重要な使命であるはずだ。もっとも私の考え方が全く世間の考え方と大きくずれているようなら、立ち消えになっても仕方のないことだと思う。

子どもたちには選挙権がないからとか、幼児期の母親の年齢層はとか、それらが票に結びつかないからやっても無駄だと言うような考え方をしてはならない。これが正しいことで、国家百年の計として必要なものだと言う信念があれば生涯にわたって言い続けるべきであろう。私が生きている時は無理であろうが、将来は必ずそのようなことになると思っている。幼稚園経営者は、経営も大切なことであることは十分承知しているけれど、子どもの本当の幸せは何かということを議論しなくてはならないのではないか。

人間は『足るを知る』ことが最も大切だ。『無欲の大欲』と言うのもある。まだ私はその境地になったことはないけれど、欲によって苦しむことは確かなようであるから、あまり欲をかかずにみんなと楽しく生きていくことを考えた方がよい。

昨日の続き

幼稚園を建てた人は幼児教育をやりたいのであって、間違っても子どもを預かる保育と言うものはやらないと言ったことが、幼稚園連合会で研修を積んで来たものにはそう言った不文律があった。ところが園児数が減り文科省も幼稚園を救うために乗り出さざるを得なくなって、究極の選択肢が認定子ども園ということになった。だから認定子ども園というのは、保育所へ預けたいけれども空きがないと言った保護者のために新しい制度ができたのではなく、園児減で経営不振になった幼稚園を救うためにできた救済措置なのである。

それはそれでその制度は功を奏したと私は思っているけれども、同時に保育所の保育者のシステムについても幼稚園教諭の知るところとなって、同じくして私も初めて知ったことだが保育に関する保育料の決め方がこと細かくできていて、それをまとめ上げるのにA-4の上で1年間で10センチぐらいの量になる。この事務手続きだけでうんざりしてしまって認定子ども園を返上する幼稚園もちらほらと出てきた。もっとも認定子ども園の保育料などは、まだどうなるのか見切り発車してしまったということも否めないが、県の宣伝効果が最も表れた格好となった。

都市部で保育所が足らないと言っても今から土地を探して新設するとなるとそう簡単には行かない。かすみがうら市や、筑波山のふもと辺りには結構な土地があるけれど、そのへんは坪いくらというところではなく1反歩いくらというところで、したがって人家もない。それよりも子どもの未来や国の将来を考えるなら、子どもにとっては母親に育ててもらいたいと思うのが当たり前のことだろう。何故子供と母親を引き離したりする政策がまかり通るのか。どうして母親は声を上げないのか、私には不思議である。

ずっと子どもと一緒に家にいて四六時中顔を見合わせていたら、それこそ大変だろうと主けれども、そんな時にこそ母親が息抜きに保育施設にきてリフレッシュすればよいのではないか。大人の一生はまだまだ長い。幼児期の時間はそれほど長くはない。そう思えば、母親が1・2年家にいて子育てしても良いのではないか。子どもにとってはそれが最高に幸せである。昨日も描いたけれども母親が家にいて、子育てに専念することに後ろめたさを感じているのだろうか。そうであるならばそのような社会的な価値観をひっくり返さないと、いつになっても子どもの幸せはやってこないのではないか。

待機児童は減らない

待機児童が5.5%増えたという記事を読んだ。多少出生率が増えたと言ってもこれだけ政府が待機児童を減らそうと躍起になっても、待機児童はなかなか減らない。しかも幼稚園なども認定子ども園にして、何とか保育所における待機児童を減らそうとしているが、待機児童は減らない。待機児童が存在している都市部では、幼稚園を認定子ども園にして待機児童を減らそうとする動きが鈍い。もともと幼稚園が認定子ども園にして保育所機能を併せ持つと言ったことは、待機児童解消のためではなく、幼稚園自身の自己防衛のためであったのだから仕方のないことである。

昔は大家族で、子どもが何人もいてもおばあちゃんやおじいちゃんがいたからどうにか子育てが出来た。しかし今は家族の単位が分散化されてしまって、核家族と言われるようになってしまった。そんな中で子育てするのは容易ではない。社会事象として核家族と言うことが一般的になっているにもかかわらず、家にいて子育てしようと思っている母親を無理やり外へ出して仕事につかせようとしている。子どもは当然置き去りにされてしまうから、行き場がなくなってしまう。それで保育所が足らないと言っているのにはどこかに無理があって、家庭生活にひずみのようなものができてしまうのではないか。

政府の要人は『未来は子どもたちからの借り物である』などときれいなことを言うけれども、子どもの側から政策を考えたことがない。だからやっていることが後手後手だし、可哀そうなのは意見を言えない子どもたちだ。子どもの側からものを言える、未来を見ようとする政治家が必要だと思う。子どもを産んで3カ月もすると、家庭から離れて仕事に就こうとする母親がなんと多いことか。生まれてきた子どもは、何故自分を生んだのかと質問したくなるだろう。例え政府がお金を出してくれるからと言っても、それは幸せに続く道では決してない。生まれてからすぐに母親の温もりから無理やり離されるなんてことは不幸の始まりである。

母親は社会に出て自分も社会の役に立ちたいという願望というか、強迫観念みたいなものもあるのだろうけれども、女性が子どもを産んで子どもを育てる行為は、それに優るような職業はこの世にはないということを、人間すべてが認識すべきだ。女性が子どもを産んで何カ月かの間はぐっすりと眠ることも出来ない、産みの苦しみを通って来る。そんな女性に対して子どもを産んだら社会に出て働けとは罰が当たるのではないか。子育てを選挙の道具にしか使えないようではだめだ。もっと子どもも女性も優しく扱わないと日本の将来はないのではないか。私は幼稚園の園長として、つくづくそう思っている。

ブログを読む

久しぶりに友人とあって夕食を共にした。その友人というのは私のところの建設委員長で、言ってみれば私の相談役のようなもの。その人が曰く、『最近俺のブログ読んでねーだろ』全くその通りだったので、慌てて彼のブログを開けてみた。実に面白いことをたくさん書いてある。たまにハッとするような示唆を与えられるので、読むようにしていたのだが、コンスタントに書かれていないので、時々抜かしてしまうことがある。彼の文章は無駄がなく歯切れがよいので読んでいても抵抗がなく、いつの間にか引き込まれてしまうような気がする。

誰でも生きることに一生懸命だが、彼は自分のことだけではなく、常に人生というものを他者とともに考えることのできる稀有な存在の人だ。言ってみれば、人生における己の美学というものを会話の中にちりばめてくるから、何を考えているのかがよく解る。頭脳明晰でもそのような素振りはみじんにも見せない。子煩悩で女房想いである。医者のことをかいているけれども、よく書いてあるのは私のよく知っている医者であって、あまりピンとこない書き方をしているのは、私は全く知らない医者である。私に気を使っているわけではあるまいが。

あおば台幼稚園の玄関には、毎年のことだけれども燕の巣があって、そこに小さな子どもが4羽ぐらい育っている。親鳥が巣のところへ餌を運んでくると、黄色いくちばしを一斉にピーピーと泣いて顔いっぱいに口をあけて餌をおねだりしている。ピーピーピーと全くにぎやかだけれども、その上をふと頭を持ち上げてみてみると、ベランダの手摺のところでピーピーピート園児たちが連なって私の名を読んでいる。このコントラストがなんとも愉快であった。子どもたちの心の中も、燕の子どもの心も何か似ているような気がした。

世の中が変わる

大学受験ばかりではなく、米国の大統領が仮にトランプ氏がなったとしたら対岸の火事では済まされないだろう。中国は大歓迎だろうし、南シナ海のシーレーンをどのように確保していくのか。大丈夫だ日本は何とかなるという人がいたら、納得のいくような説明が欲しい。自分のところは何も起こることはないというような正常性バイアスをかけて、何の根拠もない安心感を持っている日本人は地球規模では異端である。戦後の太平のムードから眼が覚めない。目が覚めないというより考えが及ばないのかバイアスが強すぎるのかもしれない。

トランプ氏が今まで言って来たことを実行に移すとしたら、安保条約を縦にしたって弱い国が強い国にどんなに大声で騒いでも無視されて終わりだ。国際社会が黙っていないだろうと言っても、過去に何度も条約など破られている過去から学ばなければならない。国際条約なんて言うものは、平和な時代の産物であって一旦緩急あればそんなおめでたいことなど言っていられない。弱い国は集団自衛をしなければ強国に食われてしまう。欧州にはNATOがあって、集団安保体制が確立されているが、日本は米国が守らないと言ったら一体どうなるのか。その議論を一刻も早くしてほしいものだ。

私が死んだ後の社会は混沌としたものになるだろうと20年後を予想していたけれど、言論に節操のないトランプ氏が大統領になって、今まで言ってきたことを実現するとなるとあと5年もしたらこの社会は右往左往することになる。日本政府はトランプ氏の側近とコンタクトを取って、もしもの場合に備えているはずだ。それができなければ危機管理などできるはずもないだろうし、ガバナンス能力に疑問を持たなければならない。日本の経済力で何とか生きてきたあの韓国でさえ平気で日本を裏切ってしまう。国際社会なんてそんなものだ。

一番厄介なのは中国である。いまだに中国資本と化を頼って日本の経済人が儲けをたくらんでいるけれども、彼らは日本を弱体化させるのに一翼を担っているようなものだ。文化大革命で追放された鄧小平が復帰して、中国は覇権を求めないと断言したけれども、現在やっていることはというと、600年前に南沙諸島を行き来していた中国の商隊がそこを寄ったというだけで、南沙諸島は中国の固有の領土であると言ってはばからない。偉大な中国に朝貢せよと言っている。こんな時代になっては小手先の教育論などは通用しない。間に合うかどうかは分からないが心底強い子を育てなければならぬ。

プレゼンテーション

幼小交流の一環として、初等中等学部の児童が各ファミリアのプレゼンを行った。

幼稚園の子たちも真剣に聞いている。明日の交流で何か役立つようなことがあったのだろうか。とても明日が楽しみになるようなプレゼンであった。

とてもここまでやるのかと思うほどよくできている。幼稚園の子どもたちにもよく解るように文字を使わずに絵を描いて紹介するなど、さすがに幼稚園の先生も驚いたり感心したりであった。

最後に対面してQandAを行ったけれども、何と幼稚園の子どもたちからも沢山の質問があったりして、児童たちもかなりの手ごたえを感じたようだ。

これだけのプレゼンが出来れば、多分何処へ出しても恥ずかしいことはない。しかも専門的にプレゼンの時間を作って練習しているわけでもない。自分たちがファミリア活動で感じたことを、いかに分かりやすく伝えることができるかということを大きなテーマにしているだけだ。写真はもっとたくさん撮ったのだが映ってないのはどうしてか?

泥んこ祭り

泥んこは幼稚園の専売特許ではなく、初等中等学部でも行っている。たまたま米作りをするのに近くに田んぼを借りたのだが、これが広すぎる。だから田んぼの中の土を起こしたりするのには、私たちと子どもたちでは無理だ。それでトラクターを中古でかった。トラクターで田んぼの中を上手に行き来している農家の人を観ていると、簡単に出来ると思ってかったものだが、やってみるとそうはいかない。畑なども、何故あんなに平らに土おこしができるのかと、逆にその技術の凄さを思い知った。いつかは我々もそうなるだろう。

土曜日に水を張った田んぼの中に子どもたちが入り、駆け足をしたりボール遊びをする。顔中泥だらけになることをことさらに喜んでいる。そんなことをしているなら、漢字を覚えたり算数の問題でもといたら同だなどと思われる親御さんもいるかな。いやもうそのような保護者はいないだろう。むしろこの後の子どもたちの笑顔を観たり、楽しかったことなどの話を息もつかずに一気に話したりする、子供の情緒面の豊かさをきっと感じてくれるはずだ。教師たちも顔まで泥をはね上げて真っ黒になる。田んぼの中で泥んこ化粧を施したようだ。泥だらけになった若い女性の姿は、ここには載せられないだろう。

真に子どもたちのために生きているこの職業にある人たちは、仕事中は現象的なことを気にするなどのことはない。一生懸命さに頭がさがるが、幼稚園でも初等中等学部でも、懸命に仕事に打ち込んでいる教師に出会えて私は幸せだ。ありがたいことだ。明日は4年生以上の子どもたちが、ファミリア活動について、幼稚園へプレゼンをしに行く。どうなることだか、私が運転をして幼稚園まで子どもたちをマイクロバスで送迎する。

集会委員会

集会委員会というのは、学校の全体会でその会議を取り仕切る委員会である。取り上げられたテーマは幸せボックスという箱の中に、だれでもよいから取り上げてもらいたいものを書いてその箱の中に入れる。集会委員会で取り上げられたものの中に『シャープペンシルは何年生から使ってよいのか』というのがあって先日全員で話し合っていた。全体会を開く前に、集会委員会のメンバーが私のところへ来て『先生はどう思いですか』と相談に来たことがあった。私は何年生が使ったっていいのではないかと思っていたけれど、子どもたちからするとそうではないらしい。どんなことでも一生懸命議論する姿に胸が熱くなる。

どうでもよさそうなことだと言ってしまっては子どもたちに申し訳ない。この学校には校則なるものがないから、何かを感じるたびに集会のテーマになる。階段を一つ一つ踏みしめるように、自分たちの自治を自分たちで決めて行く。時間がかかるようだけれども、子どもたちは社会の中のものを大人が決めるのではなく自分たちで決められると言うことを体験して、自立していく。その中で自分というものに気づいてアイデンテティを確立していくのだろう。集会後の子どもたちの顔はみな自信に溢れている。

それでどうなったのかと言うと、4年生から持ってきてもよいことに決定した。それにも理由があって1年生から3年生までは鉛筆を自分で削ったほうがよいということだった。そして4年生からシャープペンを持ってきてもよいが、①自慢しない・②遊ばない・③借りたら返す・④落書きをしない・⑤ちゃんと管理する・⑥ちゃんと字を書く・⑦分解をしない・⑧悪口を言わない・⑨交換をしない、などと思いつくままに約束事になっていく。子どもたちの決め事というのは、大人よりも厳しいものがあって、これに違反などしたら『まあいいか』などの妥協は一切ない。

高校合格発表

私のところの幼稚園教諭のお子様が高校入試見事に合格した。ホッと胸をなでおろした。午前中からずっと待っていたので、連絡がなかったのでだめだったのかなと半分どのような言葉で慰めようかと苦心していた。そんなところへ女房から合格したという知らせが来たので本当に良かったと思う。お母さんが私のところにいるので、とても優秀であることは昔から知っていたので、大丈夫だろうと内心は思っていたけれども、はっきりと聞くまでは半信半疑である。もう一人の方が早くから合格の知らせをくれたので、後一報が待ち遠しかった。

この学校でも3年後にはこのような状態になるのだろう。中学校の定員も20名と少数だから、高校入試は希望通りに行かせたいものだ。今から入試に必要な学力について5科目のカリキュラムを作成しているところだ。高校入試のカリキュラムなどというのは、ふつうは作らないだろうが、子どもたちの内発的動機付けを重視しながら、その気にさせる授業展開をしていく。ファミリア活動を中心にアクティブラーニングを形成し、子どもたちがアイデンティティを持ち、自分の生きざまをチョイスできるような人間形成に向かっていきたい。中等学部教師によるプロジェクトを作って万全を期したい。にわかに闘志がわいてきた。

[保育園落ちた日本死ね]が国会でも議論されている。匿名だろうがなんだろうが、そのような実態があるということについて、閣僚は認識不足である。この記事が書かれていたというときからブログに書いたけれども、言葉が汚く独りよがりのような気がして、どうも支える気にはなれなかったので単発で終わってしまった。以前にも書いたけれどもこの現象は都会の現象であって、都会の利便性を選んで生活しているなら、何でもかんでも自分たちの思う通りにはいくまい。そのことだけではなく、悩み苦しんでいる人たちも数多くいるはずだ。ちょっと都会から外れて生活すればそのような悩みはなくなる。

手っ取り早い解決法がある。行政の許可が根ければ出来ないことだが、幼稚園バスというのを作って、それは勿論保育園バスでも良いのだが、バスの中で保育をする。バスには5名ぐらいの保育者を乗せて、何人かを乗せる停留所を作って送り迎えをする。保護者にも協力いただいて、時間を守るなどを徹底してもらう。近くの公園で保育をすればよいけれど、0歳児は無理で2歳児以上になるだろう。0歳児は自分で養育する。0歳児から他人に預けるなんて、母親としておかしいだろう。このやり方はドイツを視察したときに「青空幼稚園」とか言ってやっていた。雨の日はバスの中だ。トイレは公衆トイレ。

充実した生活

幼稚園では年中さん主催による「お別れ会」があって、主催と言っても殆どは保育者がセットしたものだけれど、気持ちだけは年中さんが主体だ。お世話になった年長さんに、お別れを言うのにホールをきれいに飾り付け、一緒に食事をするという趣向である。みんな満足そうな顔をしていて、幼稚園にいることが何となくうれしくてたまらないと言った様子である。幼稚園に来ることを嫌がらず、幼稚園に行って多くの仲間とあって遊びたいという気持ちがあれば、とても今が充実していて、幸せなのだろうと思う。

幼稚園といえば、ここにも何度となく書いたことがあるけれど、20年ぐらい前には3歳児保育がなくて、年中さんからの保育である。4歳からの保育だから幼稚園に入れたいと思われる保護者は3年間ご家庭で養育をなさっていたわけだ。ご家庭でもゆっくりとした生活をしていたものだ。ところが今は、満3歳児がいたり、その下の未就園児がいたりしている、2歳児などは階段を思いきり足を広げて「よっこらしょ」という具合に登っていく。『危ない!』と何度か思ったことがあったけれど、体全体でバランスをとって上手なものだ。子犬の置物のようでとても可愛くて見ているだけでメロメロ、しばらく見ているとデレデレだ。それが人間のように話をするものだから、可愛さ倍増である。これではお父さん会社に行けないだろう。

初等学部では食ファミリアの高学年が出店をを失敗したままではいやだという訳で、二度目の出店を今日試みた。今回は何度かシュミレーションをしたようで、用意周到である。役割認知もしっかりできていて、そこで指揮を執るような児童もいなくて、自分の与えられたことを黙々とこなしている。失敗を謙虚に受け入れたという姿勢が、今日の成功を生んだのだろう。住のファミリアではメートルをミリ単位で下級生が上級生に報告して、鉛筆で線を引く者と、のこぎりでまっすぐにきる者とに分かれ、仕事がスムースに流れていく。

衣のファミリアでは17ページに及ぶ脚本を手掛け、講堂はマイクを使えないから、大きな声でやろうとみんなで決めたそうだ。その結果見事な出来栄えであったではないか。出来上がったものはミュージカルに近いもので、劇の中の挿入歌等は子どもたちの作詞作曲であったというではないか。私の全くできない分野なので驚きも人一倍だ。子どもたちは着実に人間として伸びている。素晴らしいではないか。テストに明け暮れている学校と比べるとなんと優雅な学校でなかろうか。保護者の皆様が、結果を急がずに待っていてくれていたからこそ、子どもたちの素晴らしさが垣間見えるようになったのだ。子どもたちはもっと伸びると思う。

職業体験

職業体験として6年生があおば台第二幼稚園へいって来た。年中と年少に分かれてクラスへ入って言ったけれど、その対応の仕方は授業に対するアタックと同じである。子どもの中へ積極的に入っていこうとする姿勢と、ちょっと尻込みしてしまう子がいる。幼稚園児の中に飛び込んで一日を過ごすということは大変なことである。まず最初に一緒に遊んでもらえるかという難関を突破しなければならない。幼児は自分から合わせてということはしないから、自分にあった人しか選ぶことはしないので、そこで品定めをされてしまう。私に子どもたちが集まって来るというのは、私が園長という立場にあるということを子どもたちが周知しているからであって、魔法使いのように子どもたちを引き寄せる術を持っているわけではない。

ロケット滑り台の上から何度か滑り落ちて楽しんでいた子もいたけれど、久しぶりに幼児期に戻って遊ぶことができたであろう。とてもいい顔をしていた。食事も園児と一緒にしたようだったので、子どもたちとの話もきっと弾んだろうなと思う。帰りに職員室へきて、幼稚園の主任の先生と私の前で、今日一日の感想を個々に述べていたけれども、堂々と自分の感じていたことを話していて、幼稚園の先生も「着眼点がいい」と感心してくれていた。ちゃんとメモをとっていて、すらすらと応える姿勢にも驚いていた。良く校外学習で行っていることだが、習慣化されているのがよい。褒められると私もうれしい。

このところ西郷と勝海舟の話をしているけれど、まず本当に二人っきりで行ったとすれば、その時の心境はどうだったのか。それと西郷の方がかなり優勢であったのに、二人っきりで行う理由が何処にあるのだろうか。また二人の話の起承転結には、私たちが学ばなければならないという、知識を理解して応用するという三つの学習の方法の他に、ロジカルシンキングとかクリティカルシンキングとかクリエイティブシンキングとかの手法が全て包括されているのではないかと思っている。だから学ぶということではなく、生き方とか感じ方でそういったことが身についてしまうのではないかと考えるのである。そうありたいものだ。

学校でもやるけれど、日本のあるいは世界の偉人の話は是非父親から伝えてやって欲しい者だ。14歳を超えるとあまりご両親の話をきかなくなって、友人の方が大切になって来る。それは子どもたちの全くの錯覚なのだが、友人の方が私を理解してくていると思うのもこのころだ。私を知っているということよりも、私を理解してと爆発的に叫ぶのが青春の蹉跌の入り口なのだから、理解してやってほしい。子育ては難しくない。自然体がよいのだ。

知識を伝える

知識の切り売りをしているというのが学校の教師だ。知識なんて言うのはその容量には限界がある。だから教科書が頼りになるわけである。教科書を超えて、それ以上のことを伝えてあげられるようになれば教師と言えるだろう。教科書通りを何年も繰り返しているような教師に魅力を感じるのだろうか。社会人として、どこかの飲み屋で話すとしたら何も話すことはないだろうなきっと。しかし同じ教科書を何年もやっていると、熟練されている訳だから教え方も上手だろう。面白くも何ともなくても、保護者にとっては教え方がうまいと評判の先生がいいわけで、飲み屋で饒舌になる必要はないわけだ。子どもには知識を正確に与えてくれる教師がいいのだろう。

西郷隆盛と勝海舟が一対一で二人っきりで話した内容よりも、目の前にいる子どもたちがどれだけの成績を上げられるのかの方が大切なのだ。どうせ自分の子はそのような人にはなれないとか、人間の生きていく価値観を現金化して考えてしまう人がいる。価値観を高くもてば仲間だってそのような仲間を呼ぶことになる。低俗な価値観しか持てない者はそれなりの仲間しか寄りつかない。道徳観も、損得で計るようになってはこの世も末である。そんな人ばかりの社会ではないという確信があるから、自分も生きようとしているのだが、過去と他人は代えられないから、何とか面白く生きていくことを考えていこう。

今いったような価値観が劇的に変わろうとしている。この学校が出来たときには、よくドリルを一生懸命やっている子を何人も目撃した。そのたびにドリルをやることよりもものづくりをした方が良いといって来た。ドリルというのは創造力を退化させてしまうような気がしてならなかったからだ。過去問を取り出しては一生懸命授業中でもやっている子もいた。それらはみんな受験対策だ。そのようなことがこれから変わるのだ。何度かパラダイムシフトがなければと言ってきたが、それが現実に起ころうとしている。文科省では明治維新と戦後民主主義を経験したような、大学受験が劇的に変わると言っている。

アクティヴラーニングという言葉を何度かきいたことがあるかもしれないけれど、高校が大変である。今まで過去問の復讐ばかりやってきた授業体系というか、受験姿勢をどのように改めたらよいのか苦心しなければならない。これからは出された問題の解答を得るということから、自分で問題を探して解答を出さなければならない、考える能を試されることになる。初等学部のファミリア活動はアクティヴラーニングの一環であるけれども、これからは基礎学習についても積極的にアクティヴラーニングを深めていく。